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(1/5)

それはもう本で読んだよりも凄くて、面白くて。
時間の流れを忘れてしまうような、そんな空間だった。

まだ幼いであろう子達の呼吸のあった空中ブランコ。
まるで的に吸い込まれるかのような軌跡を描くナイフ投げ。
傘1本だけでバランスを保ち細いロープの上を渡りきる綱渡り。
遠目からでも判る不思議な肌の男性が沢山の蛇を従えて踊る舞。

真横ではセバスチャンとシエルが冷静に演目を分析しているが、その会話が耳に届かないほど***は次々現れるパフォーマンスに釘付けになっていた。
けれども途中、ノイズが混じったような不鮮明な声が耳に届いて、***の意識は現実に戻ってくる。

『…?』

よく聞き取れなかったけれど、あまり良い感情ではない声。
演目の切り替えで一瞬暗くなったテント内を見渡すが、暗いせいで何も見えない。
気のせいかもしれない、と思いステージに視線を戻した直後にステージが明るくなる。
それと同時に嘘のようにノイズが無くなりクリアに届いた声に***は声の主をようやく理解した。

『…あの子達だ!』

ジョーカーの横に立つ女性のさらに横。
大人しく、しかし威厳ある姿で佇む1頭のトラ。
檻の中にももう1頭いるが、そのどちらかで間違いないだろう。

『…でも…』

だからと言って***に何かできるわけでもなく。
まさかステージに上がるわけにもいかなくて。
ただただトラを見つめていると、隣のセバスチャンが不意に立ち上がった。

「おっ!えろうヤル気満々の燕尾服のあんさん!!どーぞ壇上へ!」

周りの視線がセバスチャンに向けられる。
しかしそれすら気にせずトラに視線を向けていたのが不味かったのだろうか。

「後、あんさんの横に座っとるお嬢さんも。随分トラに興味がおますみたいさかいに、一緒に壇上にどないぞおあがりやす!」
『え?』

流石に観客からの視線を浴びて、***はトラから視線を外す。
立ち上がったセバスチャンを見上げれば、彼は笑顔で***に手を差し伸べていた。
端から見れば幼い少女をエスコートする紳士、に見えているのだろう。
まさかその手を払うわけにも行かず、***はその手をとると席を立った。


「…何なんだ一体…」

通路を歩いていく二人の背を眺めながらシエルは呟く。
セバスチャンだけなら真相の糸口がサーカスしかない今、接触するチャンスだと喜べた。
しかしどういうわけだか***にも白羽の矢が立ってしまい、まさか引き留めさせるわけにも行かないのでセバスチャンに連れていけと命じたものの。
これだけの観衆の目、ましてやそばには***がいる状態で、いったいどう探りを入れるつもりなのか。
不安と心配の混ざった視線で自分より小さな背中を追いかけた。


「やっぱりサーカスには華がないとあかんさかいにね。お嬢さんはトラが好きなん?」
『う、うん』
「ほうか!じゃぁお嬢さんは後にして、まずあんさん。こっちで寝そべってくれはりますか?…あ?」

パフォーマンスの一環なのか、気さくに声をかけてきたジョーカーの言葉に***は思わず縦に振る。
嫌いではない、だからと言って100%好きではないけれど…それは喉の奥に仕舞いこんだ。
そしてジョーカーはセバスチャンに舞台となる台座を指差すが、セバスチャンはそれを無視して横切った。

『あれ?』
「あ?」

困惑する***たちの目の前でセバスチャンが手を伸ばした先。
そこにいたのはこれからの演目の主役のトラ。

「嗚呼…何というつぶらな瞳…」

どよめき出す観客席。
ジョーカーたちですら唖然としている中、***とシエルだけがセバスチャンの行動の意味を理解していた。

―しまった!虎は猫科だ!!

「見た事も無い鮮やかな縞模様、やわらかい耳…とても愛らしい」

むにっとセバスチャンがトラの頬を持ち上げる。
それと同時にトラの牙が露わになり、ほんの微かな唸り声が上がった。

『…あ』

唸り声に紛れた声に***は顔を上げる。
けれど「その声」を今伝えて良いのかを躊躇ってしまう。
それは間違いなく、***以外は聞こえていない声だから。

「おや?少々爪が伸び過ぎている様ですね。お手入れをしなくては…」

両手で顔を覆ってしまったシエルと、どうしようか悩んでいる***以外がポカンと呆気に取られている中、セバスチャンの独壇場は止まらない。
顔に触れることに留まらず、恐らく人に向けるよりも良い笑みでトラの左前足をまるでエスコートするかのように持ち上げた。

「肉球もふくよかでとても魅力的ですよ」

―“       ”

『っ…!!ダメ!!』

再び唸り声に紛れて聞こえた声の内容に***は迷いを捨てた。
観衆達の視線も気にせずに飛び出すがほんの僅か遅かった。


―ガブッ


トラがセバスチャンの右腕に前足を置いたかと思うと、そのまま大きく口を開けて真正面からセバスチャンに齧り付いた。

『だめ…!口開けて…!!』
「ベティ!!そいつを離しな!!」

突然の惨状に会場内の至る所で悲鳴が上がる。
***は他人の目も気にせず、トラの首元にしがみ付いて必死にトラに話しかける。
そしてトラの飼い主である猛獣使いは鞭を振り下ろそうと腕を上げた。
しかし振り下ろされた鞭はセバスチャンの手で止められてしまう。

「彼女に罪はありませんよ」
「!?」
「あまりの愛らしさに私が思わず失礼をしてしまっただけ…それに」

―むやみに鞭を振るうだけでは躾は出来ませんよ

トラから解放されたセバスチャンの言葉にプロとしてのプライドから反論できなくなる猛獣使い。

(…良かった…)

今までの様子をトラの首にしがみついたまま見ていた***はとりあえずは大丈夫かな?と安堵のため息をついた。

―その瞬間。


『きゃん?!』

ぐいっと体が浮いて反射的に目を瞑れば、再び至る所で上がる悲鳴。
恐る恐る目を開ければ、トラの真下にセバスチャンの頭が見えた。

『キャァァァァァ!?だめ、だめよ!!』
「ベティ!!ペッしな、ペッッッ!!」
「おやおや、おてんばさんですねぇ」

観客の悲鳴と***と猛獣使いの焦った声をBGMに、悦に浸るセバスチャンは場違いな感想を零した。

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