わすらるる


『おとなになったら、けっこんしよな』

物心ついた頃からずっと傍にいた幼馴染と交わした約束。
その後すぐに私のウチが引っ越して離れ離れになってしまったけれど、その約束は暗闇に差し込む一縷の光のように、私の胸に残され続けていた。

そして、それから10年後。



***



「ねぇー、白石くぅん。ココ、わからんのやけどぉ」
「あー、抜け駆けずっるぅーい。ウチにも教えてー」

甘ったるい声を出して媚びる女子に囲まれた男子生徒。
それがあの幼馴染の現在の姿。

「おー、白石、女の先輩が呼んどるで」
「あー、今いく」

成績優秀、眉目秀麗。
どこをどうとっても誉めポイントしかない彼は、高校1年の1学期にして、学校中の人気をほしいままにしていた。
彼自身も、 この状況はまんざらでもないらしく、周囲に群がる女の子達と常に和気藹々としている。

だからきっと、遠い昔の約束なんてすっかり忘れているんだろう。

『ぜったいしーちゃんのことわすれへんから』

だからだいじょうぶ、と断言してくれたのは彼の方なんだけどな。

そんなこと、今の彼は覚えていないんだろうけど。
私は片時も忘れたことないのに。

「…………くーちゃんの、嘘つき」
「え?」

あまりにも悔しいから、呼び出しから帰ってきた彼とすれ違いざまに、小さく嫌味を投げ付けた。

……まぁ、こんなこと言ったところで、彼には何のことだかわからないのだろうけど。

視界の隅に入った、僅かに目を見開く彼の姿。
それを無視してそのままひとり教室を抜け出すと。

「菅野さんっ!」

背中の向こうで、私の名前を呼ぶ彼の声。
立ち止まり振り返れば、小走りで彼が駆け寄って来る。

「……何?」

驚きと緊張で、無愛想な態度をとってしまう。

せっかく話せたのに、こんなんじゃ嫌われちゃうよ。

「俺の勘違いやったらごめん。さっき俺のこと、くーちゃんって呼んだ?」

胸中で葛藤してる私に、彼はフレンドリーに本題を投げてくる。

「呼んだ……けど、」
「なら菅野さんが“しーちゃん”なん?」

驚きで瞠られた彼の瞳。

「そう、だよ」

もしかして期待はずれだったんだろうか。

彼の表情に不安を抱きながらも頷くと。

「やっと、見つけた……っ!」

切なげな彼の声が耳元で響く。
脳が理解するよりも早く、私は彼の腕の中に閉じ込められていた。

「しっ、白石君……っ! こ、ここ、学校、」
「白石君、やのうてくーちゃん、やろ」

少し不機嫌な感じの声。
耳元に届くそれは、いつも以上に艶っぽくて、私の平常心をいとも簡単に崩壊させてしまう。

「く、くーちゃん、学校、だからっ、」
「ええやん、俺ら結婚誓った仲なんやし」
「そ、そういう問題じゃ……っ!」

テンパった状態でもがき続けると、仕方なしといった様子で、彼が拘束している腕を解いてくれた。

「……忘れてたんじゃないの?」
「あんな大切な約束、忘れる訳ないやろ」
「……同じクラスになっても、気づかなかったクセに」
「う……、」

上目遣いにじとっとした視線を向けると、彼は痛いところをつかれたといわんばかりに言葉に詰まった。

「確証がなかったんや。約束したのが“しーちゃん”って女の子ってこと以外、思い出せんくなってしもたから……」
「ぜったいにわすれないって言ってたの、くーちゃんのほうだよ」
「それは……、おん、ホンマにごめん」

口を尖らせると、彼は潔く頭を下げた。

少し意地悪しすぎたかな。

「でも、いいよ。ちゃんと見つけてくれたから」
「ホンマに?」
「うん」

ぽんぽんと頭を撫でると、沈んでいた彼の表情が和らぐ。

こーいうトコは変わってないな。

昔の面影を垣間見た気がして、少し嬉しくなる。

「あの、さ」
「何?」

彼の様子を見ながら微笑んでいると、その眼差しが急に真面目なものに変わる。

「今すぐにあの約束は果たせへんけど、しーちゃんさえよければ、付き合わへん?」
「それは約束果たすの前提で?」
「おん……」

彼が照れ隠しに掻いてる頬は、薄く色づいている。

きっと私はそれ以上に赤いんだろうな。
火照ってる自覚のある顔を縦に振って彼の問いに答えると、再び腕の中に収められる。

「おおきに。これからよろしくな」
「うん……」



わすらるる
みをばおもはず ちかひてし
ひとのいのちの をしくもあるかな




(約束が果たされるのはもう10年あとのこと)



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