「レッドさん、久しぶりです」
「ありがとう。中置いといて」

 全く慣れたものだ。

 最初はみんなでボロボロになりながら突き進んだシロガネ山も、今では食料が入ったビニール袋片手に登れるようになっていた。
 レッドさんの部屋と化している小屋に入って、荷物を置くと古びた木のテーブルはキイと音を立てる。
 カップラーメンはここで水はあっち、それから。仕分け作業をするのはいつの間にか私の仕事になっていた。

「値段いくら?」
「お金はいいです。その代わり……」

 小屋を出てすぐにかけられた言葉に私は首を横にふる。バクフーン、と連れ歩いていた相棒の名前を呼ぶと炎が大きくなり雄叫びを上げた。バトル好きにこれ以上の言葉は要らない。
 いくよ、ピカチュウ。もちろん意味は伝わった。レッドさんの小さなテノールは、私の耳にしっかりと届いた。




「コトネ。何かあったの」
「何がですか?」
「前より弱くなってる」
「あー……最近バトル以外のことで忙しくて」

 やっぱり今日も。両の指で足りなくなったときから負けた数は数えないようにしている。

「俺に勝つんでしょ」


 レッドさんと会ったのは偶然だった。
 初めて姿を見たときは遭難者かと思い駆け寄ったけれど、それにしては半袖に少ない荷物でちょっと奇妙。表情まで読み取れる距離まで来たとき私はようやく気づいた。テレビの中の、あのすごい人だ。
 最初にレッドさんとバトルをした時はボロ負けして、リザードンによってポケモンセンターまで送り届けられた。それは嬉しくて情けなくてなにより悔しくて、気がついたら口が勝手に宣言していた。
――必ずレッドさんに勝ってみせます。

「あのですね」
「なに?」
「あれ忘れてくれたら嬉しいなあー、なんて」
「却下」

 ひどい、と心の中で呟きながら帽子を深く被り直す。なかったことにしたい位恥ずかしいのに。

「俺は忘れない。だから約束守って」
「……はい」
「結構楽しみにしてるんだけど、俺は。ここにいてもあんまりそんな人に会えないし」
「そりゃそうですよ」

 こんな冷たくて恐ろしい山奥なんか、積極的に来る人の方が珍しいに決まってる。

「セキエイだったらたまに見かけますけど」
「でもコトネ以上に強い人がいないなら、期待も出来ないな」
「冷静ですね……」

 私が現チャンピオンでレッドさんは二代前のチャンピオン。けれどセキエイで遭遇したことは一度もない。理由は分からないけど戻る気はまったくないらしい。

「そういえば、この前グリーンさんとリーフさんを見かけましたよ」
「へえ」

 バトル後は例の小屋の中、マットが敷かれた床の上で並んで座り暖を取っていた私たち。机の上に立てられている写真がふと視界に入って、私はそんなことを言った。

「グリーンさんがまた背伸びてて。えっと、この位で。あとリーフさんの髪も長くなってました」
「それでもそんなにだと思うけど」
「え?」
「昔のリーフはもっと長かった」

 私が手振り身振りで話をすると、レッドさんは立ち上がり卓上の写真立てを手に戻ってきた。写るのは私が知らない頃の三人の姿。何故か泥だらけのリーフさんはレッドさんの右側で笑っている。

「多分これがいちばん長かったとき」
「本当だ。腰くらいまでありますね。……ところでリーフさんはなんで泥だらけなんでしょうか」
「鬼ごっこの最中に水溜まりでこけたから」
「ああ、それで」

 レッドさんは優しい手つきでほこりを払って、グリーンさんにデコピンを軽く一発。昔はチビだったくせに、と小さな声で文句が聞こえ思わず吹き出してしまった。
 ここ数年間、グリーンさんとリーフさんに会っていないらしい。だから私はお二人の話題を極力避けるようにしていた時期もあった。

 でもいつだったか。レッドさんが昔の話をする時は必ず、元チャンピオンではなく表情豊かでいつもより少し饒舌な『レッド』になるのに気づいたのは。

「グリーンさんだって伸びようと思って伸びたわけじゃないんですから」
「でも絶対自慢してくるから嫌。腹立つ。ウザい」

 写真の中ではグリーンさんの隣で優しく笑っているレッドさん。それを見ていると罵詈雑言も攻撃力はゼロだ。
 一体何を考えてるんだか。

 疑問は湧くけれど、無表情が多いレッドさんから読み取れそうにはない。だからと言って直接聞ける程の勇気は持ち合わせてないから、仕方なく首を傾げるだけに留めておく。
 留めておこう、と思うのだけど。
 レッドさんとこういう話をする時、決まって同じ場面ーー初めてグリーンさんと話したあの時のことが思い出されるのだった。

「レッドさん、楽しそうですね」
「気のせいじゃない?」
「そうですかね」

 例えばヒビキ君がレッドさんだったら。
考えただけで、まるで世界に一人っきりのような気持ちになって胸が苦しくなる。それが数年間。グリーンさんとリーフさんは、一体どんな思いなんだろう。

「レッドさん」
「なに」
「……ここでの生活って楽しいですか?」
「うん。それなりに」
「そう、ですか」

 自分から聞いたものの何と続ければいいのか分からなくて、私は黙ってしまった。
 会話がない状態が数分程度続いた。あまりの居心地の悪さに何か話さないと、と話題を探すけれど、気持ちばかりが焦って何一つ思い浮かばない。

「コトネ」
「はい……っ」
「大丈夫」

 不意にレッドさんの手が私の頭上に伸びて、ぽんぽんと帽子ごしに頭を撫でられた。

「うん、大丈夫。俺は楽しいよ。ね」
「……レッドさん、子供扱いしないで下さい」
「えー」

 茶化すような、でも言い聞かすような言葉のおかげで私たちは沈黙から開放された。感情のこもっていない非難の声に文句を返しながら、ふと思う。

「残念ながらまだまだ子供だよ。コトネも俺もね」

 もしかしたら何か気づかれているのかもしれないな、と。

「そうなんですかね」
「そう。俺がシロガネ山にいるのは楽しいからってだけだし」
「うーん……」

 レッドさんの言葉は簡単で、でも難しい。少し悩んでみたけれど、今の私では理解できないだろうという結論に至って、考えることを放棄した。

「そうだ。あのさ」
「何ですか?」

「俺がここにいるのは、引き続き誰にも内緒で」

 それはまるで魔法のよう。私は反射的にコクンと頷く。気づかれていようがなんだろうが、レッドさんが良いなら私の返事はイエスに決まっていた。
 憧れのレッドさんはこれでいいと言う。私は何も知らない。そんな自分がノーなんて言えるはずもないのは一目瞭然。

「分かりました」

 そう。否定する権利なんてあるはずがないんだ。
 たとえ本心では戻ってきて欲しいなんて思っていたとしても。



1.秘密



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