白石蔵ノ介
『くらのすけ、くらのすけ。くらのすけは、ずっとわたしのそばにいてくれるよね?』
『勿論でございます。なまえお嬢様。蔵ノ介はいつでもお嬢様のお傍におります』
俺がなまえお嬢様に仕えて間もない頃に交わした約束。
10歳やった俺の腕の中で、泣きじゃくる6つ年下の少女はあまりに頼りなくて。
この方が望む限り、俺がずっと支えて差し上げよう。
幼心にそう誓った。
それから、早12年――。
***
財閥の子息や資産家の令嬢が通う、日本でも屈指の名門セレブ校。
「それでは、なまえお嬢様。今日もご学友と楽しい一時をお過ごし下さいませ」
「えぇ」
「お帰りの時刻はいつもとご一緒でよろしいですか?」
「えぇ」
「承知しました。では、いつも通り16時にお迎えにあがりますね」
「えぇ。よろしくね、蔵ノ介」
「畏まりました」
黒いリムジンの横で恭しく主人に頭を下げる執事。
この学校の前では珍しい光景ではないというのに、毎朝、私とこの執事とのやり取りは、衆目の視線が痛い。
中でも、この見目麗しい執事に向けられた女生徒の熱い眼差しが。
「なまえちゃん、おはよう。相変わらず羨ましい限りやわぁ。あんなえぇオトコに傅かれるなんて」
「おはよう、金色さん……」
目を輝かせてやってきたのは、クラスメイトの金色さん。
見た目はれっきとした男性だけど、心は恋する乙女らしく、蔵ノ介に熱をあげてる中のひとりだったりする。
「彼、この春からなまえちゃんの専属執事になったんやろ?」
「んー、まぁ、ね……」
ますます羨ましいわぁと感嘆する金色さんに、私は苦笑を返す。
「あら、何か不満があるん?」
「不満……ではないのだけれど」
意外そうな顔で、瞬きをする彼に、言葉を濁す。
蔵ノ介は何でもそつなくこなしてくれるし、気も効くし、執事としては何ら申し分はない。
「でも、だからこそいいのかなって思って」
自分で言うのも何だが、みょうじ家は、伝統ある名家などではない、ただの成り上がり者。
しかも、辣腕を振るったお祖母様が12年前に他界してからは、あまり目立った業績もない。
すぐに潰れるほどではないにしろ、言うなれば落ち目の家だ。
「蔵ノ介みたいに優秀なら、他にいくらでも働き口はあると思うの。彼が大学で研究してた薬品開発の職についたっていいし、執事を続けるにしても、ウチなんかより、うんと高く雇ってくれるトコだってごまんとあるのに」
みょうじ家に縛り付けてしまうのは、蔵ノ介の可能性を潰してしまうようで、申し訳ない気持ちになる。
「せやけど、なまえちゃんに付くっていうんは、執事はんのほうから言うてきたんやろ?」
「そうなんだけど……。蔵ノ介は律儀すぎるトコがあるから」
大方、主家に対する忠義とかを気にしてるだけなんじゃないかと思う。
蔵ノ介には充分すぎる程、尽くして貰ったんだから、もう自由になっていいと思うのに。
「なら、執事はんに直接訊いてみたら?彼がなまえちゃんを選んだ理由を」
***
「――ま、なまえお嬢様」
「あ……」
「お屋敷に着きましたよ」
後部座席のドアを開け、心配そうな眼差しでこちらを伺う蔵ノ介。
いけない。
今朝の金色さんとのやり取りを気にするあまり、屋敷についたことすら気づかなかったらしい。
「どこか具合が悪いのですか?」
「違うわ。ちょっと考え事をしてただけ」
「何かお悩みなのですか?僭越ながら俺でよろしければ、ご相談にのりますが……」
「気にしないで。大したことではないから……」
まさか貴方のことで悩んでいたなんて、本人を前にして言えるはずもなく、頭を振る。
「本当に?」
けれど、勘の鋭い蔵ノ介を欺くことはできず、疑念の視線を向けられた。
「……聡すぎるのも問題ね……」
溜息混じりにそう漏らすと、蔵ノ介がくすりと笑う。
「まぁ、なまえお嬢様とは長いお付き合いですから。お嬢様のことなら、どんな些細な変化だって、気づける自信はありますよ」
「そんな自信たっぷりに言われても、それはちょっと怖いから」
けれど、彼が誇らしげにそんなことを言えてしまうくらい、付き合いが長いのは事実な訳で。
この際、あの疑問をぶつけてみるのもいいかも知れない。
「……ねぇ、蔵ノ介」
「はい。何でしょう、お嬢様」
「貴方は何故、私の専属になるのを望んだの?」
柔らかな笑みを浮かべていた蔵ノ介が、目を瞠った。
「……俺が専属ではご不満ですか?」
「そうじゃないわ」
蔵ノ介に不満なんてあるはずがない。
頭を横に振って、その意思を伝えると、蔵ノ介は怪訝な表情を浮かべた。
「そうじゃない、けれど……」
「けれど?」
「貴方には大学卒業後は自由な将来が約束されていたはずでしょう?なのに、また私に縛り付けてしまうのが、心苦しくて……」
「……お嬢様、その様なお顔をなさらないで下さい」
俯いた私に視線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ、蔵ノ介の手が、私の頬に触れる。
「お嬢様は、俺が俺の意志でなく貴女に仕えているのではないかと、心配して下さったのですね」
「違う……の?」
「勿論です。俺は自ら望んで、なまえお嬢様にお仕えさせて頂いているのです」
「どうして……」
落ち目の家の令嬢に仕えたって、何の得もないのに。
尚も腑に落ちない私に、蔵ノ介は困ったような笑顔を向ける。
「……なまえお嬢様は、大奥様のご葬儀の日を覚えていらっしゃいますか?」
「えぇ」
大好きだったお祖母様。
12年前、身近な人の死を初めて経験した私は、蔵ノ介や他の人もお祖母様のように突然いなくなってしまうのではないかと、怖くて怖くて、ずっと泣きじゃくっていた。
「あの時、申し上げたでしょう?ずっとお傍にいる、と。あれは貴女に誓うと同時に、俺自身にも誓ったんです。なまえお嬢様が望む限り、貴女のお傍にいようと。貴女を守って差し上げよう、と」
「!」
そっと右手を取られ、唇が寄せられる。
「それは紛れもない俺の意志です。ですからどうか、これからもなまえお嬢様のお傍にいることをお許し願えませんか?」
上目遣いに、昔から変わらない、温かな眼差しを向けられて、胸の奥がきゅうっとなった。
「……許すも何も……、むしろ私からお願いするわ。蔵ノ介、どうか、これからもずっと私と一緒にいて」
右手に添えられた彼の左手を包み込むように握ると。
「――はい。なまえお嬢様の仰せのままに」
蔵ノ介は柔らかな笑みを深めて、恭しく頭を垂れた。
誰よりも近くで(ありがとう、蔵ノ介……)
(いいえ、お礼を申し上げるべきは俺の方です。なまえお嬢様のお傍にいられることが、何よりの幸せですから)
(!)
(……お嬢様?顔が紅いようですが……)
(な、何でもないわっ!(その見た目でその台詞は反則でしょ……))
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