せをはやみ


『詩歌約束や』

目の前で泣き腫らした顔を見せる少女を抱きしめる。

『オトナになったら、必ず詩歌を迎えに行く。せやからそれまで、待っとって?』
『うん――……』

そっと触れた唇。
そこで、映像が途切れた。



「夢――……か」

随分と懐かしい夢をみたもんや。
ベッドから身を起こして、苦笑する。

幼い俺が、初めて惚れたのは、旧家の元お嬢様。
正式には、旧家から勘当されたお嬢様の娘で、フツーの女子やった。
せやけど、旧家の旦那――つまり、彼女のじいさんに跡取りがおらんかったため、急に養子として引き取られ、本物のお嬢様になってしまい、当時付き合うてた(今思えばおままごとみたいな付き合いやったけど)俺らは、当然の如く引き離された。

あの約束から15年。
俺は彼女との約束を果たすためなら、どんなことでもした。

めんどくさい勉強もそう。
数年前までしとった社長秘書としての仕事もそう。
ホンマは人に媚びることなんか、性には合わん。
せやけど、彼女ともう一度一緒になれるなら、それさえも苦にならんかった。


そして漸く。
かなりの時間をかけてしもたけど、彼女の家柄と釣り合う地位を手に入れた。



***



「お待たせしました、財前様。間もなく詩歌お嬢様が参ります」
「はい」

あれから、身支度を整えて、俺が出向いたのは菅野家。
明治以前から続く旧家だけあって、邸宅そのものは勿論、待機場所に指定されたこの応接間も、威厳に溢れとって、いやに緊張してしまう。

そんな場所に、俺が招かれたのは、結婚ギライなひとり娘と見合いするため。
菅野の当主は高齢で、自分が他界する前に、何としてでも家督相続者たるその娘を結婚させたいらしい。

本来なら、そんな見合いなんてパスするとこやけど、この話は棒にふれなかった。
やって、菅野家は――。

「お待たせしました」

ガチャリと重たい扉が開く音がして、思考を中断させる涼やかな声が響いた。

「菅野詩歌と申します」

記憶にあるものより随分落ち着いとるけど、この声は確かに彼女のもの。

「本日はご足労頂き、誠にありがとうございます。ですが申し訳ありませんが、」
「詩歌」

頭を下げたまま、堅苦しい口上を述べる彼女の言葉を遮ると、いきなり呼び捨てにされたことが不快やったんか、僅かに眉間に皺寄せた彼女の表情が見えた。

「堅苦しい挨拶はなしや。俺と自分の仲やろ?」
「……?」

昔通りの訛りで語りかければ、彼女は言葉の意味をはかりかねたのか、首を傾げた。

「昔、約束したやろ。『大きくなったら詩歌を必ず迎えに行く』って」
「!」

不審げだった彼女の瞳が大きく見開かれたかと思うと、それはすぐに泣き笑いのような顔に変わって。

「……違うよ、光。『大きくなったら』じゃなくて『オトナになったら』でしょ……」
「んな些細な違いくらいええやろ」

揚げ足を取られてぶすくれると、彼女は「あの頃と変わらないね」と朗らかに笑う。

「それ言うたら詩歌やって。強がりなトコ変わってへんやろ」
「……前言撤回。光、少し意地悪になった」
「そうか?」
「そうだよ。昔の光はも少し可愛げがあった。でも、」

あの頃より低い位地にある詩歌の瞳が、眩しそうに細められる。

「でも、昔よりもずっとかっこよくなった」

衒いのない彼女の言葉に、二の句が継げなくなる。

何なん、コレ。
可愛すぎるんやけど。

昂ぶる感情のまま、詩歌を腕の中に閉じ込めると、細い肩が僅かに震える。

初な反応が更に愛しさを煽った。

「……遅くなってしもたけど、約束通り迎えに来たで。これからは、ずっと一緒や」
「うん……っ!」

そして、ずっと伝えたかった言葉を耳元で囁くと、詩歌の頬に一筋の輝きが零れ落ちた。



せをはやみ
いはにせかるる たきがはの
われてもすゑに あはむとぞおもふ




(それまで結婚を拒み続けた旧家のお嬢様と、大手企業の社長との婚約が、週刊誌を騒がせるのは、それからすぐの話)




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