Sweet Trap



薄暗い照明に照らされた室内に充満するアルコールと噎せ返るような香水の匂い。
府内でも有名なホストクラブの片隅で、私は手持ち無沙汰にグラスを揺らしては、ちびちびと中身の液体を減らしていた。

「はぁ……」

自然と重苦しい溜息が口を吐く。
グラスをテーブルに置いて視線を同じテーブルの反対側に向ければ、今日私をここに連れてきた友人達が、複数のホストを侍らせて、きゃっきゃっとはしゃいでいる。

何が失恋記念パーティーよ。
全然悲しんでもいないじゃない。

本当は先週恋人と別れたリカコを慰めるための女子会を催くはずだった。
けれど、リカコ本人の提案で「男につけられた傷は男に癒して貰おう」ということになり、会場は居酒屋からホストクラブにかわった。

参加を断ろうとも思ったのだが、適当な理由も見当たらず、彼女たちに引きずられるようにして店の敷居を跨いだのだけど。

やっぱりこういう場所に通い慣れてるリカコたちとは違い、上手く場に馴染めない。
今日の為にクローゼットの奥から引っ張り出してきた淡い紫色のドレスが、彼女たちの身を包む深紅とかサファイアブルーの中で浮いてしまうのと同じように。

「はぁ……」

中身が半分以下になったグラスを傾け、本日何度めになるかわからない溜息を吐く。

これ飲んだら帰ろう。

そう思って席を立とうとした矢先。

「おもんない?」

横から声をかけられて思わず息を呑んだ。
そちらに顔を向けると、金色の短髪にルームライトを反射させた男性が、ウイスキーのボトル片手に微笑んでいる。

「自分、ここ初めてやろ?」

彼の言葉に戸惑いながらも頷く。

「リカコちゃんの友達?」
「あ、はい。リカコのことご存知なんですか?」
「そりゃあ、あのコは常連さんやから」

それもそうだ。
隣に座るこのヒトは、このお店のホスト。
何当たり前のこと尋ねてるんだろう。

自分が恥ずかしくなって「ごめんなさい」と口篭る。

「謝らんでもええよ。えぇと……」

困惑気味の彼をみて、そういえばまだお互いの名前さえも知らないことに気が付いた。

「みょうじなまえです」
「なまえちゃんな。俺はケンヤや」

彼は質の高そうな紙の中央にローマ字で「KENYA」と書かれたシンプルな名刺を差し出した。
それを受け取ってお礼を言うと、彼はにかっと白い歯をみせて笑った。

人懐っこい笑顔に、緊張の糸が解けるのがわかった。

「なまえちゃんはここ、どないなとこやって思うとる?」

空いたグラスに注がれたウイスキーを勧められるがままに受け取って、喉の奥に流し込む。

「女性なら誰でも歓迎されて夢をみれる場所…ですか」

勿論タダでいい夢をみれる訳ではない。
心地好い夢をみた代償は大きいのだろうけど。

だから楽しいけれど怖い場所とも言えますね、と言葉を続けると、ケンヤさんの顔が少し曇った。

「あ、すみません……」
「気にせんで。俺もこの世界に足踏み入れるまではなまえちゃんとおんなじこと思うとったから」
「え?」

ケンヤさんが手にしていたグラスにウイスキーを注ぎながら、予想外の言葉を口にした彼を見上げると、ケンヤさんは少しバツの悪そうな顔をした。

過去の話はタブーやって言われとったんに……と口篭る彼は、ホストというより普通の男のコみたいで少し可笑しかった。

「やーっと笑うてくれたな」

思わず吹き出してしまった私をみて、ケンヤさんは優しい笑顔を向けてくれた。

「あ……」

失礼なことをしたと、咄嗟に頭を下げようとしたところをやんわりと静止させられる。

「謝らんといてや。俺はなまえちゃんが笑うてくれて嬉しいんやから」

きょとんとした私に、ケンヤさんは言葉を続ける。

「さっきの話の続き。どんなに辛いことがあったとしても、最後には笑顔になれる。それがこの店やって、今は思うねん」

せやからなまえちゃんが笑うてくれてめっちゃ嬉しい。

そう言って喜色満面の笑顔を浮かべるケンヤさんは、どこか誇らしげで。
不覚にもドキッとした。

「せやからなまえちゃんも、今日は俺と楽しもう、な?」

……リカコ達が足しげくこのお店に通う理由も何となくわかる気がする。

そんな事を思いながら、ケンヤさんの言葉に頷いて、彼のグラスと自分のグラスを合わせた。

そしてこの店を出る頃には、もうすっかり彼の魅力に囚われてしまったのは言うまでもない。



甘いワナ


(1度捕えられたらもう、逃げられない)






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