ホシイ、ホシイ……
頭の中で囁く声。
異常なまでの飢えと渇き。
それが、俺の最後の記憶やった。
***
「ん゛……」
あれから自分がどうなったんかはわからん。
ただ目覚めたっちゅうことは、イコール飢餓ごときでは死ねへん身体になってしまったんやと、改めて自覚した。
「あ、」
自己嫌悪に陥って項垂れていると、聞き覚えのある声。
そちらに顔を向ければ、部屋の入口で温かそうな何かをのせたトレイを手にして突っ立っているなまえの姿。
「気がついたんだね、光……!」
感極まったと言わんばかりに、彼女の瞳がみるみるうちに潤んで水滴が零れる。
「なまえ……!?」
幼馴染みのなまえ。
街を飛び出した俺とは違い、彼女は故郷に残ったはずなんに。
何故彼女がここに。
「何でって……、光が帰って来たんでしょう?」
不思議そうな顔で、目を瞬かせるなまえの言葉に、俺は自分の耳を疑った。
「……じゃあ、ここは」
捨てたはずの故郷の名を出せば、当たり前だと言わんばかりに頷きを返される。
俺が監視の目をかい潜り、囚われていた屋敷を抜け出したのはつい昨日のこと。
あの場所と故郷との間には、ヒトの足でゆうに1週間はかかる距離がある。
『空腹が極限にまで達すれば、極上のエサを求めて身体が動く』
脳裏に蘇るひとりのヴァンパイアの声。
『極上のエサ……?』
あの時、独白めいた問いに返された答えは。
『最愛の人間の血や』
どくんっ!
「う゛……っ!?」
不規則に脈打つ鼓動。
「光っ!?」
胸を押さえた俺を支えるように寄り添うなまえ。
その身体からやけに甘くいい匂いがした。
……あぁ何てええ薫りなんやろう。
めっちゃ美味そウ……。
視線を少し横に向ければ、露わになっとる白い項。
「ひゃっ!?」
それをペろりとひと舐めすれば、なまえが甲高い声をあげた。
あぁ、やっぱり甘くて美味イ。
クセになりそうな味に、思わず舌なめずりをする。
「ひか、る……?」
目を大きく見開いたなまえの表情。
僅かに怯えた色の浮かぶそれが、俺の嗜虐心を煽る。
「わ、」
なまえの手を取って身体を捻り、そのまま彼女をベッドの上に押し倒す。
「ちょ、光……っ!」
ばたばたともがくなまえ。
乱れた衣服の下から覗く柔らかそうな肌。
これに牙を立てれば、さっきよりももっと、美味いモノが味わえルにチガイナイ。
「ねぇ、光ってばっ!!」
一段とでかい声。
それで、目が覚めた。
「っ!」
慌ててなまえの上から飛び退いて距離をとる。
今、俺は何しようとしてた?
簡単に答えのしれる自問自答。
間髪いれず辿り着いた正解に、自分自身が恐ろしくなる。
「ちょっと光、大丈夫?」
「寄るな……っ!」
伸ばされかけたなまえの手を、反射的に払いのける。
せっかく取り戻した理性と自我やけど、そう長くは保てへん。
やから。
「逃……ゲ、ろ……」
ただの獣になって彼女に牙を向ける前に。
何としてもなまえを遠ざけたかった。
「逃げろって、何で、」
「ええから早くっ!」
口調を強めると、彼女は首をかしげつつも、それに従い踵を返した。
「待ちや」
その瞬間。
招かれざる客が、音もなく現れた。
「屋敷を飛び出してまで、捜し求めたんはこの娘やろ? 何でみすみす逃がそうとするんや」
目をぱちくりさせとるなまえの肩を抱くのは、ミルクティーブラウンの髪の男。
俺を監視しとったあのヴァンパイアやった。
「な……んで、ここ、に、アンタが」
「監視役やからな」
さも当然と言わんばかりの口調に腹が立つ。
「ちゅうかお前、ええ加減にせんとホンマにLv.5になるで」
「構わへん」
Lv.5。
それはヴァンパイアの成れの果て。
理性も自我もなくただ吸血衝動によって人間を襲うただの化け物。
せやからそうなれば当然、“害獣”として専門家によって“処分”される。
「同じ、化け物になるんやったら……、堕ちるとこまで堕ちて、殺されたほうがマシや」
それは故郷を捨てて辿り着いた街で吸血鬼にされた時からずっと思ってたこと。
だから俺はずっと囚われてた場所で、“食事”として与えられとった血液を拒んでいた。
「……そこまで言うなら勝手にしぃや。既に狩人達に連絡はとってある。この娘かそれとも他の人間か……、誰かひとりを喰い殺した時点で、お前は銀の弾丸で蜂の巣や」
「望むと、」
「そんなの、ダメっ!!」
緊迫した空気を切り裂くような叫び声。
俺とヴァンパイアの双方を驚かせたそれをあげたんは、奴に捕まっとったなまえやった。
「ねぇ、どうすれば光を助けられる?」
そして彼女はあろうことかヴァンパイアに助命方法を訊ねた。
「簡単や。キミの血を与えたればええねん」
にやりと口角を吊り上げた奴の答えに、なまえは躊躇いもなく自らの親指に歯を立てた。
ぷつり、と皮の破れる音がした瞬間、部屋に充満する甘い薫り。
「光、飲んで……」
細く白い指先にぷっくりと膨れ上がった赤い球。
空腹に逆らいきれず、ひと舐めすれば、口に広がる芳醇な甘さ。
拒もうとする意識とは裏腹に、飢えた身体は血を求めてやまない。
「なァ、こっちも、えぇ……?」
「あぁっ……!」
そして指先から溢れるモノだけでは足りず、欲望のまま彼女の首筋に牙を立てると、さっきよりももっと新鮮で味わい深い血液が喉の奥を潤していく。
ひとたび知った血の味は、簡単に俺の理性を吹き飛ばし、俺はただただ自らの空腹が満たされるまで、ひたすらになまえの血を貪り続けた。
暁に堕つ
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