91.溢れ出す(コトライ)
コトネと違ってオレは、話すことが得意ではない。でも話したくないわけではなかった。
「……長くなると思う」
簡潔に話せるとは到底思えない。だからそんな前置きをすると、コトネの瞳が輝き出す。
「うん。聞かせて?」
それはまるで誘い水のようだった。
オレの口からは、少しずつ、少しずつ。今まで言うことが出来なかった本音がこぼれ出していく。
話すのは苦手で、別段好きというわけでもない。そんなオレでも、ずっと。
伝えたいことは確かにあった。
92.近づく
「そんな甘そうなもの、よく頼むな」
「だって美味しそうだし。一口いる?」
「……ああ」
ソウルが愛飲する微糖の缶コーヒーは、私には苦すぎて駄目だった。
そんな些細なことから、生まれや性別や価値観に至るまで。私たちは似ていない、全くの他人だった。それはこの先だって変わらないし、違う人間同士であるから衝突だってする。
けれど私は、どうにかして近づきたいと思うから。
「これは、無理」
「残念」
だから、分かり合えないと嘆くのではなく、多少の努力をしていきたいと思う。
その結果が駄目でも、理解出来なくても構わないから。
「そっちはエスプレッソ?」
「ああ。飲むか?」
「じゃあちょっとだけ」
今日も一歩ずつ、少しずつ。彼に近くなっていく。
93.守る
「うわ……っ」
「気をつけろよ。ここ躓きやすいから」
「うん。ありがとう」
「手貸せ。その靴じゃ危ない」
「……あのさ」
「何だ」
「別に対したことじゃないんだけど。ただソウルがかっこよく見えるなあって……思わないこともないかもしれなかったり」
「……分かりにくいな」
94.惑う
失恋した訳ではなかったが、気持ちいい程ばっさりと髪を切って短くした。幼少期以来のショートカットに、ヒビキ君は驚いてくれたが、彼はどうだろうか。というより、そのためにきったのだから反応がないと困るのだが。
今日は旅に出たソウルと、数年ぶりに再開する日だった。
慣れないヒールも、おろしたてのワンピースも全て彼の反応を見たいがため。バトルのときに新しいことを試せば、困ったように、でも本当に嬉しそうに笑うのがソウルで。今日もそんな顔をしてくれないかな、と小さく地面にヒールを打ち付けていると、私の名を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。
「あ! ソウ……ル?」
「決まってんだろ」
私は言葉が出なかった。数年間で変わったのは、間違いなく彼の方だったからだ。髪は伸びてきたのか一つに纏め、前髪はピンで留めているお陰で以前より輪郭がはっきりしている。顔立ちも少年を卒業して、随分大人っぽくなった。ソウルは呆れたような顔をしているが、それも背が伸びているせいで、思いっきり見上げなければいけなかった。
つまり、私とあまり背が変わらなかった生意気そうな少年はもういなかったのだ。
「何か……色々、変わったね」
「そうか?」
時刻は昼前。どこか食べに行くかと提案したソウルの隣を歩いているのだが、あまりの外見の変わりように認識が付いていかない。まるで知らない人と親しく喋っているような、奇妙な感覚だった。
「髪、そんな短かったか」
「ううん。この前切ってみた」
「自分で?」
「まさか。どう似合ってる?」
普通と返ってきたら上々。そんなことを考えながら話していたせいで、足元への注意が疎かになっていた。ヒールが何かに引っかかり、大きく手前によろめく。慣れないヒールとワンピースが、更に背中を押すようだった。
「……危ね」
そんな私の体を、ソウルの腕が安やすと受け止める。腕の中でお礼を述べると、彼のお陰で無傷の体が静かに解放された。
「慣れない靴で遠出しようとするなよ」
「ん。ごめん」
怪我の有無まで聞いてくれて、今日のソウルは優しいなと思っていたところに、私を指差した彼は何気無いようにこう告げた。
