財前光
ゴロゴロっ!
執務室で作業をしとると、急に空が白み、同時に激しい雷鳴が響き渡った。
「うわ、降ってきよった」
開け放していた窓から降り込む雨。
慌てて窓を閉めている間も、真っ黒な空に幾筋も稲妻が走る。
これは様子見しに行かんとあかんかな。
鳴り止まない轟音を聞きながら、溜息をつく。
「しゃーないな」
同い年で臆病な主人の部屋の鍵を手に、執務室を後にした。
***
「なまえお嬢様、起きとりますかー?」
主の部屋の戸をノックして呼び掛けるも、返事はない。
普段なら眠っとると判断して、そのままにするが、こういう悪天候な日は別や。
「なまえお嬢様、失礼しますでー」
断りを入れてドアノブを回せば、不用心にも鍵はかかっておらず、簡単に開いた。
ぼんやりとしたルームライトだけが照らす、薄暗い室内で目をこらせば、案の定、広いベッドの端がこんもりと盛り上がっとった。
「大丈夫ですか、なまえお嬢様?」
シーツを剥がすと、膝を抱えて縮こまり、小さな身体を震わせとるお嬢様。俺の声に顔を上げた彼女は、大きな瞳に涙を一杯溜めてとった。
「ひか、っ――!」
なまえお嬢様が俺の名を口にしようとした瞬間、雷光が空を駆ける。
ほぼ同時に轟く激しい音に、彼女は声にならない悲鳴を上げて、俺にしがみついてきた。
「……もう、大丈夫やから」
薄い肩を目に見えるくらい激しく震わせとるなまえお嬢様の背に腕を回して、そっと撫でてやると、ガチガチに強張っとった彼女の身体から、少しだけ力が抜けるのがわかった。
***
暫くそうしとるうちに、雨脚も弱まり、雷鳴も遠ざかった。
それに比例して、なまえお嬢様も落ち着きを取り戻したらしく、涙も止まった。
「もう終わったみたいですね」
これで彼女も休めるやろう。
そう判断してお嬢様から離れようとすれば、ジャケットの裾を引っ張られた。
「光、行かないで」
不安げな眼差しで上目遣いに見上げてくるお嬢様。
その姿に思わずドキッとさせられる。
「お願い、朝までここにいて?」
「……お嬢様。俺かて男ですよ?」
しかもただの使用人。
そんな男が、一晩中女主人のもとにおったやなんて、大スキャンダルもんや。
「こんな時間帯に男性を部屋に入れることが、はしたないことだってわかってるわ。けど、怖くて眠れないの。だからお願い、せめて私が眠れるまではいて?」
「……わかりました。なまえお嬢様がお休みになるまではおります」
長い付き合い故か、俺はお嬢様のお願いには弱いらしい。
結局根負けして、このまま留まることになった。
「俺が旦那様にお叱りを受けんうちに寝て下さいね」
なまえお嬢様の肩まで布団を掛けてやって、そう言うと彼女は小さく「がんばる」と答える。
「せやかて、気張りすぎてもあかんですよ。逆に眠れんくなりますから」
「う……」
そのやる気を茶化せば、真面目な顔して、言葉に詰まるお嬢様。
「あ、じゃあもうひとつお願いしていい?」
「どうぞ」
せやけど、すぐに何か思いついたんか、甘えた表情を浮かべて手を合わせる。
「眠れるまで、手を繋いでて」
「……えぇですよ」
予想外の答えに一瞬耳を疑うが、彼女の頼み通り手を差し出せば、身体を横向けたなまえお嬢様が、両手で包み込むように右手に触れた。
「えへへ……」
「なん?」
照れ臭そうにはにかむ彼女に訊ねると、笑み崩れた顔がこちらに向けられる。
「やっぱり光はすごいなって。他の誰よりも、光がいてくれるってだけですごく安心できるの。これなら、すぐにでも、眠れ、そ……う……」
夕立の際、余程緊張しとったらしいお嬢様は、言い終わるか否かのうちにまどろんで、夢の中に落ちた。
「……ったく、俺の気も知らんと」
男の俺を目の前にして「安心できる」やなんて、余程の信頼を得とると喜ぶべきか、それとも、男として意識されてへんと嘆くべきか。
「俺やって貴女の執事である前に男なんやけど。もうちょい危機感持って下さいや、お嬢様」
俺の手に重ねられたままのお嬢様の手を解きながら愚痴っても、あどけない表情で眠るなまえお嬢様から、返事がかえってくるはずもなく。
俺は悶々とした想いを深い溜息に変えて吐き出すしかできなかった。
「……おやすみなさい、なまえお嬢様」
せめてもの意趣返しに、可愛らしい寝息を立てとるお嬢様の手の甲に、そっと口づけを落として、彼女の部屋を後にした。
オオカミさんにご用心翌晩
――コンコンっ
(はい……って、なまえお嬢様?どないしたんです、こんな夜中に)
(えと、寝る前に偶然ホラー番組みてしまって……、眠れないの)
(……俺にどないしろと?)
(昨日みたいに眠れるまで、一緒にいて、)
(あきません)
(どうして?)
(どうしてもこうしてもありません。あかんもんはあかんのです)
(……光のいじわる)
(う……(やからその上目遣いヤバいっちゅうねんっ))
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