「何か伝えたいことは?」

 もし会えたら、という前置きは実際必要ないのだが、今の私はレッドさんの居場所を知らないことになっているから。ポケギアの向こうにいるリーフさんは、刺々しい言葉と裏腹な口調でメッセージを託してくれた。
 なるべく正確に伝えようとリーフさんの伝言を反復して、ああ、と。その意図に思い当たり、つい笑みが零れた。

 ほんの数ヶ月前に一目惚れして買ったマフラーは、既に酷い有様だった。来年もまた使いたかったのに。原因は一つだよなあ、ともう迷うこともないくらいに通いつめたシロガネ山を見上げる。思い出が増えていくこの山は、いつもより高くそびえ立っているような気がした。しかし、ここで帰るわけにもいかない。可愛いかったはずのマフラーを巻き直し、大きく深呼吸。うん。やっぱり緊張してるし、怖いし、一人で不安だけど、仕方ない。
 さああの人の本心を探しに行こう。


「こんにちは」
「久しぶり。早速する?」

 この寒さの中、半袖でいられるなんてありえない、なんて考えている内にその張本人の元へと辿り着いた。バトルを前にしたときだけに見せる、非常に好戦的な目つきにぞくっとする。
 レッドさんは今も昔も私の憧れで、何度だって戦いたい。特にこの目を向けられると余計にそう思うし、いつもなら喜んでお受けするところだ。
 でも今日の目的はそうじゃない。バトルをすれば決意が揺らいでしまうかもしれない。私はゆっくりと首を横に振り、その嬉しい誘いを断った。

「あの。今日はお話がありまして」
「……どうしたの?」

 そう尋ねるレッドさんの口調からは、気遣いが伺える。それは私の前で見せるいつも通りの、憧れ続けている姿のままだった。
 だからこそ、これから口にする内容を想像しては、躊躇いを通り越して、恐怖すら覚える。今のところ冷静に振る舞えているつもりだが、手は寒さではない理由で小さく震えていた。生意気で無礼な態度を取ることを心の底から詫び、渇いた口をなんとか開いた。

「もう、ここには来ません」

 広大な銀世界で、自分の声だけが明瞭に聞こえる。嘘つきで弱虫の私の緊張はピークに達していたけれど、何とか勇気を振り絞ってレッドさんを真っ直ぐ見据えた。

「……どうしたの」
「きっと、レッドさんの考えている通りです」

 レッドさんの言葉には質問以外の、先程と違った意味合いがこめられていると気づいた上での返答。そう、と口にして、彼の表情が微かに変わる。言葉にするなら無表情から無表情へなのだが、バトルを誘ってくれた姿とは別人のようだった。

「バトルしたければ戻れってこと?」
「いえ。そこまでは」
「……グリーンたちとそんなに仲良かったっけ?」

 天候が穏やかだったのも数分前までの話で、現在は吹雪始める気配を見せている。視線を逸らすのはどうにか堪えているが、直ぐにでも逃げ出したくなるような圧迫感に押し潰されそうだった。
 レッドさんに冷たくされることも、彼を傷つけたり怒らせてしまうかもしれないことも、想定の範囲内。その想定に、私は緊張し怯えていたわけだが。
 想像以上だ。人の核心に触れるということは。
 ようやくここまで来れた、という思いなんて吹き飛ばしてしまうくらいに、今のレッドさんは酷く遠い。意志と意地だけで身体を支え、平静を装いながら言葉を紡ぎ出す。

「私が勝手に、あの方たちの役に立ちたいだけです」

 レッドさんとの秘密は守ってますよ。そう付け加えると、私に対する興味が失せたことが見て取れた。これ以上何を言っても無駄なのかもしれないけれど、自分には話すことしか、伝えることしか出来ないから。寒いのに汗ばんでいる手を握りしめて、私は笑った。

「次はどこか暖かいところで会いたいですね。……ああ、それと。リーフさんから伝言を預かっていまして」

 あえて最後まで残していた話題は、それなりに効果的だったらしい。私の言葉には終始無表情だったレッドさんが、リーフさんの名前を出すと、驚きの表情を微かに垣間見せた。
 やっぱり、私じゃないんだ。分かってはいたが改めて思い知らされた事実に、安堵しつつも爪の先ほどの嫉妬を覚えた。
 醜い感情には直ぐさま目をつぶり、随分優しい声色だったな、などとポケギア越しのリーフさんを意識しながら、一語一句変えずに言付けを届ける。

「帰ってきたら、覚悟しとけよ」

 ちゃんと、リーフさんの言葉として伝わっただろうか。不安になったが、その答えはレッドさんの表情が全てなのだろう。
 正直彼のどんな表情も、初対面の人には分からない程度の小さな変化だ。僅かにまぶたや口角が動くだけだから。それでも私は分かった。見落とさなかった。
 レッドさんは確かに笑ったのだ。それも氷を優しく溶かす、穏やかな春のように。

「……リーフらしいな」

 心にじんわりと染みこんでくる静かなテノールに、私は黙って頷く。

「今なら、コトネだけになら。全部話せる気がするよ」
「私が先に聞くわけにはいきませんよ。レッドさん」
「……そっか」

 散々失礼なことを言ってきたが、戻ってきて欲しいなんて我が儘を言うつもりはないし、それは私が言えることじゃないと思っている。
 でもレッドさんに憧れるトレーナーとして、バトル好きな現チャンピオンとして。これくらいの発言なら、許されるのだろうか。

「チャンピオンの座を奪われるなら、レッドさんがいいですね」

 こんなことを口にするのは、きっと後にも先にもこの人にだけだ。

「それでは。お元気で」

 言いたいことは全て伝えたつもりだ。それが届いていないとしても、私が出来る限界はここまでと決めている。
 今までのお礼も兼ねて深く頭を下げてから、踵を返し再び地上を目指し歩きはじめた。心の片隅ではレッドさんに呼び止められることを期待していたが、やはりそう上手くいくものじゃない。
 一人で地上に降り立った私を、夕焼け空が出迎えた。随分とみすぼらしい姿になってしまったマフラーを外すと、身体は急激に軽くなる。ボロボロのそれは、あと何回持つだろうかと考えてしまう程だった。丁寧に畳んだそれをそっと鞄に仕舞い、少しだけ日が長くなった帰り道を確かな足取りで辿っていく。
 一歩ずつ、少しずつ。春に近づいていた。




4.決別

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