むらさめの
「別れよう」
ついさっきまで彼氏だった人に言われた言葉が、ずっと頭の中でループしてる。
あの一言で、私の中の何もかもがとまってしまった。
凍りつき立ち尽くす身体を、秋雨が濡らしていく。
……寒いな。
どこかで雨宿りしなくちゃ。
頭ではわかっているのに、動けない。
冷たい雨に打たれた身体は、先端から次第に熱を失っていく。
このまま雨に濡れていたら、いつか心臓もとまるかな。
そんな投げやりな期待をしながら、全身に雨を受け続けていたら。
「詩歌っ!」
焦ったような声と同時に雨が止む。
のろのろと顔をあげれば、私の頭上に傘を差し出す幼馴染の姿。
「……く、ら……?」
「こんな雨ん中ぼーっとしとったら風邪引くやろ」
帰るで、と差し出された傘を持たない方の腕。
「……別にどうなってもいい。もう動けないもん」
「っ、ええわけないやろ! つべこべ言わんと帰るで!」
不貞腐れて、その手を取らずにいたら、蔵は珍しく声を荒げて、乱暴に私の手首を掴んだ。
強い力で引っ張られて、硬直していた私の身体は、半ば引きずられるように、蔵のあとを追いかけた。
***
「ちゃんとあったまった?」
されるがままで、連れて行かれたのは蔵の家。
すぐ隣が自宅なんだから、そっちに帰るって言ったのに、危なっかしくて独りにはさせれんと、蔵は許してくれなかった。
そして、数年振りにあがる幼馴染宅に、懐かしさを感じる暇もなくお風呂に放り込まれて現在に至る。
「うん……。ありがとう」
キッチンにいた蔵に呼び止められて、入口から顔だけ出してお礼を言う。
「今ホットレモン作っとるから、リビングで待っとって」
「え、」
「詩歌好きやったやろ、ホットレモン」
それとも、もう嫌いになってしもた?
と、少し寂しそうに訊ねてくる蔵。
「ううんっ、そんなことないよ」
寧ろ、最近少し疎遠になってた蔵が、まだ私の好きなモノを覚えててくれたことに驚いただけ。
「やったら、待っとって」
「……わかった」
蔵の笑顔に押されて、結局リビングへ向かう。
ホントは着替え借りたら、すぐに自宅へ帰るつもりだったのに。
やっぱり蔵には敵わないな。
小さく嘆息をついて、大人しく指示に従う。
すると程なくして、蔵が湯気のたつカップを両手に持って現れた。
「はい」
「……ありがと」
隣に腰を下ろした彼からカップを受け取って、息で冷ましてから口をつければ、程よい甘さが広がる。
「美味しい……」
「よかった」
柔らかな笑みを見せてくれる蔵。
さっきまで自暴自棄になってた自分が馬鹿みたい。
「……少しは落ち着いた?」
そんな私を見透かしたような蔵の言葉に頷くと、よかったと安堵の溜息をつかれてしまった。
「……何があったか、訊いてもええ?」
気遣うような眼差し。
「…………彼氏と別れた。……フられたんだ、私」
心配かけたお詫びにと、ぽつぽつと吐き出した言葉。
けれど、別れた理由も、彼の人柄についても一切触れることは出来ずに、たったそれだけ。
でも、蔵がそれ以上突っ込んで訊いてくることはなかった。
「……そか」
ごく自然な動作で、肩を抱き寄せられる。
「それは辛かったな……」
肩を回った手が、ぽんぽんと優しく頭を撫でる。
「う、ん……っ」
たったそれだけのことなのに、私の心を溶かすには充分過ぎて、今まで一滴も零れなかった涙がどんどん溢れてくる。
「思いっきり泣き。詩歌の気が済むまでこうしててええから」
「ありがと、蔵……」
中学、高校と年齢が上がるにつれて話さなくなってたのに、蔵は変わらず優しい。
私には勿体無いくらいの幼馴染。
「幼馴染……なぁ」
涙が収まってからそう評すと、蔵は残念そうに眉を下げた。
「もっと他にないん?」
「他に?」
と言われても、同い年なことと、文武両道なイケメン君であることくらいしか思いつかない。
暫く悩んだ上で出した答えだったけど、蔵の望むモノとは異なっていたらしく、彼は渋面を作って眉間を押さえた。
「つまり、俺はハナから対象外なんやな……」
「ほえ?」
考える人のポーズで、蔵が吐き出した独り言。
意味を図りかねて首を傾げる私に、いつになく真剣な瞳が向けられる。
「あのな、詩歌。たかが幼馴染っちゅうだけで、1時間も泣きじゃくっとんのに付き合えるほど、俺はお人好しやないで?」
「え、」
「こんなときに言うなんて、ずるいとは思うけど、」
と、前置きして、蔵は照れ臭そうにはにかむ。
「俺はずっと詩歌が好きや。俺なら詩歌を泣かせへん」
やから。
「俺にしとき」
失恋したばかりなのに、その言葉に思わずときめいてしまった。
むらさめの
つゆもまだひぬ まきのはに
きりたちのぼる あきのゆふぐれ
(近くにいるのが当たり前すぎて、キミと特別な関係になれるなんて思ってもみなかったんだ)
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