51.寄り添う
コールが鳴ること十回。話中なのかと思ってしまうくらいの時間が経つと、ようやく電話が繋がる。
「おはよう」
『……ん。おはよ』
寝起き特有の低く掠れた声も、相変わらずだなあと思うくらいにはなった。
ソウルの予定があったときに、本人の要望で行って、それからずっと続いているモーニングコール。今は電話すること自体が楽しいからだが、最初はソウルに頼りにされたことが嬉しくてポケギアを握っていた。
「起きた?」
『起きた、けど。眠い』
「ああ。今日は寒いもんね」
ソウルは目覚めがあまりよくない。現に起きていると言いつつも話し方はどこかたどたどしくて、まだ完全に覚醒していないことが容易に分かる。ただ本人は二度寝するつもりはないようなので、一分くらい下らないことを話し続けた。
『顔洗ってくる』
「分かった。あ、今日の二時だよね」
『ああ』
「……これ、迷惑じゃない?」
『だったら取るかよ』
ソウルの場合刺々しくとも、肯定でも否定でもない中立的な言葉が返ってきた場合、こちらの都合のいいように理解して構わないことは分かっている。だからこれも了承の意であり、ちゃんと伝わったと言おうとしたが、それをソウルは珍しく遮った。
『助かってるから、続けろ』
念押しするように、彼はそう告げた。こんなことは初めてだったが、これも都合のいいように考えてもいいのだろうか。
「じゃあ二時に」
通話時間はいつもより少し長くて四分。でも今はそんなことより。
私はポケギアも放り捨てて、側にあるベッドへと勢いよくダイブした。
52.泣く
私は今日、チャンピオンからただのトレーナーとなった。
「ソウルは私のバトルを見てどう思った?」
「多分悪くはなかっただろ」
「私もそう思う。ヒビキ君とかグリーンさんは褒めてくれたし」
「……後悔でもしてんのか」
「ううん、バトル自体は楽しかったし満足してるよ。でもさ、負けたくはないわけ、だし。ちょっと悔しいかなって。ソウル……そっち行っていい?」
「……好きにしろ」
53.握りしめる
今の今まで、さすがにソウルは舞台慣れしてるなと感心していたんだけど。
「緊張? それとも興奮?」
「……両方」
余裕そうな表情とは裏腹に、握り返してきた手は微かに震えていた。深呼吸する音は聞こえてくるのに、震えは一向に止まらない。
初めて立つ会場で、カメラも含めてとんでもない数の視線に晒されると、どうしても動揺してしまう人は多い。いつもなら、安心させられるような言葉の一つでも掛けるのだが相手はソウルだと思うと、口をつく言葉も自然と変わってくる。
「私は嬉しくって、楽しみでしょうがないよ」
「おめでたい奴」
「なんで」
ソウルの発言に悪気はないのだろうが、思わずむっとする。私だって無様に負ける可能性を考えると怖いし、会場の空気に呑まれてしまいそうにだってなる。でも、だけど。
「ここはポケモンリーグ。私はチャンピオン。そしてライバルのソウルが挑戦者」
グリーンさんがチャンピオンで、レッドさんが。その話を聞いたときから、ずっとずっとこんな光景を夢見てた。
何が不満?と続ければ、ソウルの震えはぴたりと止んだ。代わりに余裕そうな表情は消え去り、挑む者の顔つきに変わった。
「絶対、勝つ」
「私だって」
こんな慣れたやり取りを、この舞台で出来るなんて。
持ち場についてからは、ソウルは私から視線を逸らそうとしなかった。審判がバトル開始を告げ、上空高くへ舞う二つのモンスターボール。互いによく知ったポケモンが現れた瞬間、チャンピオンの座を守り続けていて本当に良かったと思った。
54.なぞる
「あと一つだから、待ってろ」
その言葉が何を意味してるのか、私には全く分からなかったが、ふとあることに思い至った。
ここ一、二年くらい、ソウルは各地の大会に出場するようになった。もちろん大会なんて長い月日の、ほんの数日だから彼の行動範囲が変わったわけではないのだが。けれど彼は、各地の小さな大会にまで足を運ぶようになった。そして全ての大会で優勝を目標に掲げ、今のところ達成率は百パーセントだ。
大会慣れを目指しているのだろうというぐらいにしか思っていなかったその行動だが、一体いくつ優勝したのかを数え出してある共通点に気づく。そして私は直ぐ様、ポケギアを手にとった。
「ソウル。待ってる」
それだけ伝えて電話を切る。
指折り数えてみたそれは全て、私が以前出場したことのある大会だ。そして残すは地方の小さな大会と、それからポケモンリーグだけ。だから、ここまであと一つ。
あと一つを余裕で勝ち取り、私の痕跡をなぞって辿り着いたライバルはリーグ戦も勝ち上がり、そして大勢の観客が見守る中運命のチャンピオン戦。一瞬でそこまで想像させてくれる程、ソウルはお膳立てしてくれていた。期待には応えたい。そしてもちろん全力で。
「勝つのは私たち、だよね?」
手にしたモンスターボールに語りかけると、その中で仲間たちが元気良く鳴いた、ような気がした。
55.慕う(学生パロ)
桔梗駅の春は、桜色に染まる。
奥から二つ目の柱の側。学校に行くだけなら早過ぎる時間。今日も制服を着崩すことなく、本を手にして電車を待つあの人を見つけた。
学生帽から覗く凛々しい顔や、椿のような色をした髪に一瞬で目を奪われたのが始まり。でも話し掛ける勇気などなく、三両ほど離れたところから横目で伺う日々が続いていた。そして未だ彼は、私の存在を知らないに違いない。
多少の遅れもなく到着した電車に、気落ちするのはいつものこと。もう一度だけ。そう思ってあの人へ視線をやると。何故か、あの人も此方を見ていた。
髪と同じ色をした、印象的な目に吸い込まれそうになる。
「お、おはようございます!」
それでも何とか声を絞り出すと、あの人も軽く会釈をした。学生としては普通の、ありふれた反応なのだろう。
あの人と目があった。そんな些細なことで、私は。
発車ベルがけたたましく音を立てる。桜の花びらがふわり、車内に舞い込んだ。
56.憧れる
「バトル?もちろん大丈夫ですよ!」
チャンピオンコトネは基本、申し込まれた試合を断ることをしない。それは絶対に負けない自信があるためではなく、ただバトルが大好きだからだ。
オレはそんな場面に何度か居合わせたことがある。
「バクフーン、かえんほうしゃ!」
対戦中のコトネは、世界中の誰よりもバトルが好きなんじゃないかと思う程にいい顔をする。
悔しいけれど。そんなアイツの姿にはいつもくぎ付けになってしまうのだった。
57.疼く
いつも通りの表情や声色とは裏腹に、控えめに裾を掴む手が震えていた。
「どうかしたか?」
「……そういうことは言わないで」
その手を取って指摘したのは、もちろんわざと。期待通り、コトネは口を尖らせた。更に言葉を続ければコトネが腹を立てると知りつつも、口は動き続ける。
「具体的には?」
「だからっ……今日は随分余裕なんだね」
「そうかもな。でも、話を逸らすなよ」
そういうことって、何?
甘い声を意識しながら耳元で囁けば、コトネの表情に変化が表れた。頬も耳も真っ赤に染まるのを見て、オレの口はまた、優しい声色で言葉を紡ぐ。まだコイツには指一本触れていないというのに、だ。
「意地悪」
「この程度で言うなよ」
余裕なんて、全然ないんだから。
58.絡める
決して紳士的ではないソウルの態度は、時に非情な印象を与えるらしい。
隣にいる私にはそう映らないのだけど、第三者から心配されたり注意されることが何度かあった。いちいち否定するのも煩わしいので、大概は曖昧に答えているのだけど。
滅多に人に出くわすことのない、二人きりの夜道。私が口を閉ざせば途端に静かになる世界は、ずっと続いているような錯覚に時折襲われる。
そうやって目的地もなく、並んで歩いて、かなりの時間が経った頃だった。
「……ん」
私の左手が、冷えた指先に捕らわれる。簡単に振り払えそうな程弱々しいそれに熱を奪い取られるような感覚がしたが、もちろん不快なんてことはない。ちゃんと手を繋ぐために握り返すと、ソウルの指が器用に動いて、私の指を一本ずつ絡め取る。
いわゆる、恋人繋ぎ。そんな甘い名称を思い出すと嬉しくなって、今度は応えるために握り返す。手は冷たくなるのに、心はじんわり温かい。私だけかと思えば、横目で見たソウルの表情もどこか穏やかなものに見えて。二人きりの道がずっと続けばいいのに、と本気で思った。
例えば車道側を歩いてくれるような
例えば歩調を合わせてくれるような。そんな彼らしい愛情が、私は大好きなのだ。
59.惹かれる
重要なバトルを後に控えたコトネ。とてもリラックスしているように見えるが、これでそれなりに緊張しているらしい。名前を呼ばれたコトネは、立ち上がると真剣な顔つきでこう言った。
「勝ってくるね」
格好いいな、とはもちろん言えなかったが。
60.騙す
「明日、旅に出る」
前置きもなく突然そんなことを発言したが、コトネが動じている様子はなかった。
「そっか」
「報告しなくてもいいかもと思ったんだけどな」
「何で?」
「だってお前、別段何とも思わないだろ」
「そんなこと、ないよ」
「どうだかな。今だっていつも通りだし、事後報告でも良かったかもな」
「そんなことない!私は……」
「へえ?」
消え入るような声だったが、コトネは確かに言った。私は寂しいよ、と。滅多にない泣きそうな表情が、その言葉が本心からであることを裏付けている。もういいか、とコトネの耳元でオレは囁く。
「嘘だけどな」
「……え」
「旅になんて出ねぇよ」
もう少し嘘を続けていればコトネがどういう態度を取ったのか興味があるが、あまり虐めすぎるのもどうかと思うし、それに。
「いい顔」
「……さい、あく」
嘘で良かったとほっとするこの顔が、本当はいちばん見たかったのだから。嘘もつくし多少虐めもするが仕方ないだろう?
オレはコイツのことが好きなんだから。
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