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―Tom,he was a piper's son,
(トムは笛吹の息子)
―He learnt to play when he was young,
(幼い頃 笛を習った)
―And all the tune that he could play
(でも吹ける曲は一つだけ)
―Was "Over the hills and far away…"
(“丘を越えて彼方へ”)
―Over the hills and a great way off,
(丘を越えたその先へ)
―The wind shall blow my top-knot off.
(風よリボンを運んでおくれ)
朝、与えられた部屋でジョーカーは身支度を整えながら歌を口ずさんでいた。
そして1枚の真新しい写真に目を止め、その表情を曇らせた。
「丘を越えて彼方へ…か」
その写真で蘇るのはほんの数時間前の記憶――。
「お父様、ただ今帰りました」
昨晩、遅くにこの屋敷に帰ったジョーカーは誰の出迎えも無い玄関を通り抜け、天井からの僅かな灯りを頼りに階段を上ると1つの扉の前で足を止めた。
「お父様失礼します」
コンコンと施錠されていない扉を叩き、部屋に入る。
入った先で部屋の主がまだ起きている事を確認して、ジョーカーは出入り口のすぐそばで立ち止まる。
「夜遅くにすみません。実はお耳に」
「おお、おお…おかえりジョーカー。こんなに早く帰ってくるとはなんていい子なんだ」
報告は遮られる。
部屋の主である「お父様」は大きなソファに腰を下ろし、焦点の定まらない少年と少女を傍に控えさせていた。
そして彼はジョーカーに尋ねる。
「それで彼は?彼も一緒なんだろう?それとも彼女がいるのかい?」
残念ながら望む“彼”も“彼女”もまだここにはいない。
それをジョーカーが伝えれば、悪い子だねと先ほどと手のひらを返したような反応。
すぐさま片膝を付き、ジョーカーはここに戻ってきた理由を口にした。
「申し訳ありません。その件で警察にマークされたかもしれません」
「聞かせて」
「先日入団した新人が俺らのテントに忍び込んだようどす。もしかしたらお父様からの手紙を見られたかも。奴らが警察ならうかつに始末できません。犯人と認める様なものです。元から妙な二人組だと思ってましたが、あの坊」
“坊”と口にしたと同時にパリンとカップの割れる音がした。
ジョーカーが視線を上げれば、父の膝に座っていた少女のティーカップがその手を離れ中身を零し無残にも破片となって転がっていた。
入っていた紅茶が少女のドレスの裾や自身のガウンを汚したのにも気に留めず、彼は老いた手を震わせながら確認するように口を開いた。
「子供?」
「お父様?」
「子供だったのかい?」
「え、ええ。もう一人は黒づくめの」
「子供と執事!!」
震える足で立ち上がる父はジョーカーが言う前に言葉を拾った。
ジョーカーには何故、こんなにも彼が興奮しているか判らない。が父の言葉にある事を思い出した。
「そういえば一人は元執事と…」
「きっとそうだ。 そうだ きっと!!」
何かを確認するかの様な口ぶり。
そして震える足で完全に立ち上がると、彼はおもちゃを見つけた子供のように歓喜の声を上げた。
「やった―――!!彼だよ!シエル・ファントムハイヴ伯爵だ!!」
「スマイルが!?とてもそんな風には」
立ち上がり、窓から差し込む月明りで露わになった父の姿は体の殆どを包帯に隠され、お世辞にも美しい姿とは言い難い。
その父はジョーカーの言葉も無視して興奮冷めやらぬ様子で、1人話し続ける。
「あの日からずっと夢見てたんだ。きっと彼はココへやって来る。最高のおもてなしをしなくては!ジョーカー!急いでとびきりの宴の準備をしておくれ!」
「待ってください!!それがもし本当ならノアの方舟(あいつら)が危ない。今すぐ指示を出さないと。それに――」
黙って父の語りを聞いていたジョーカーはその与えられた仕事に我に返る。
慌てて口を挟めば、呼ばれた己の名前。そして
「僕に口応えするの?」
包帯で隠されていない見開かれた左目がジョーカーを見下す。
その口ぶりからは二人の絶対的な上下関係が滲み出て、反射的にジョーカーは体を強張らせた。
「生まれた時から全てに見放された君らを育ててあげて、自由に動ける手足をあげた。そんなお父様に口応えを?」
「そんなつもりは―」
「だよね。君はとてもいい子に育ってくれた。貧救院(ワークハウス)に残してきた弟妹にも立派な“大人”に育ってほしいだろう?いい子のジョーカーは、お父様の言うことを聞いてくれるよね?」
会話だけ聞いていれば、子を諭す親の会話にしか聞こえない。
ただ当人にとっては上下関係を通り越し、絶対的な何かに縛られている・縛っているという再認識の会話だった。
「―――はい、お父様」
最早拒否権すら取り上げられた中、ジョーカーが口にできるのは従順な意思表示の言葉だけ。
「親孝行な息子を持って嬉しいよ。こっちにおいで。久しぶりに一緒に写真を撮ろう。孝行息子と幸せな父親の姿を」
息子の言葉に満足した父は節くれだった老いた手を差し出し、息子の義手を取ると自身の横に座らせる。
既に用意されていたカメラに目線を向け、息子の肩を抱くと父は言う。
「笑って」
カメラのレンズに逆さまに彼らの姿が映りこんだ。
「――そういえば彼の近くに彼女はいなかったのかい?」
撮影を終えた直後、尋ねられた言葉の理解に一瞬ジョーカーは躊躇った。
「…らしき子は見かけました。スマイル…いえ、伯爵の執事の傍に1人。特徴ある容姿でしたが、ガードが固く確信が持てません」
「そっか。仕方ないね。彼女の家は先日爆発で家人が皆亡くなったって噂だし、やっぱり死んじゃったのかな」
ほう、と何かに思いを巡らす父にジョーカーは静かに一礼をすると部屋を後にした。
それが昨晩遅くの記憶。
そしてその写真は暗い部屋で撮影したにも関わらず、随分綺麗に仕上がっていた。
「――俺は…」
身支度を終え、ベッドに腰を下ろしていたジョーカーの呟きは部屋の空気に静かに溶けて行った。
それぞれが動き始めて END
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