ことこと。
火にかけた鍋がいい具合に音を立てる。
具だくさんのスープを小皿にとって味見をする。

「……よし」

我ながらいいできだと思う。

好物の善哉とは違うけれど、ちゃんと彼は食べてくれるだろうか。

リビングの奥の扉。
その向こうで昨日からベッドを占領している幼馴染のことを思い浮かべる。

彼が田舎じみたこの町を嫌い、飛び出したのはまだ暑い盛り。
それからひと月たらずで音信不通となり、ずっと安否を気にしていた私の前に突然舞い戻ったのが昨晩のこと。
夕飯の食材を買い出しに行った帰りに、家の前で文字通り行き倒れているのを見つけた。
そして、それから丸1日経った今も、彼は目を覚まさない。

(……まさか、このままずっと)

ふわりと湧き上がった疑念を、頭を振って追い払う。
けれど、忘れようとすればするほど、衰弱しきった彼の様子が脳裏に焼き付いて嫌な想像ばかりを掻きたてる。

「……早く目を覚ましなさいよ、バカ」

出来上がったスープをトレイに乗せて、小さく愚痴る。
ともすれば溢れそうになる涙を堪えて、扉を開けると。

「あ、」

ベッドの上で項垂れている黒髪。

「気が付いたんだね、光……!」

起き上がっている彼の胸に飛び込みたいところだけれど、あいにく私の手には彼の食事が。
サイドテーブルにそれを置いて、戸惑った風な彼の隣に座り、そっと抱きしめれば低体温ながらもちゃんと感じられる温もり。

「なまえ……!? 何でお前がここに……」
「何でって……、光が帰って来たんでしょう?」

信じられないものを見たような表情の光。

「じゃあここは……、」

まさか、と自分の町の名前を出すので、私は当たり前でしょ、と頷いた。

「光、どうやって帰って来たか覚えてないの……?」
「あぁ……」

私の問いかけに、光はどこか遠くを見つめて頷く。
その横顔は、たった数カ月しか離れてなかったのに、この町にいた頃よりも随分と疲労をため込んでいる気がする。

あの光が道中の記憶を失うくらいだ、きっと相当な何かがあったんだろう。

そう解釈して、そんな彼に少しでも元気になってほしくてサイドテーブルに置いたままのスープを取りに立ち上がろうとした、瞬間。

「う゛……っ!?」
「光っ!?」

彼が突然胸を押さえて苦しみだした。

「大丈夫っ!?」

彼を支えるように抱き起こして背中をさするけれど、光はただ荒い呼吸を繰り返すだけ。

「ひゃっ!?」

どうしたらいいのかわからずに、寄り掛かってくる彼を支えていたら突然、ねっとりとした何かが首筋に触れた。
反射的に光を突き飛ばせば、虹彩を紅に染めた光が、じゅるりと舌なめずりをしてこちらを見つめる。

ぞくり。

得体のしれぬ悪寒が背筋を走る。

「ひか、る……?」

吐息にも似た声で彼の名を呼べば、光はにぃっと口元を歪めた。

「わ、」

やばい。

そんなことを思う間もなく、光に腕を取られベッドの上に組み敷かれてしまう。

「ちょ、光……っ!」

抵抗してみても男の光の力に敵うわけもなく、ばたばたともがくことしかできない。

「や……っ!」

そして光はそんな私にはお構いなしに、首筋を執拗に何度も何度も舐めてくる。
光の舌が肌を這うたび、ぞわりと得体のしれない感覚が込み上げる。

「光、お願い、やめて……」

それが気持ち悪くて、涙目でお願いしても光は止まらない。
それどころか、私が怯えているのを愉しんでいるようにも見えて、それが更なる恐怖を煽った。

――こんなの、私が知ってる光じゃない。

「光、ねぇ、光ってばっ!」

元の光に戻って欲しくて、必死に呼びかけると、熱に浮かされたような光の瞳が大きく見開かれ、瞬時に虹彩の色が紅から漆黒へと変化した。

「ひか、」

焦点の定まった彼の目と視線が交錯したかと思うと、光は私の拘束を解いて距離をとった。

「ちょっと光、大丈夫?」
「寄るな……っ!」

ぱしんっ!

自責の念に駆られ蹲る彼に差し述べた手は、強い力で払いのけられ、室内に乾いた音が響いた。

「逃……ゲ、ろ……」

何するの、と抗議の声を上げようとした瞬間、苦しげに絞り出された光の声。

「逃げろって……、」

何から?

