落ちていく太陽が柔らかな光を放ち、薄暗い屋敷の廊下まで暖かい色に染め上げて、窓際に佇む人の長い影を、壁に大きく映し出す。
こっそりその部屋を覗きこめば、真昼の太陽の様に明るい色をした髪を夕陽にきらめかせ、憂い顔で外の街並みを眺める謙也の姿があった。
また、だ……。
私よりも早く起きる彼が、こうして毎日のように夕暮れ時の街を眺めているのを知ったのはつい最近のこと。
ただ、普段であれば私は完全に夜の帳が下りてから目を覚ます。
だから、知らなかっただけで、ホントはずっと前から謙也はこうして外を見ていたのかもしれない。
私が彼から奪った陽の当たる世界を。
「戻りたい?」
夕焼けに染まった彼の背に声を掛ければ、謙也は驚いたように振り返った。
「どないしたん、なまえ? 今日は珍しく早起きやな」
さっきまでの憂いた横顔が嘘みたいな笑顔。
こうして彼は今までも郷愁の念をずっと押し隠していたんだろうか。
「誤魔化さないで、謙也。ちゃんと答えて」
「別にそんなことは、」
真っ直ぐ目を見て問えば、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「嘘」
それは彼が嘘をついているときのクセ。
長い長い人生の中のほんの一瞬。
孤独に耐えきれず、人の真似事をして通った学校。
そこで謙也と過ごした3年間のうちに見抜いたことのひとつ。
彼自身はその頃から今と変わらず無自覚だけれど、本当に嘘がつけない人だと思う。
「じゃあ何で毎日早起きして、窓の外見てるの?」
「……知っとったんか」
「いくら私でも、隣にいる人が動いたら気づくよ」
そう言うと、彼はばつが悪そうに表情を歪めた。
きっと外への憧れを隠していたのは、彼が優しいから。
謙也はいつだってそう、自分のことより他人のことを優先して考える。
その優しさを、私は利用した。
永い孤独が辛いと、寂しいと同情を煽って。
彼をこちらの世界に引きずり込んだ。
「……ごめんなさい」
私の我儘で、暗闇の中でしか生きられない身体にしてしまったこと。
テニスも。友人や家族。そして彼の未来さえも。
「全部、取り上げてしまって本当にごめんなさい……」
大好きな人だった。
だから、彼が好きだと言ってくれた時、すごく嬉しかった。
短い3年間の中でも更に短いたったの1年。
私たちは人間の恋人同士みたいなお付き合いをした。
彼を愛しているのなら、多分私はそれだけで満足すべきだった。
離れられない、離れたくないなんて我儘は言うべきではなかった。
けれど、どんなに嘆いたって後悔したって、私は彼をあちら側に返してあげる術を持っていない。
大好きな人から大切なものを奪うだけしかできないことが、こんなにももどかしくて悔しくて。
そして、哀しい。
「何で謝るん?」
きょとんとした声。
それと同時に逞しい腕にすっぽりと身体を包まれた。
骨ばった指で私の目元にあふれる涙を拭う謙也は、やっぱりどこまでも優しい。
「だって謙也、後悔してるでしょう? 私の血を飲んだこと」
「え、」
「それに本当は恋しいんでしょう? テニス部の人たちとか、家族とか、普通の人たちが。だからずっと外ばかり、」
「違うっ!」
突然の大声に思わず肩が跳ねた。
「後悔なんて、するはずないやろ……」
熱のこもった謙也の声が、耳元で囁く。
再び私を閉じ込める謙也の腕は、さっきよりもずっときつくて。
彼の想いを伝えてくるみたいだった。
「俺が自分で選んだんや。なまえと共に永久に生きる道を」
あの日、好きだと言ったのは嘘ではない、と。
「俺は全てを天秤にかけた上でなまえを選んだんや」
「……じゃあ、何で毎日外を」
「それは……、なまえとの出会いを思い出してただけやねん」
不安にさせてしもて、ごめん。
そう言って苦笑を浮かべる謙也は、確かに嘘は言っていないように思える。
謙也は嘘つくのがへたくそだから、きっとこれも本音のひとつなのは確か。
けれどそれが、本当に謙也が望んでいることなのかといえば、きっと完全なイコールだとは限らない。
「……本当に? ホントに、それだけ?」
彼の心の奥を探るように金茶色の虹彩を覗きこめば、謙也は困ったように笑う。
「……あぁ」
そして、ひとつ頷くと同時に、分厚い遮光カーテンを閉ざす。
私が不安に思うもの全てを隠すように。
「俺が愛しとんのは、なまえだけや」
一寸の光もない闇の中。
濃厚なキスが落とされた。
黄昏時の誘惑
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