ひともをし


ネオンサインのぎらつく繁華街。
雑踏の騒音が煩いメインストリートから1本裏手に入ったところにある小さなバー。

「渡邊、おそーいっ!」

ドアベルを鳴らして中に入ると、俺をここまで呼び出した張本人が叫んだ。

「あたしが呼んやら5分いにゃいに来いって、いつも言ってるでしょ〜」
「しゃーないやろ。教師は多忙やねん……って菅野、もう出来上がっとるんか」

カウンター席に座る彼女の隣に腰掛けると、呼び出しを受けてから30分も経っとらんのに、アルコールの臭いがぷんぷんする。

「いーじゃない別にぃ。呑まなきゃやってらんないんだもーんっ!」

妙に明るい調子で、子供みたいに口を尖らせる菅野。
彼女がこうして俺を呼び出す理由はきまってひとつしかない。

「まーた、彼氏と喧嘩したんか?今度は何が原因やねん?」

溜息混じりに訊ねると、それまでやたらとテンションの高かった菅野が、ぴたりと黙りこくった。

「…………た、」
「え?」

長い髪に隠された向こう側から、か細い声が聴こえたが、うまく聞き取れなかったため、俯いた彼女の顔に、耳を寄せる。

「また、浮気、された……」

ぽたりと、ひと滴の涙がカウンターに落ちた。
僅かに見えた沈みきった横顔に、掛ける言葉を失った。

「あたしは、いつまで経っても、あのヒトにとって、ただの都合のいい女でしかないみたい」

はらはらと涙を零しながら、自嘲気味に、乾いた笑みを口許に浮かべる菅野。

……こういうカオしたこいつを見るのは、もう何度めになるんやろう。

高校時代、テニス部員やった俺と、マネージャーやった菅野。
誰よりも気が合うて、周りの奴らも、俺らが付き合うとるもんやと思うてた。
せやけど、現実には菅野はひとつ上の先輩の彼女になっとって。

「……せやから、前にええ加減縁切れ言うたやろ」

付き合い出した当初こそは、幸せそうやった菅野やけど、俺らが最終学年になる頃には、その笑顔が次第に雲っていった。
理由は、相手がとんでもない浮気性やったから。

しかも、浮気した相手と切れる度、菅野に頭を下げては復縁し、また浮気を繰り返すサイテー野郎。

そんでもって、サイテー野郎が他の女のもとへ走る度、1番気が許せるのを理由に、菅野の泣き言に付き合わされるんが、俺。

こうして、泣き腫らした菅野の顔を見ると、いつも思う。
俺やったら、泣かせたりせえへんのにって。

やけど。

「……戻ってきたら、今度も許すんか?」

主語のない問。
せやけど、俺らの間ではそれで充分やった。

この問い掛けに、彼女は決まって頷く。

「……うん」
「もう何十回もこんな目に合わされとるんに、まだアイツのことが好きなんかっ!?」

予想を裏切らなかった彼女に、思わず語気が荒くなる。

「さぁ……」
「さぁ……って、そんなら何で、」
「もうね、わからないの。この気持ちが恋なのか、執着なのか」

乾いた笑いを浮かべる菅野。

「ただ、離れたくないって想いだけが残ってる」

きっぱりと言い切った彼女の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。

何でや。
こんなにボロボロになっとんのに。

何で、アイツはちゃんと菅野を愛さないんに、いつまでもコイツの心を縛り付ける。

目の前の菅野と、この場にはおらん彼女の彼氏が無性に腹立たしかった。

「菅野、」

そっと彼女の肩を抱き寄せて、距離を縮める。

「っ!」

驚いた菅野に声をあげる間も与えず、強引に唇を重ねた。
自分が満たされるまで、存分にキスして、体を離すと。

「ちょ、何してんのよっ渡邊っ、」

真っ赤になった菅野が、肩で息をしながら、抗議してきた。

「好きや、菅野」

そんな彼女に告げる、今まで隠してきた想い。
ホンマはずっと隠し通すつもりやった。

――菅野が幸せやったなら。

距離をとってた彼女を、もう1度腕の中に閉じ込める。

「俺やったら、自分を泣かしたりせん。絶対幸せにしたる。やからもう、あんな奴のことなんて、忘れや」

抱きしめる腕の力を強めて、自分の気持ちの強さを彼女に伝える。

「……ありがとう、渡邊」

腕の中で身じろぐ彼女。
拘束する力を緩めると、困ったような光を宿す瞳と目が合った。

「でも、ごめん。渡邊の気持ちには応えられない」
「……そうか」

最初から分かりきっとった答でも、直接聞くと、ぐさりとくる。

「ほな、これだけは約束してや。菅野がもう堪えられんと思うたら、必ず俺んトコへ来ること。いつでも待ってたるから」
「……お人よし」
「菅野限定やで?」
「……ありがとう」
「ん、ほなまたな」

俺の肩より下にある菅野の頭を撫でて踵を返した。

……多分、彼女が俺のもとへ来ることはないやろう。
そんな思いを抱きながら。



ひともをし
ひともうらめし あぢきなく
よをおもふゆゑに ものおもふみは




(想いは届かなくても、君の幸せだけを願ってる)



-30-


もどる
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -