41.憂う(ヒビキ視点)

砂糖とミルクを一つずつ。
ティースプーンでゆっくりとコーヒーを掻き回すコトネはもう、大人の女性にしか見えない。

「でもソウルがね……」

昔は、コーヒーなんて苦くて飲めないって言ってたのにね。そういえばソウルも、ミルクティーが飲めるようになってたっけ。依然としてコーヒーをかき混ぜてる手が、ぴたりと止まった。

「聞いてる?」
「もちろん」

嘘も方便。不安と言う名の惚気は、余程の忍耐力がなければ真面目に聞いてられない。それが大好きな幼馴染と友人についてだとしても、同じことで。

「そんなに不安なら、直接聞いてみれば?」

自分のポケギアを手に提案してみる。恋は人を臆病にさせるもので、思った通りコトネは渋った、が。

「えいっ」
「ちょ……ちょっと!」

ボタン一つで、遠くの相手と繋がり、幼馴染の背中も押すことも出来る便利な時代になったものだ。ただし相手が出なければ無意味だが。
幼馴染の不安は早く払拭してあげたいし、何より惚気はもう充分だ。ソウル、ちゃんと出てよ。その願いはたったワンコールで通じた。その早さに、いつも僕が掛けるときはなかなか繋がらないのになあと驚く。
もしもし。告げるはずだったその言葉は、ソウルの慌てたような第一声に遮られた。

「もしもし、コトネか?」

きょとんとしてから、僕は盛大に吹き出した。やっぱり惚気じゃないかと思いながら、黙ってコトネにポケギアを差し出した。

「えっと、ヒビキ君から替わりました……」

あわてん坊の彼は、受話器の向こうで苦虫を噛みつぶしたような顔をしていればいい。
全く、杞憂にも程がある。


42.応える

「ポケモンの期待に応えるのが、私たちトレーナーの務めじゃない?」

一人と一匹じゃなくて、一緒に戦ってるんだから。いつだったか、コトネは当たり前だと言わんばかりにその持論を語った。努力でも経験でも言い表せない、センスを根底に戦っているコトネ。一見適当そうな奴が、そんな風に考えているなんて思わなかった。
その声色に、オレを非難するようなものは含まれていなかった筈だ。だからこそオレも、反発することなく素直に受け取れたのだろう。

「勝つ」

戦うのは一人と一匹じゃない。そう思ったとたんに、バトルの景色は大きく変わった。勝ちたいでも、勝てでもなく、一緒に勝つ。
急激な変化に最初は戸惑いもあったが、コトネが見ているのも同じものなのかと思うと、不思議と嫌な気分にはならなかった。


43.祈る

私がまた旅に出ることに、ソウルは賛成も反対もしなかった。
そして旅立つ日に渡されたのは、エンジュの健康と安全のお守り。信仰心が殆どない彼だが、ないよりはマシだろうと渡してくれた。帰ってきたら、倒してやるからバトルしろよ。そんな言葉も添えられて。

旅は楽しいことばかりじゃない。危険な目にあったことも、悔しい思いをしたこともある。両親やヒビキ君やソウルに会えて、龍の穴やシロガネ山で修行が出来るジョウトやカントーを恋しく思うこともある。
だけど、ソウルは倒してやると言ったんだから。そう思い返すと、ライバルの私も頑張らなくてどうするんだ、という気になった。つまりはただの強がりで負けず嫌いだけど、でも私はそうやってここまで来た。
連れ歩いているデンリュウは、陽気な歌を歌いながら道を行く。その声はとても楽しげで、私もつい同じメロディーを口ずさんでいた。そしてとある平原にたどり着くと。

「わ……!」

多くのハネッコやポポッコたちがそよ風に吹かれ、舞っているようにも見える姿に心を奪われる。デンリュウも真ん丸の目を輝かせて、感動していた。
平原に着いてからは私もデンリュウも上機嫌。好き勝手に歌を歌いながら、スキップするような足取りで歩いていく。それはとても楽しいもので。
こんな日々が、ずっと続いて欲しいから。鞄の中に大切に仕舞われているお守りに、健康と安全をしっかりと祈ったのだった。


44.眠る

「……コトネ?」

眠っていたらしい。左隣に体温を感じ声を掛け、ようやく思い出す。
ここ数日寝る間も惜しんで修業をして、今日コトネとバトルをしていいところまで行って、それからポケモンセンターに寄って……ああ、じゃあここは。

「あんまり無茶したら駄目だよ、ソウル。ニューラたちが心配するから」
「……分かってる」

ほとんど考えもせず呼んだ名前がコイツで良かったと思った数秒後、オレは慌ててその考えを否定した。


45.振られる(教師×元高校生パロ)

「委員長。コーヒー淹れた後にそこの問題集の答え合わせしといてくれ」
「えー、先生酷い」

卒業してから三年も経つと言うのに、互いの呼び方も付き合い方も、何一つ変わらないままだった。
ホットコーヒーが好きなのに猫舌だとか、生徒が淹れたら実は苦手なブラックも飲んでくれるところだとか。大量の課題を出すのも、厳しい授業も生徒のためを思ってのことだとか。
不純な動機から委員長になった私は、そんな一面を知る度に更に先生に惹かれたのだった。

「ねえ、先生?」
「何だ?」
「私をお嫁さんに貰って欲しいんですが」
「……真顔で冗談言うのはやめろ」

手を止めて呟かれたその声に、動揺の色は一切ない。

「あ。ばれました?」
「二年前と同じ手は食わねェ」
「またまた。昔もすぐに見破られましたよ」
「……大体、お前はなあ」

大人をからかうなとか、ほんの冗談のつもりでも痛い目に合う事があるとか、好きなやつに言ってやれとか。高校時代と、全く同じお説教を頂いた。

「とにかく、そういう冗談はやめろ」
「……はーい」

先生のお説教には、生徒に対する愛情が含まれている。それを分かって嬉しくなってしまうのも、生徒扱いがちょっぴり寂しいのも、冗談みたいな形でしか告白出来ないのも。
私は、昔から何一つ変わっていないというのに。


46.眩う(まう)(コトライ?)

