no title | ナノ


(2/5)

その後、何とかサーカスはその日の公演を終え、シエルたちもほかの観客に紛れテントを後にした。

「誰があそこまでやれと言った?」

公演の余韻に浸る間もなく、シエルの怒りの声が響く。

「申し訳ありません。長い間生きていますが、猫だけは本当に気まぐれで気分が読めませんね…」

反対にトラとの触れ合いの余韻に残っていたセバスチャンはホクホクと幸せな表情を浮かべる。
それがまたシエルを更に苛立たせる原因となった。

「大体必要以上に目立ってどう……、ふ、へくしっ!!
 お前僕が猫アレルギーなのを知ってるだろう!離れて歩けッ!!」
「は」
「それから***!」
『は、はいっ!』

名前を呼ばれ、今までセバスチャンの背後に隠れていた***は慌てて前に一歩出る。
怒られると思いきや、シエルの表情は真剣なものだった。

「…何故、指名された?」
『…わかんない…。ただ、声が聞こえたから…見てたんだけど…』
「声?」
「あぁ、トラは猫科ですものねぇ」
「…お前は黙ってろ。で、何が聞こえたんだ?」
『えっと…』

辺りを見渡し人の流れを確認して、自身の洋服を叩いてから***はそっとシエルの傍による。

『“また人がいっぱいいる、やだな”って。後…』
「?」

ちらりとセバスチャンを見て、申し訳なさそうに***は続ける。

『“何、この人。いきなり怖いよ”“触らないで、噛むよ!”って』
「へくしっ!…なるほどな…」
「おやおや、おてんばさんかと思ったら、恥ずかしがり屋さんだったんですねぇ」
「だからお前は!…くしゅん!」
『あああ、ごめんね!離れるね!』

再びくしゃみを始めたシエルから離れ、***はセバスチャンの背後に戻る。

『…あれ?』

パタパタと聞こえてくる足音に***は振り返る。
すると足音の主は間違ってないと確信をしたのか、手を振って声を上げた。

「あっ!いたいた!!ちょっとそこの、燕尾服のあんさんとお嬢さん!!
 さっきはえろうすいませんでしたなぁ」
「いえ、こちらこそ失礼しました」
『ごめんなさい…」

走ってきたのはジョーカーでセバスチャンと***に詫びの言葉を告げる。
それに対して2人も同じように詫びを入れた。

「ビックリしましたえ。あんさんは急に虎に近寄っていかはるから。さっき噛まれたトコ大丈夫どすか?
 それにお嬢さんも。なんぼ虎が好きやさかいってプロではおまへんんに、あないなことしたら危険どすえ。怪我はしてへんどすか?」
『え、あ、はい』
「とにかくウチに専属のお医者はんがいはるんで、診てもろた方がええと思て。
 どーぞ裏へいらしてください」

シエルとセバスチャンが願ってもいなかった向こうからの誘い。
いつの間にかシエルは建物の影に隠れていたが、セバスチャンとアイコンタクトでGoサインを出す。

「では遠慮なく」

シエルの指示でジョーカーの申し出を快諾して、***たちは裏へと向かう。
店の並ぶ明るい表と違い、裏側は必要最低限の灯りしかなく華やかなステージからは縁の遠そうな空間だった。

「ばっちぃトコですんまへんなぁ。足元気ィつけておくれやす。
 …お、スネーク。先生救護室にいはる?」

ジョーカーに声をかけられ、テント横に木箱に腰かけ2匹の蛇に餌をやっていたスネークと呼ばれた男がこちらを向く。
しかし返事はなく、代わりに彼の肩にいた蛇の尾がある方向に向かって2・3度動いた。

「ありゃ、出張中かいな。タイミング悪ぅ…ってお嬢さん?」
『…え、はぁい?』
「お嬢さん、虎だけやのうて蛇も好きなん?せやかてあかんどすえ。スネークは毒蛇も飼ってるさかい勝手にいらうと危険どすえ」

じーっと蛇(正確には餌のネズミ)を見ていた***を蛇好きだと勘違いしたジョーカーは、諭すように***に話しかける。
それを足止めしてしまったと勘違いした***は素直に謝り、頭を下げた。
そんな***にジョーカーは「興味を持つんはえぇことや」と頭をなでると、医者の元へ歩き出した。

「あれ?虎に噛まれたぼうやじゃないかい?」
「本当だ。マヌケなぼうやだ。それに勇敢なちびっ子もいるね」
「本当だ。怪我はしてないかい?」
『だ、大丈夫です!』

歩き出した道中、大タルの上に仲良く腰かけている空中ブランコの2人組に話しかけられ、驚きながらも***は答える。
驚きのあまり、声がひっくり返って笑われたが、そんなこと気にしていられなかった。

(…あの人たち、セバスチャンさんの事“ぼうや”って…、自分たちの方が小さいのに…)

気になっていたのは彼らの言葉。
でもそれを口にする前にジョーカーが医者を見つけたらしく、***の興味は医者へと切り替わった。

「先生!」
「やぁジョーカー。また腕の調子が悪いのかい?」

迎えたのはボサボサの頭に眼鏡をかけ、白衣を羽織った一人の男。
車椅子に座っていた彼は器用に車椅子を操作して、ジョーカーたちに向き直る。

「いや、今日はウチやのーて…」
「あ。誰かと思えばさっきベティに頭かじられた人と、首元にしがみ付いてたチビじゃん」

大丈夫?と今まで先生に診てもらっていたナイフ投げの青年が訪ねる。
彼の言葉に驚いたのは当然、その場にいなかった先生で慌ててセバスチャンと***の腕を引っ張った。

「ベティになんて大変じゃないか!まずは小さい子!大丈夫?どこも怪我してない?!」
『え、あ、私は大丈夫だから…!』
「本当に?ベティに引っかかれたりとかしてない?」
「先生ー。そっちのチビは大丈夫だと思うけど、しがみついてただけだし。問題は黒服の兄さんじゃない?頭かじられてたし」
「そ、そうか!とにかく君は早く医務室へ!!えーっと、小さい君はちょっと入口の方にいてくれるかな?」

セバスチャンを医務室に連れて行く最中、先生は振り向き***にそう告げる。
理由がわからず困惑する***に彼は「他人の傷を見たいのかい?」と困ったように尋ねれば、***は慌ててテントの入り口側へと移動した。

『…んー…』

医務室の方を眺めながら一人暇を持て余す。
虎に噛まれたのはセバスチャンだから傷なんかないはずだし、仮にあったとしてその程度の傷で騒げるほど生憎***は一般的な女の子ではない。

『まだかなー…わっ?!』
「え?!」

不意に入口から現れた人影に驚く。
それは相手側も一緒だったらしく、驚きの声が上がった。

「アンタはっ…!大丈夫かい?!怪我してないかい?!」
『え、はい、大丈夫です…』

入ってきたのは猛獣使いの彼女。
肩を掴む勢いでの問いかけに***は数歩下がる勢いで何度目かの大丈夫を口にする。
大丈夫、と聞いて彼女は肩の荷が下りたような溜息を吐いた。

「良かった…。ベティにしがみ付くなんて勇気あるよ、アンタ。もう少し大きくなったらウチに入らないかい?」
『…え?』
「冗談だよ。そんな困った顔しないで頂戴」

***に目線を合わせると、彼女は頭を撫でて医務室へと入っていく。
その直後「アンタはっ!!」と***にかけられたのとは別の声色がテント内に響いた。
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