※文次郎が画家



とある有名な画家がいた。
彼の絵は、見るものにあたかもその場にいるような、風を、匂いを感じさせるような素晴らしいものだった。
彼は風景画を好んで描いていたためか、人物画は描いていないと思われていた。
だがそれは間違いで、数こそ少ないが彼が描いた人物画はしっかりと残っている。
全部で6枚、彼は人物画を描いた。
描かれた人物のうち5人は、彼の身の回りの世話をしていた友人であった。
では最後の1人は誰なのか。


彼ー名を文次郎というーは絵を描くことがとても好きだった。
画家を生業にしているのだから当たり前だと言われてしまえばそれもそうなのだが、彼は文字通り心血を注いで絵を描くような人間だった。
1枚の絵を完成させるまで眠ることも、また食べることも忘れ一心不乱にカンバスに向かっていた。
そのせいで彼の目の下には常に黒い絵の具をべったりと塗ったような隈が鎮座していた。
絵が完成した後、栄養失調や睡眠不足で倒れるなんてことは当たり前だった。
そんな生活を心配した5人の古くからの友人が共に暮らし、彼の世話をし始めたのも自然の流れだったように思われる。
絵を描いている彼の口元に食べ物を持っていけば咀嚼し、嚥下する。
そのことで彼が栄養失調で倒れることは少なくなった。
そんなお互いを思い合う友情で結ばれていた彼らだったがその中に1人、友情を超えた想いを彼に抱いている人物がいた

絵を描いていないときに口を開けば口論となり拳が出るのも見慣れたもの、仲良くすれば雨が降る、そんな端から見れば犬猿の仲と呼べるような関係性だったが、確かにその友人ー留三郎ーは文次郎のことを愛していたのだ。
文次郎も文次郎で留三郎への感情に気付いていたわけではないが、心のどこかで留三郎を愛していたように思う。

ある時、1人の男が文次郎達が共に暮らす家を訪れた。
その男は商売人で、町で見かけた文次郎の絵に惚れ込み、専属の売人になりたいと思いやって来たのだった。
顔の半分以上を包帯に覆われ、黒の服で全身を包むその男は雑渡と名乗った。
雑渡は文次郎に頼み込み、文次郎が納得した作品だけを売る、という条件で契約が成立した。
その後、幾度となく文次郎が描いた絵を雑渡は買い付けに来た。
何度目の買い付けだっただろうか、ある時雑渡は文次郎に疑問に思っていたことを尋ねた。
「君は風景画ばかり描くけれど、人物画は描かないのかい?」
文次郎は少しばかり目を丸くした後、薄く笑って答えた。
「正直、俺はあまり人が好きではないのです。だから、俺がいつか人物画を描く時は、その人物を心の底から愛したときだと思うんです。」
その時の文次郎の微笑みが、眼差しが、あまりにも美しくて優しいものだったからか、雑渡の心に1つの感情が芽生えた。
彼に、文次郎に自分の絵を描いてほしい、自分を愛してほしい、と。
彼に愛する人ができる前に、自分を見てもらわなくては。
雑渡はある計画を思いついた。

まず雑渡は自宅に部屋を1つ用意させた。
扉1枚以外には窓も何もない、真っ白な部屋を。
そこに沢山のイーゼルを置いた。自分の絵を描いてもらうために。
文次郎を縛り付けるための鎖も準備して、残るは彼をこの部屋へ招待するだけになった。
そして雑渡はいつものように文次郎の家へ向かった。

「文次郎君、1つ提案なんだけれど、これからは私の家で絵を描いてくれないかな?」
もちろん文次郎は断った。
彼は自分の家と、友人達を大切に思っていたから。
雑渡は文次郎が断るのを予想していたのだろう、唇の端を釣り上げ、文次郎にこう囁いた。
「彼らは君の大切な友人なんだろう?怪我なんか…されたくはないよね?」
文次郎はその悪魔のような囁きに、頷くしか出来なかった。


文次郎は雑渡の屋敷で絵を描き続けた。
真っ白な部屋に1人繋がれたまま、描き続けた。
文次郎が思うのは友人達ばかりだった。
キャンバスに描かれるのは友人達で、雑渡ではない。
それが悔しくて、雑渡は何度も友人達の絵を破り捨てた。
そんなことが繰り返されるうちに、文次郎は本当に寝食を忘れただただ絵を描くことしかしなくなった。
友人達を、留三郎を描いた。
雑渡は何度も文次郎を止めようとしたが、無駄だった。
彼に雑渡の声は届かない。
彼にどんなに甘やかな愛の言葉を囁こうとも、抱き締めても、彼が受け入れるのはただ1人だけなのだろう。
「君の望む人は、きっともうすぐ来るはずだよ…すまなかったね。」
そう文次郎に呟くと、踵を返し部屋を後にした。


「文次郎っ!!」
雑渡の予想通り、文次郎の思い人である留三郎が屋敷にやって来た。
「てめえ雑渡!文次郎をどこにやった!」
詰め寄る留三郎に雑渡は冷静に返す。
「文次郎君なら廊下の突き当たりの部屋にいるよ。行くなら早く行ってあげた方がいい。彼、長いこと睡眠も食事も取ってないから。」
雑渡の言葉に色を無くし全力で駆けていく留三郎の後ろ姿に、彼は祈った。
「どうか、幸せに」


その後彼らがどうなったかはわからない。
けれど恐らく、仲良く喧嘩でもしながら帰ったんだろう。
雑渡は文次郎と二度と関わらないことを心に誓い、専属の売人をやめた。



文次郎が描いた最後の1枚、それは顔を包帯で覆った黒い服の男だった。
その絵の裏には直筆と思われるメッセージが残されていた。
『愛することを教えてくれた、我が友人に捧ぐ』


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