さっきの行動といい、今も苦しんでる光の様子といい、何が何だかわからない。

「ええから早くっ!」

問い詰めようと一歩彼に近づけば、切羽詰まったような強い口調で逃げろと急かされる。
訳も分からぬまま、とりあえず彼の言葉に従って踵を返すと。

「待ちや」

どこからともなく、声。
そして声の主を探す私の目の前に、瞬時に現れた人影。

「屋敷を飛び出してまで、捜し求めたんはこの娘やろ? 何でみすみす逃そうとするんや」

突然のことに驚く間もなく、珍しい髪色をした男性に肩を抱かれ、光の前に突き出された。

「な……んで、ここ、に、アンタが」
「監視役やからな」

屋敷? 監視?

光と、彼の知り合いらしいこの男性との会話には、疑問符ばかりが浮かぶ。

この町を出て数カ月。
光の身にいったい何があったというのか。

全く内容のわからない2人の話。
けれど。

「構わへん。同じ化け物になるんやったら……、堕ちるとこまで堕ちて、殺されたほうがマシや」

ただ、光が命を捨てようとしていることだけは理解できた。

「この娘か、他の人間か……、誰かひとりを喰い殺した時点で、お前は銀の弾丸で蜂の巣や」

光が、死ぬ?
殺され、る?

そんなの――

「望むと」
「ダメっ!!」

気づけば、大きな声で叫んでいた。

光がいなくなってから、漸くわかったこのキモチ。
それを伝える前に、光がいなくなるなんて、そんなの絶対に嫌だ。

「ねぇ」

私は自分を捕えた男性に縋った。
詳しい事情を知っているこの人ならば、光が助かる術も知っているのではないかと。

「どうすれば光を助けられる?」
「簡単や」

一瞬、驚いたように目を見開いたその人は、次の瞬間には意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。

「キミの血を与えたればええねん」

にやりと歪められた口元から覗く鋭い犬歯。

……あぁ、そうか。

彼のその一言で、漸く私にも話が飲みこめた。
街にいると噂されていたヴァンパイア。
光はそれに魅入られて眷属にされてしまったのだ、と。

だから光は。
ヒトでなくなった自分が嫌で、死にたいのだと思う。

けれど、私は光に生きてほしい。
だから。

親指に自分の歯を立て、皮膚を破る。

「光、飲んで……」

小さな傷口から溢れ、球となる血液。
顔を背けようとする光の鼻先に、それを差し出せば躊躇いがちに彼の舌がそれを掬った。
ひとたび血の味を知ったせいか、繰り返し繰り返ししゃぶるように指先を舐める彼の舌。

「っ……」

その感触が擽ったくて、彼から逃れようとすれば、それを許すまじと手首を握りしめられる。

「なァ」

暫くその感触に耐えていると、恍惚とした表情の光がこちらを向いた。

「こっちも、えぇ……?」

妖艶な手つきで首筋を撫でる指。

「っ、」

ぞわりとした感覚に戸惑い、返事を躊躇っていると、その隙をついて、鋭い牙が突き立てられた。

「あぁっ……!」

不思議と痛みはなかった。
その代わり、肌を突き破った牙や、血液を舐めとる舌から、光の想いが伝わって全身を駆け巡る。



そして、どれくらいその不思議な感覚に酔っていたんだろう。

首筋に埋まった異物が、ずるりと這い出る感触。
大量の血を一気に失った身体を支えることができなくて、そのまま光の胸に倒れこむ。

「なまえっ!」

今にも泣きだしそうな光の声。

「だい、じょぶ……、少し貧血になっただけだから」

不安げな顔でこちらを見下ろす光。
血染めの色から漆黒に戻った光の瞳が哀しげに揺れる。

「ごめん、なまえ……。ホンマに、ごめん……」

項垂れる光の頭を、少し重たい腕を持ち上げて撫でる。

「私の方こそ、ごめんね、光……」

彼の意志を無視して、生き永らえさせる道を選んだ。
人だろうとヴァンパイアだろうと、構わない。
どんな形であれ、光には生きていて欲しかった。

例え自分が犠牲になったとしても。

「何で、そこまで……」

お前にとって俺はただの幼馴染にすぎんのに。

「違うよ。私にとって光は」

誰よりも大切な人。

それは、光が何になったって変わらない。

真っ直ぐに光の目を見て断言すると、彼は困ったように笑った。

「――……」
「え?」

吐息のようなか細い言葉。
上手く聞き取れなくて、顔を近づけるとそれを狙い澄ましていたかのように、唇を重ねられた。



暁に誓う永遠




(はじめてのキスは少し鉄錆の味がした)






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