私は、物心ついた頃からずっと不思議な焦燥感を胸に抱いていた。
それは、「何かが足りない」という感覚。
足りない何か、それがどんなものなのかさえもわからない。
時折、夢の中でその足りないものを手にしたような気がするのに、目覚めるとそれが何だったのか全く覚えていなくて、焦燥感だけが増していく。
早く独り立ちをすれば収まるかとも思っていたけれど、吸血鬼ハンターとして一人前だと認められた今でさえ、この衝動は変わらない。
いつか、その“何か”がわかる日が来るのだろうか――……。
そんなことを考えていた時だった。
私のところに『最警戒レベル』の吸血鬼退治の依頼が舞い込んだのは。
***
対象の名は白石蔵ノ介。
かなり長命な吸血鬼で、度々居城を動かしては、その都度大規模な狩りをする。
以前は彼よりも回数も残虐性も高い狩りをする吸血鬼がいたから協会も大目にみていたけれど、薬の開発でたとえ吸血鬼といえども、直接人の血を摂取しなくても生きられるようになった現在、最早彼の行動に目を瞑っているわけにもいかない、ということだろう。
当然協会の側としても、それまで黙認していた行動をいきなり咎めることもできないので、何度か忠告も行っていたらしいけれど。
それを無視してまでの狩り。
表向きには引越しの挨拶を兼ねた晩餐会ということになっている。
そのため、彼が狩りを行うのはひとつの土地につき1度だけ。
だからきっと飢えを満たすための行動ではない。
血を吸う時の快楽を得るためとも考えられるけれど、それにしては回数が少なすぎる。
動機の見えない吸血鬼の行動。
自らが危地に立たされないためにも、厳重に警戒しつつ、近隣の住民を装ってそのパーティーに紛れることにした。
ただ、問題は対象にどうやって近づくか。
見かけは人と変わらない吸血鬼。
公衆の面前で大鎌をふるってそれを仕留めれば、私の方が殺人者として捕えられかねない。
だから、何とかして人気のないところで彼と接触できないか。
そこだけが悩みの種だったのだけれど。
(これも棚ボタってことかしら)
何故だかわからないけれど、対象の方から呼び出しがあった。
2人きりで逢いたい、と。
(それとも、私が協会の人間だと感づいている?)
万が一にもあり得ないと思いつつも、警戒心だけは解かずに、その呼び出しに応じることにした。
指定されたのは、この屋敷の主の私室だと思われる部屋。
重たい扉を開けると、ミルクティブロンドと正装がよく似合う男性。
依頼書の添付写真で見るよりもずっと綺麗で、相手が吸血鬼とわかっているのに、その美しさに目を奪われそうになる。
「本日はお招きありがとうございます。私、」
「なまえ……っ! 漸く見つけた……!」
(……は、い?)
挨拶もそこそこに、彼がとった行動。
それは、初対面の私に思いっきり飛びつくというものだった。
条件反射でそれを躱せば、彼の腕が宙を抱く。
「なまえ、なまえ……」
それでもめげずに、告げてもいないはずの私の名を連呼して、もう1度近づいてこようとするものだから、身の安全をはかるために、ロングドレスの袖に隠しておいた鎌を取り出し、柄を伸ばす。
「白石蔵ノ介。警戒レベル最高ヴァンパイア。再三に渡る協会の忠告も無視し、晩餐会と偽った狩りを実行。よって貴方を要観察対象から排除対象へ切り替えさせて頂きます」
淡々と決まり文句を口にして、彼の首筋に鈍色に輝く刃を突きつけた。
「はは……っ!」
彼は何度か、信じられないものを見たとでも言うように、瞬きを繰り返したのち、自嘲気味な笑いを零した。
その表情がひどく切なくて。
何故だか胸が苦しくなる。
「……何がおかしいの?」
けれど、こちらの動揺を悟られぬように、厳しい表情を崩さずに彼を睨みつける。
「まさかなまえが狩人になっとるとはな……。神様も残酷すぎるで」
「……何の話?」
まるで随分前に私と出会ったことがあるような口ぶり。
それが気になって思わず問い返していた。
「……遠い昔に喪った大切な人を捜し続けとる愚かな男の話」
寂しげな顔に、困ったような笑みを張り付けて答える彼。
……あぁ、そうか。
これが彼の狩りを行う理由。
確証は得られていないけれど、この答えが核心をついているのは、恐らく間違いない。
世界中をどれだけ渡り歩いたとしても、彼の捜し人なんて見つかる訳もないのに。
彼はどれくらい期待を裏切られ続けて来たんだろう。
それでも、諦めきれずにきっと何度も同じことを繰り返して。
確かに愚かではあるけれど、彼の想いの深さまであざ笑うことはできなかった。
多分、彼は人間に対して害意を持っているわけではないし、決して悪い人でもないと思う。
でも、協会が彼を危険だと判断したならば。
私は彼に同情すべきではない。
「さて、白石さん。協会の忠告をあれだけ無視した。その覚悟はできてますよね?」
ともすればこの鎌を手放してしまいたくなるほど、切ない彼の想い。
これ以上言葉を交わせば、私は自分の役割を果たせなくなってしまいそうだから。
揺らぐ心を抑えて、非情に振る舞う。
「……あぁ」
哀しそうな表情はそのままに、彼は全てを悟ったように目を閉じた。
そして私はそんな彼を苦しませないようにと、思い切り鎌を振りかぶった。
それなのに。
「どうして……っ!?」
彼の首に届く前に鎌の切っ先が止まってしまう。
彼が吸血鬼の能力を使っている様子も一切ないにも関わらず、あと数センチのところで刃が届かない。
まるで見えない壁に弾き返されるかのように、何度やっても結果は同じ。
彼に攻撃を加えることが一切できなかった。
いったん覚悟を決めたはずの彼も不審に思ったのだろう、戸惑う私ときょとんとした表情の彼と視線が重なる。
「なまえ……っ!」
すると、泣き笑いのように顔を歪めた彼の腕が伸ばされ、今度は躱すこともできないまま囚われた。
その、瞬間。
私の中の何かがはじける音がして、様々な場面が脳裏に次々と浮かんでは消えるを繰り返す。
ここよりもずっと簡素な洋館。
まだ電燈ではなくランプの時代。
暖かい色の火が燃える暖炉。
そして、傍にはいつも優しくて愛おしい彼の姿。
「――……くら、の、す、け……?」
さっきまで何の意味も持たなかった名前の響きが、今はすごく懐かしい。
それが自分の中に眠っていた記憶のせいだと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
彼が、永遠にも近しい時間を費やして捜していたのは。
……私、だったんだ。
そして、私がずっと求めていた“ずっと欠けていた何か”は。
目の前の白石蔵ノ介という存在。
どうしてもっと早くに気づけなかったんだろう。
ずっと、ずっと待たせてしまっていたのに。
「遅くなってごめんなさい……」
「なまえ……っ! おかえり……」
今度は私自ら、彼の腕の中に飛び込むと、笑顔の中に涙を浮かべた彼が熱のこもった声で囁いた。
真夜中の邂逅(きっとたやすくはないけれど、これからもずっと2人で一緒にいよう)
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