「でも。まあ、似合ってるけど」
生意気そうで、だけど案外年相応だったあの少年の姿は、もうどこにもなかった。
95.夢見る
今にも夢の世界へ飛び立ちそうなオレの隣で、コトネは喋るのを止めなかった。
「私は赤いエプロンを着て、キッチンで夕食を作って待ってるんだ。私の帰りが遅い日はソウルが、かな。そして配膳を二人の子どもが手伝ってくれる。上がお転婆な女の子で、下がやんちゃな男の子。二人ともすごく可愛いくて、ちょっとだけ私たちに似てるんだ。そして四人で食卓を囲む。いっぱい喋って、いっぱい食べて。そしてみんなでご馳走さまをして。素敵だよね」
返事はしなかったが、コトネの夢物語は全部聞こえていた。平凡で幸せな家族像らしいそれは、オレには半分も想像出来なかったけれど。今日はいい夢が見れそうな気がした。
96.叶える
相棒が優しくて小柄なヨーギラスだから、トレーナーの自分が気が弱い子どもだから勝てないんだって言われた。
会ったばかりのガキの、トレーナーとしては有りがちな嘆き。けれど、オレとコトネは目を合わせ、そして互いに頷いた。
コトネの目には闘志が宿っていた。
「……本気で勝ちたいのか?」
「ソウルは甘いよ。勝つだけじゃなくて、見返さないと」
そう言うと、突然のことに目を丸くしているガキに手を伸ばす。
気が弱いから、優しいから、小柄だから、子どもだから。それがどうだと言うのか。
「君にその気があるのなら、私たちが手助けしてあげる」
ただしスパルタだけどね。幼くしてチャンピオンになったコイツは、とても真面目にガキに問いかけた。
勝ちたい。それが、ガキの答えだった。
「私たちも努力するから、よろしくね」
コトネのその言葉は、嘘偽りないオレの本心でもあった。
97.頷く
「さっきも言ったけど、エンジュは秋がいいよね」
「ああ」
どうでもいい言葉にも、当たり前のように頷いてくれるのが心地良かった。目線の先には深い秋、ではなく薄汚れたコンクリート。大舞台と言えども、その裏はかなり地味なものだ。場面に合わない発言を繰り返すのは、不安を打ち消すためじゃ、もうない。重い色をしたコンクリートにそっと触れると、冷んやりとした温度が指先から伝わり、頭を冴えさせる。
この向こうには、確か。目を閉じて、思い出したことを次々と言葉に乗せていく。
「きっと入場した途端、お客さんの注目を一心に浴びるんだよね。眩しすぎるほどのスポットライトに驚いて、大きな声援が降り注いできて」
いつからか私は、バトルを素直に楽しむことが出来なくなっていた。
会場を包む熱気、全力で盛り上げる司会者の声、フィールドの地面の感触。その中心で戦う自分の姿を思い描いて、自然と胸が高鳴る感覚を取り戻すための一戦。
私は対戦者にソウルを指名した。もっとも、彼以外を選択するつもりはなかったが。
「……私は、何を見てたんだろうね」
今までのバトルなら、フィールドに出た瞬間に歓声を浴びた。客席に何人も見知った姿を捉えて、バトルが終わればヒビキ君やソウルから連絡があった。そんな恵まれた環境は、ずっと変わらずあり続けていたのに。
「お前は好奇心旺盛だからな」
「え……そうかな?」
「どうせ、ポケモンバトル以外のショーや大会にも参加したいんだろ。あと珍しいことが起こってたら、すぐ近づいていくんだろ」
「うっ、まあ。そうかな」
さすが何年もライバルでいてくれているだけある、鋭い指摘。少しの沈黙の後ソウルは顔を背けた。
「お前が寄り道するのも、迷うのも想定の範囲内だ。……だから、別に。いい」
戻りたくなったときに、戻ればいい。そんな言葉以上に優しい声が反響して、私に伝わる。
「ソウルはまた、そんなに甘やかして。私が調子に乗るよ?」
彼の背けられた顔は、きっと恥ずかしさから真っ赤に染まっているのだろう。可愛げのあるあの顔を期待しながら、急激に距離を縮めれば。
「……離れろ」
