穴埋めの答え
母が亡くなったあの日から、何かが変わった。
どこか物足りない、心にぽっかりと穴が空いたような。
その穴は金でも物でも埋めることはできない。
一生付き合うことになるだろうこの穴を、愛でるべきか哀しむべきか。
「翼君、ドーナツ食べない?」
「……は?」
窓の外から視線を教室に戻すと、目の前には某ドーナツ店の箱を持ってにっこりと微笑む悠里の姿。
補習前の教室に食べ物を持参している悠里というのが違和感ありすぎて、先程まで考えていたことが翼の頭からすっぽりと抜けてしまった。
「これから補習ではなかったのか」
「たまにはいいのよ。疲れた体には糖分補給も大切よ」
普段諫めるべき立場のお前がそんなことでいいのか、と翼は呆れてため息をついた。
その間にも悠里はウキウキと箱を開けてドーナツを取り出す。
「だいたいドーナツが欲しかったのなら、この俺が最高級のものを用意してやったというのに」
「そんなの悪いわ。それにポイントを貯めたら景品が貰えるのよ?」
「フン。庶民の担任らしいな」
ぶつぶつと文句は言いながらも、翼の手はドーナツへとのびていた。
ぱくりと一口頬張ると、ホロッと甘みが広がる。
糖分が頭にまわった、というわけではないだろうが、思考がはっきりしてくる。
そういえば幼い頃、よくドーナツを食べていた気がする。
「翼君?どうしたの?」
「What?」
「ドーナツをじっと見つめてるけど、美味しくなかった?」
「いや……庶民ドーナツというのもなかなか悪くない」
良かった、と悠里は笑って、自分もドーナツを食べた。
「……昔、母とよく一緒にドーナツを食べていた」
突然始まった翼の昔話に驚き、悠里は一瞬固まる。
しかしすぐに「そうなの」と柔らかく笑んだ。
「その頃は単に母がドーナツを好きなのだろうと思っていたが、違ったのかもしれない」
きっと母は今の自分のように、心に穴が空いていた。
小さな自分なんかでは埋められない、悔しいがあの父にしか埋めることのできない大きな穴。
そんな彼女は無意識に、同じく大きな穴を空けたドーナツと彼女自身を重ねていたのではないか。
「考えすぎかもしれんがな」
「……そうね。お母様はただ単に翼君とドーナツを食べるのが好きだっただけかもしれないわ」
「今となってはわからんことだ」
翼は再びドーナツを見つめ、その穴を埋めるかのように一気に食べた。
指についたカスを舐めとりながら、口元についたソレには気づかない。
その姿が年相応に見えて、悠里はクスリと笑う。
「!」
悠里の指が口をかすめ、翼は目を見開いた。
「食べカス、ついちゃってるわよ」
良い匂いのするハンカチが、翼の口を滑っていく。
なんだか懐かしい感覚。
遠い昔の記憶を呼び起こす。
「お母様のことはわからないけど、翼君の穴はこれから埋めることができるわ」
「……そうだな」
悠里の笑みはどこか自信たっぷりで。
翼は背中を押されている気がした。
いつかこの空洞が埋まるときがくる。
そんな気にさせてくれる人が目の前にいる。
穴埋めの答えは貴女の存在
きっと貴女が僕を救ってくれるのでしょう。
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捏造ばんざい
25100番キリリクでカナコ様に捧げます!
2008/07/27