no title | ナノ


(4/5)

一夜明けた午前10時前。
シエルとセバスチャンは屋敷には戻らず、人の行き交う駅のホームにいた。
一等席の列車に乗り込もうとする彼らに一人の少女が声を掛ける。

「オレンジはいかがですか。1ペニーです」

シエルよりまだ幼く、薄汚れた服でオレンジを差し出す少女を一瞥すると、シエルは買ってやれと命じて自身は列車内に乗り込んだ。

「ありがとうございます!あなたの旅路に神の祝福がありますように」

代金と引き換えに渡されたオレンジを受け取り、セバスチャンもシエルの後を追う。
急な出立の為、本来ならあり得ない同席を詫びるセバスチャンだが、シエルは構う素振りも見せず席に腰を下ろした。
やがて出発を告げるベルが鳴り、列車はゆっくりと動き出す。
列車独特の揺れに身を任せ、流れゆく外の景色を眺めていたシエルに買ったばかりのオレンジに手を伸ばしながらセバスチャンは声を掛けた。

「…ひとつ、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「何故彼らの育った貧救院へ?」

今まさにこの場にいる意味を問われ、思わずシエルは目を見開くがすぐに理由を口にした。

「パトロンがいなくなったんだ。それで貧救院が運営できるはずがない。新しいパトロンが必要だ。バートン伯あたりなら寄付に嫌な顔もしないだろうし、紹介してもいい」
「同情ですか?」
「後始末までが僕(ファントムハイヴ)の仕事だ。裏社会の勝手な事情で表社会の人間が犠牲になる必要はない」
「では何故あの子供達を?」

綺麗に剥かれたオレンジの差し出すセバスチャンの言葉の意味。
その意味にオレンジに手を伸ばしながらシエルは答える。

「――ああいう子供を昔たくさん見たことがある。ああなってしまってはもう元には踊れない。…それなら」
「いっそ死んでしまった方が幸せだと?傲慢ですね」
「ハッ、傲慢でない人間などいるのか?」

言葉の最後をすくい上げる様にセバスチャンが嘲る。
それをシエルは鼻で笑い返し、逆に問いかけた。

「私はお会いしたことはありませんが」
「脆弱な人間…まして子供があの状況から立ち上がるのにどれだけの力が必要だと思う?」

指に付いたオレンジの果汁を舐めとり、シエルは続ける。

「僕はあの時、たまたま悪魔(お前)を喚び出せたから立ち上がる力を手に入れられただけだ。ケルヴィン邸(あの屋敷)に悪魔はお前しかいなかった。その悪魔は僕のものだ。

 僕は傲慢だ――だけど、無責任に誰かを救えると豪語できる程じゃない」

窓に頬杖を付き、再び外の景色を眺めはじめたシエルにセバスチャンは目を伏せ短く言葉を返した。

「さようでございますか」







やがて汽車はのどかな田舎駅に停まる。
近くで荷物を積んでいた荷車に金を握らせ、シエル達は目的地のレンボーン貧救院へと向かう。
その道中、向かいからやって来たこともたちが口ずさんでいたのは、笛吹きのトム。
何も知らずに荷車の横を通り抜ける子ども達を目で追っていると、馬車は小高い丘の前で止まった。

「たしかこの丘の上だぁ」

荷車の持ち主の言葉に従い、シエル達は無言で丘の上へと続く道を歩く。
そしてやっと上り切った所で吹き抜けた強い風に目を瞑るが、目を開けた後、広がるその光景にシエルは左目を大きく見開いた。


老朽化が進み、文字が剥がれ落ち、つたの絡みついた貧救院のアーチ。
肝心の建物も天井は崩れ落ち、窓ガラスは割れ、残る外壁にはヒビが走っていた。
奥の庭へ続くであろう道も崩れ落ちてきた瓦礫で塞がれ、雑草が生い茂る。
何処をどう見ても、人が暮らしている気配のない、廃墟がそこにはあった。

「どうやらケルヴィン男爵は嘘をついていたようですね。ここの老廃ぶりを見るにここはだいぶ長い間無人だったようですし…あの医師のの口ぶりからして、ここにいた子ども達ももしかすると…」

セバスチャンの拾い上げたぬいぐるみも雨風にさらされ、腕はほつれ、中の綿もはみ出て数日で捨てられたようには見えない。
ただ呆然とこの光景を見つめていたシエルの脳裏にはジョーカーとドールの言葉が過る。
そしてこみ上げてきた感情に体を震わせた。

「坊ちゃん?」
「あはははははははは、あー―はははははは!!」

声を掛けたセバスチャンは突如笑い出したシエルに目を瞠目するが、シエルは何が楽しいのかと言わんばかりに笑い続ける。

「何もなかったんだ!あいつらの守るべきものなんてとっくに存在してなかった!そんなことも知らないであんなに必死になって死んでいった!!あはははははは!!
 必死な願いを嘲笑い虫けらの様に踏み躙る!姑息で!残酷で!醜悪で!悪魔よりよっぽど悪魔らしいじゃないか!!
 なあ!あはははは!ははははっ!!」

廃墟の中、響き渡るシエルの笑い声と叫び声。
その笑う姿はまるで自虐の様にも見えた。

「ははっ…は…」

ひとしきり笑うとシエルはよろめき、今の今まで腹を抱えて笑っていたその右手を見つめる。

「――僕も同じだ。僕にも、あいつらと同じ醜い中身が詰まってる!これが人間だ!!

 人間なんだよ!!セバスチャン!!」

襟元のリボンを掴み、先程とは打って変わり悲痛な表情でシエルは叫ぶ。

「ええ、そうですね。悪魔とは違い醜悪で複雑な悪意を持ち、嘘付きで――」
「!」

シエルの主張に静かに言葉を返すセバスチャン。
それを遮るように強い風が吹き抜け、いたずらにシルクハットに結ばれたリボンを攫って行く。

「あ…」

咄嗟に手を伸ばしたシエルより先にリボンは宙を舞い、セバスチャンの指先を掠めてさらに空高くへと舞い上がっていく。
その様子は笛吹きのトムに出てくる歌詞のワンシーンそのものだった。



―必死に足掻き、他人を蹴落とし


―奪い奪われ言い訳を繰り返しながら


―それでも丘を越えた彼方を目指す



舞い上がり、どこまでも飛んで行こうとするリボンを見上げ、セバスチャンはゆるりと笑い呟いた。


「だから人間って面白いんですよね」







アンコール無き終演  END


<< >>

目次へ

[ top ]