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軽い着地音の後、シエルが目にしたのはひっそりと静まり返っている屋敷だった。
「ここが奴の屋敷か」
「ええ」
「どうだ臭うか?」
「ええ。全員かどうかわかりませんが、みなさんご無事のようですよ」
屋敷の屋根付近から飛んでいく鳥の姿を目に止めたセバスチャンの眼光が僅かに鋭くなる。
直後、こちらの存在に気付いたかのように重い音を立てて玄関が開かれた。
「当家へようこそ。お待ちしておりました、ファントムハイヴ伯爵」
「ジョーカー…」
出迎えたその人の名前をシエルは呟く。
しかしノアの方舟で見た時の飄々とした雰囲気は何処にもなく、ただ客人を迎え入れる使用人。
そしてシエル達が屋敷内に足を踏み入れた直後、ジョーカーの合図で明かりが灯った。
「!!これは…!!」
壁面に設置された燭台に灯され露わになったその内装は決して万人に受け入れられるようなものではないだろう。
至る所に転がっている未完成の人形の数々、ある物は天井から乱雑に吊るされ、ある物は額に入れられ壁に飾られて。
ある物は何か意味でもあるのだろうか、檻の中に詰め込まれていた。
その光景は仮に人形の制作工場だと言われても納得できない程には異様なものだった。
「こちらです」
そんな光景に動じる事無く案内を続けるジョーカーの後ろ、そっとセバスチャンはシエルに耳打ちをする。
「どう致しますか?彼を殺して今すぐ子供を救出しに?」
「待て。まだ子供たちが生きているなら、まずは頭から押さえた方がいいだろう。奴の目的と実状を把握しなければ女王陛下に報告も出来ないしな」
「かしこまりました」
ひっそりを交わされる会話、それを待っていたかのようにクスクスと耐え忍んでいた笑い声が響く。
「人は見かけによらへんってホンマやったんやね。あんさんそんな小っこい体で芸名が「女王の番犬」で「悪の貴族か」」
肩を震わし笑いを耐えていたジョーカーがゆっくりと振り返る。
「難儀やなぁ、スマイル」
向けられた表情は出迎えた時のような他人行儀なものではなく、サーカスの仲間として接していた時に見せたような表情だった。
しかしそれすらも「スマイル」ではないシエルは冷たく跳ね除ける。
「僕の名前はシエル・ファントムハイヴ“伯爵”だ。使用人が気安く声を掛けるな」
「…確かに“お貴族様”どすな」
シエルの言葉にジョーカーは肩を竦める。
そのままある扉の前で足を止めると、くるりと体ごとシエル達に向き直った。
「晩餐の準備が整っております。こちらへ」
通されたのはそれなりに広さのある部屋だった。
薄暗い照明の下、小さな舞台を鑑賞出来るように場がセッティングされていた。
シエルが席に腰を下ろし、セバスチャンが傍に控えるとキィキィと何か軋むような音が近づいてきた。
「おいでのようです」
ジョーカーがシエルを案内したのとは反対側の扉を開ける。
軋む音の正体は車椅子の車輪の音だった。
「きっ、来てくれたんだね。ファントムハイヴ伯爵。
ああ…夢みたいだ!君がこんな近くにいるなんて!こんな姿で君に会うのは恥ずかしいんだけど…」
子ども二人に車椅子を押され、現れた男の姿にシエルもセバスチャンも嫌悪感を隠せずにいた。
包帯で覆われた顔から覗く左目は喜んで照れたりと恋する乙女のようだが、服の袖から覗く手は節くれ立ち年齢相応でちぐはぐ感が拭えない。
「…貴殿がケルヴィン男爵か」
「そうだよ改まるとテレるな」
シエルの問いをあっさりと肯定した男、ケルヴィン男爵は自身が入ってきた扉を手で示す。
その先ではワゴンを押したジョーカーを筆頭に給仕係が配膳の準備に取り掛かるところだった。
「君の為にごちそうを用意したんだ。ワインは1875年物、君が生まれた年のワインだよ。ちょっとキザだったかな」
ジョーカーが注いだワインがシエルの前に供される。
置かれたばかりのグラスにセバスチャンが手を伸ばし、中のワインをほんの少し口に含んだ。
「毒は入っていないようです」
「フン。鼠に出された料理などに手を付ける気などない。毒見は不要だ。―――それより」
シエルは給仕係に目をやる。
給仕服に身を包み、黙々と作業をこなす姿はどう見ても使用人だが、それが一様に生気のない目をした子ども達となれば話は変わってくる。
「警察に上がってきている情報以外にも被害者がいると思ってよさそうですね」
「しかしあの様子は…」
「そうだっ!ただ食事をするだけじゃ伯爵も退屈だよね。ジョーカー。“アレ”をやっておくれ」
「え。し、しかし…」
「いいからやってよ」
ぼそぼそと会話する2人を遮るように男爵の声が飛び、アレと言われ拒むジョーカーに男爵は意義許さぬ声でやれと命じる。
結局逆らえぬジョーカーが折れたが、その流れにシエルが疑問符を浮かべる。
その間にもアレの準備は進み、何もなかった舞台の上にサーカス衣装に身を包んだ子ども達が一列に並んだ。
「ようおこしやしたファントムハイヴ伯爵。今宵は特別に貴方をめくるめく歓喜の世界へとお連れ致しますえ」
男爵ただ一人の拍手の音だけが響く見るからに異様な光景の中、ゆっくりとショーの幕が上がった。
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