fragile



夜の帳が降りた街を鮮やかなネオンが彩る。

カツカツとヒールを鳴らして、この街で1番大きなクラブに通じる階段を降りて扉をくぐれば、ダークスーツを纏ったクラが寄ってくる。

「いらっしゃいませ」
「コウは?」

ドレスの上に羽織っていたファーを預けながら訊ねると、彼は綺麗な形の眉を下げた。

「今、別のお客さんの相手しとります。もうじき空くと思いますけど」
「そう」
「呼びますか?」
「いいえ、待つわ」

多くの客の相手をしてこそのホストだ。
私の我儘で邪魔をする訳にはいかない。

なんて、聞き分けのいい女のフリができるのは、多分私がコウと同じ道に生きているからだろう。

「流石、夜の華は言うことが違うなぁ。なんやったら暇潰しに俺指名しません?」
「丁重にお断りするわ」

にこやかに売り込むクラをさらりと流すと「相変わらずつれへんなぁ」と溜息を吐く。

「一応これでも俺、ココのトップなんやけど」
「知ってる」
「ナマエさんくらいですわ、俺の誘いにのってくれへんの」
「あら、それはごめんなさい?」

「ナマエさん」
クラと談笑していると、コツンと足音がして。
振り向けば、薄暗い証明を耳元のピアスに反射させたコウが立っていた。

「お待たせしました」
「ほなナマエさん、いつものでええです?」
「えぇ」

コウが差し延べた手をとりながらクラに頷き、導かれるままにVIPルームへ向かった。


***


2人で独占するには広すぎる室内に、大きなソファーとテーブルがある。

「何か頼みます?ナマエさ、」
私をナマエと呼ぶ彼にぎゅうっと抱き着いて押し倒す。

「ナマエさん、」
「なまえよ。2人きりの時はなまえって呼んでって言ったじゃない、光……」

彼の胸に顔を埋めて掠れる声で懇願すれば、骨張った指が私の髪を梳く。

「すんません、イジメすぎましたね」

なまえさん。

低音が紡ぐ自分の本当の名前に涙が溢れ、光のスーツに染みを作る。

「光、光、」

本来なら客が知るはずのない本名を連呼する私の頭を撫でてくれる光。
そんな彼の背に腕を回し、ぎゅっと力を込めれば、彼が苦笑を浮かべた気配がした。

「今日は一段と不安定なんスね」

「仕事、疲れました?」と訊ねる光に頷けば、彼は私を上に乗せたまま体を起こし、そのまま後ろから抱きしめた。

「……やっぱなまえさんにこのセカイは向いてませんわ」
「私もそう思う」

けれど1度入り込んでしまったら簡単には抜け出せない。
だからこそ私はこのセカイで生きてく為に、着飾って嘘を重ねて続けていく。

その中で光と過ごす時間は、私にとって精神安定剤にも等しいものとなっていた。

光と私は昔馴染み。

だからありのままの自分を晒け出せる。

派手な衣装と作り笑いで虚勢を張ってるナマエを棄てることができる、唯一の場所。

「光、ごめんね……」

そして、その為に私は光を利用する。
稼いだ金を貢いで、彼の身体を、時間を、独占する。

彼の気持ちを無視して。

彼の客と同じように。


「……なして謝るん?」
「だってこんなの……、」

光が可哀相。

私の為だけに、利用されて。
光にだって私が彼に求めてるような場所があるかもしれないのに。

最後の一言は吐息のようだったけれど、2人きりのこの空間ではきちんと光に伝わったらしく、彼は眉間に皺を寄せて大きく溜息を吐いた。

「可哀相なんて、それこそアンタの思い込みっスわ」
「え、」
「なして俺が源氏名やのうて本名呼ばせとると思うてるん?」

私の両頬を掌で挟んで、小綺麗な顔に近づける。
コツンと音がして、額と額がぶつかった。

「俺がなまえさんとおるんは俺の意思や」

アンタを好きやから一緒におるんや。

「う、そ、」
「コウの時はいくらでも嘘つくけど、今は光や」

せやから嘘やない。


その言葉に涙が溢れた。


泡沫の夢



(貴方の腕の中だけは、私もただの女の子に戻れるの)





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