覗き込んで見えたのは予想通りの表情
と、不安気な色を浮かべた瞳だった。心なしか私を小突く手も弱々しくて、困惑してしまったのは一瞬。
自然に笑え、私。心配かけてしまってたのなら、これ以上は。
「ねえ、ソウル」
「……何だ」
「今日はデモバトルだね。悪く言えばこの規模が大きいわけでもない大会の前座なんだけど」
突然の話題に、ソウルがようやくこちらを向く。不満があるわけじゃなくてね。震える手に気づかれないよう注意を払いながら、私は言葉を続ける。
「適当に終わらせるつもりはないから、最初で最高のバトルにしようね」
震えることなくはっきりと響いた声と、変わっていくソウルの表情に安堵する。その後目元や口元に浮かんだ愉悦を、ソウルは隠そうともしなくて。
目を奪われる。
「もうすぐ出番ですので、準備の方お願いします!」
「……あっ、はい!」
スタッフさんの声で我に返り、慌てて返事をする。あんなこと言っておいて、逆に煽られてしまうなんて、チャンピオンとしてまだまだ。
心臓の高鳴りも震えも、先程とは違う理由で酷くなる一方だったがやられっぱなしは悔しい。私は帽子を被り直した。
合図を出すためか、スタッフさんの一人が側につく。舞台裏までしっかりと届く歓声と司会者の声。向こうの景色は、思い出のままなのかそれとも。隣を見れば、トレーナーとしては満点の表情をしたソウルと目が合った。
「楽しむ準備は出来てる?」
「……もちろん」
おそらく自分も同じ顔をしてるのだろう。ソウルの頷きはとても心地よく、私の背中を押した。
98.恋う(こう)
ようやく防寒を気にしないでもいい時期になったこともあり、オレの機嫌は悪くはなかった。もちろんそんなものは些細なことなのだが。
イベント事も関係なく街中で流れる浮かれた曲を、煩わしいと思わなくなったのはいつ頃からだろうか。
「ソウル!」
静かとは言えない空間でも、その声だけは真っ直ぐ届く。呼ばれたことに応えるように、右手を小さく上げた。
本当はもっと前から気がついていたことは、知られないようにして。
99.感じる
ポケモンたちに触れる手つき。初雪を見たときの喜び。思ったようにバトルが出来なかったときの腹立たしさ。
ポケギア越しで伝わるお前の姿は、想像することが出来ても、やはり鮮明さに欠けていた。
『昨日のアオイちゃんが出演してた番組が面白かったんだけど、見た?』
「……こっちで放送してるか?」
『あ、そっか。ごめんね』
声だけでコミュニケーションを取るようになってから、些細な擦れ違いが増えた。そしてその度に、コトネが如何に遠くにいるかを再確認させられる。
というのは過去形で。
「ソウルに、会いに来ちゃった。ごめんね」
切るのを忘れていたせいで、同時に電話口からも声が届く。そういえばお前は人を驚かすのが大好きで、時々口だけの謝罪をする奴だったな。
「どう、嬉しい?」
「……ああ、最高」
そう答えれば、コトネは尋ねたくせにきょとんとするものだから、思わず吹き出す。
「迷惑とでも言って欲しかったのか?」
「……正直、覚悟はしてたかな」
馬鹿な奴。だけどそんなところも、オレの知っているコトネと、何一つ変わっていない。
「来るまでに何かあったか?」
「うん。えっと、まずはね」
問いかければ、コトネは流暢に話し出す。その表情や声色が変化するにつれて、昔に抱いていた感情が次々と蘇っていくのだった。
100.頼る
「っオーダイル、ハイドロポンプ!」
「ソウルありがと」
「コトネ、勝手なことばっかすんな!」
オレとコトネでタッグを組んでのダブルバトルの最中。なのに味方のコイツにいちばん冷や冷やさせられているのは一体どういうことだろう。
「ごめんごめん。でもほら、ソウルがどうにかしてくれるかなあって」
「……勝手なことばっか言うな」
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