「シャンプーの銘柄変えてみたんだけど、分かる?」
「ん。あ」

珍しく寄りかかってきたコトネの髪からは、いつもの甘い香りはしなかった。それはよく知った、多分オレと同じ銘柄のもので。

「当たり?」
「……当たり」
「やった」

悪戯が成功した子どものように笑うコトネ。これは無自覚ではないのだろうと眉を顰めるも、嗅ぎ慣れた匂いに眩暈がした。


47.見つける

「意外でしょ?」

どうにか埃を被ることはないが、部屋の隅で居心地が悪そうなそれを見て、ソウルが珍しく反応した。ケースを開けると、長らくインテリア以上の働きをさせてもらえていない鍵盤が姿を現す。
誰が使っていたのかはワタルさんでも分からないらしいが、立派だという理由で家具の一つと化していた。角張った指で触れると、音が一つ零れ落ちた。それから多分、ドレミファソラシドレミ、と指が動いたのだと思う。楽器の類はからっきしな私は、その光景をただ見つめる。

「調律してはないよな」
「うん、残念ながら。というか弾けるの?」
「弾けるって程じゃねェよ」

けれどソウルの指は、鍵盤の上で踊り出す。最初は右手だけだったけれど、その内十の指がバラバラに動き出すようになった。すると、音はとたんに優しい曲になる。
ピアノを弾けることも、器用に指が動くこともそうだけど。なによりソウルが奏でる音が、とても穏やかなことに驚いた。普段やバトル中の彼からは想像もつかない繊細なそれに、思わず聞き惚れる。

「……忘れた」
「他の曲は?」
「だから弾けるわけじゃねェって」

そう言いながらも、曲調の違うメロディーを奏で出す。そっとソウルの顔を盗み見ると、音に比例するような柔らかい表情を浮かべている。そんな顔、するんだ。
ピアノが弾けるようになったのは、きっと旅に出た前だろう。そう思うと。
優しい音が続いていく。彼のルーツに触れた気がした。


48.忘れる

まずはその体温や匂い。それから顔。時々ポケギアで話しているから声だけはなんとか大丈夫だが、それ以外は徐々に朧気になっていく。

「長いなぁ……」

会えなくなってもう数年が経っていた。
覚悟はしていたけれど、一日だって忘れたことのない彼の存在が、少しずつ薄れていく感覚はなかなかに堪え難い。
その内彼を好きなことまで忘れそうで怖くなるけれど、目を閉じても彼の存在をぼんやりとしか感じられなくて。
今日の私もきっと何かを失っていくのだろう。忘れたいことなんて一つもないというのに。


49.信じる

いくら無謀で無茶だと言われても、やらないといけないことはあるだろう。特に私は、チャンピオンなのだから。
ただ周りがそれをどう思うかは、また別問題で。

「ヒビキの奴はもう側にはいねェから。止めるのも、心配するのもオレがやるべきなんだろうが」
「……うん」
「まあ。責任を取る覚悟はとっくにしてるけどな」

だってお前はそんな奴だし、迷惑を被るのなんて予想の範囲内。なんて失礼なことを言いつつも、その口調はとても穏やかで。
そして彼は、優しい口調のまま、私の背中を静かに押すのだ。

「信じてるから」


50.振り払う

「私もこのタイプのポケモンだけ、って決めてバトルしてみたいなぁ」
「気が多いお前がか?」
「まあ、そうなんだけどね」

コトネがチャンピオンの座から退いてもう随分経つ。長い付き合いになり、ライバルとも友人とも違う曖昧な関係であり続けているが、それに不満はなかった。筈だった。

「でももう何年もやってるから。たまには違うことに挑戦してみたいなって」
「……オレは止めたからな」

露出する肩や鎖骨に自然と目がいき、自己嫌悪に陥る。見慣れたはずのちょっとした仕草や発言が、脳の中を占拠する。その症状がどういった意味なのか気づけない程若くはなかった。残念ながら。

「じゃあソウルも一緒にやろうよ。同じタイプのポケモンで。そうだったら私も出来ると思うし」

コトネの発言は間違いなく、昔から知っている仲のいいトレーナーに向けられたもの。分かっていても表情が緩んでしまうのを隠すため、大きく溜め息をつく。何で今更。

「悩み事?」
「あー、ただの優柔不断」
「それは珍しい」

知らないふりをすべきか、それとも。
私で良かったら聞くからね。コトネがふわりと笑うと、途端に鼓動が早くなる。
ガキじゃあるまいしと顔を顰めたが、これがまだ序の口とは思いも寄らなかった。



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