「最後にnにk+2を代入して……」
「そか、こうすれば証明成立するんや」

夏休みの昼下がり。
全国大会も無事終えて、長期休暇も残すところあと1週間足らず。
今日は白石君に呼ばれて学校の図書室を訪れていた。

「やっぱしなまえ先輩、教えるのうまいですね」
「そう?白石君の方こそ飲み込み早いよね」
私が教える必要ないんじゃない、と言うと、そんなことありませんでと返される。


白石君と付き合い始めてからひと月が経った。
彼に告白するまで続いていた陰湿ないじめも、白石君と付き合い始めた途端にぱったりと止んで、おかげで私と白石君はこうして静かに図書室で勉強会が出来ていたりする。
あまりにも見事に嫌がらせをされることがなくなったものだから、白石君に何かしたのかと問うと、とても綺麗な笑顔ではぐらかされた。
……多分、脅すなりなんなりしたんだろうな、と推測はしているが。


「しっかし、何でなまえ先輩は先輩なんですやろ?」
「……何、そのロミオとジュリエットみたいな台詞」
昼休憩に図書室を出た私たち。
隣を歩く白石君が唐突に口にした疑問に呆れ顔を返す。
「んー、あぁいう深い話やなくて、単純に先輩と俺の立場が逆やったら良かったのに、っちゅうこと」
「……つまり、私が白石君の後輩だったら、てこと?」
にっと片頬を吊り上げる白石君。
その笑顔に私は身の危険を感じ、思わず一歩遠ざかろうとしたところをあっさりと悟られ、そのまま彼の腕の中に閉じ込められる。
背中側から回された腕が熱い。

「そしたら、俺がなまえの勉強みれるやん?」
わざと低くした声が耳元で囁く。
「さっきみたいに向き合って勉強するんもええけど、俺が教える側やったらこーやったりもできるし、な?」
背中にぴったりとくっつかれているのと耳元に掛かる吐息とで、体温が急上昇する。
「白石君離して……っ!」
「んー?」
「んー、じゃ、なくて……っ!ココ学校だし……っ!」
「別に如何わしいことしとるわけやないし、ええやろ?こんくらい」
「よ、くない……っ!」

付き合ってから知ったことだけど、白石君は割と過度なスキンシップを好む。
けれど、白石君と付き合うまで彼氏と呼べる存在が全くいなかった私にとっては、恥ずかしい以外の何者でもないから困る。
そしていつも真っ赤になって白石君にからかわれてしまうのだ。

今だってもう頭まで沸騰しそう。
というか何かくらくらしてきたような……?
心なしか俯いた視線の先にある白い床がぐるぐると回っている気がする。

「……なまえ?」

不審げな白石君の声も遠い。
おかしいな、すぐ近くにいるはずなのに。

「なまえっ、おいなまえ!」

白石君の必死な声を聞きながら、私の視界は暗転した。


***


「ん……」
目を開けると視界いっぱいに広がる白。
ベッドの上に横たわっているんだと脳が理解するまで数秒を要した。
「あれ、私……?」
自分の置かれた状況を把握できずに、まだ少しぼーっとしている頭を働かせていると、がちゃりとドアを開ける音がして人が入ってきた。
「おそようさん。よう寝とったな」
どこか呆れた声は、白石君のもの。
だけど、彼はさっきまで着ていた白のカッターシャツではなく黒のTシャツにジーンズというラフな恰好をしている。
いつ着替えたのだろうかと不思議に思って見上げた先にあるのは、いつも以上に大人びた白石君の顔。
元々とても綺麗な顔をしているけれど、心なしか艶やかさが増したような気がする。
「白石君、だよ、ね……?」
ともすれば別人のように思えてしまうので、つい確認を取ってしまった。
「なんや、婚約者の顔見忘れたん?ちゅうか、プロジェクトも終えたし、いつもみたいに蔵ノ介って呼んでええんやで?」

…………はい?

苦笑する白石君の口から漏れた単語の数々に思考が停止する。
私はまだ1度も彼のことを名前で呼んだことはないし、それに……色々と聞き慣れない単語が飛び交ったような……。

「……まだ寝惚けとるん?それとも、」
白石君は目を丸くすることしかできない私の隣に腰掛けて、大きな手で私の額に触れた。
「昨日の酒で記憶飛ばしてしもたんか?」
「!」
色気の増した顔が近付くから、心臓がどくんと跳ね、体温が上がるのがわかる。
「初々しい反応やなぁ。高校ん時のなまえみたいや」

過去を振り返るような白石君の台詞。
これってもしかしなくても……。
「あの、」
「なん?」
「今って西暦何年ですか……?」
質問の意図をはかりかねたのか、白石君は目を瞬かせている。
「20XX年やけど?何や、ほんまに記憶飛ばしたんか?」
想像はしていたけれど、返された数字は私が認識しているものより10年も先で、あまりの非現実的な出来事に眩暈を覚えた。
タイムトリップなんて、映画や小説じゃあるまいし……!
「ちょ、顔色悪いで……。ほんま大丈夫か、なまえ?」
気遣うようにこちらを覗きこむ白石君に、私は小さく首を振ることしかできない。
「具合悪いんやったら医者行くか?」
病院でどうにかできる問題ではないので、これも首を横に振って答える。
「やったらどうしたいん?」
どうしたいか、と問われたら答えはひとつしかない。
「…………たい、」
「ん?」
「元の世界に帰りたい……っ!」
「…………は?」


***


「……成程な」
「蔵ノ介さん、信じてくれるんですか……?」

混乱するあまり、思わず本音を口にしてしまった私は、今自分が理解しているだけの状況を蔵ノ介さんに説明した。
因みに彼のことを『蔵ノ介さん』と呼ぶのは、彼が苗字に君づけだと会社にいるみたいで嫌だ、と言ったから。
蔵ノ介さん曰く、私と彼は同じ製薬会社の開発部門に勤務しているらしい。けれど仕事に私事は持ち込まないという10年後の私の意向で、婚約して同棲をはじめてからも会社ではお互い苗字に君もしくは先輩付けで呼び合っているのだとか。

「信じるしかないやろ。自分ほんまに10年前より後のこと全く覚えてへんし。それになまえがそないくだらん嘘吐くとも思えへんからな」
「ありがとうございます」
突飛なこの状況を彼が信じてくれるだけで、少し心が軽くなった。
当事者である私でさえ半信半疑なのだから、絶対信じてもらえないと思っていたのに。
「ま、嘘吐いとるんやったら、ちょーっときっついお灸据えたるから、覚悟しとき?」
しかし、安心したのも束の間、にやり、と妖しい笑顔を向ける蔵ノ介さんに、身の危険を感じて必死に腕を振り、嘘ではないとアピールする。
「はは、冗談やって冗談。その反応見ただけでわかるわ。今のなまえやないってな」
苦笑して、優しく抱きしめながら頭を撫でてくれる蔵ノ介さん。

……何だか子ども扱いされている気分だ。
けれど、決して嫌ではない。
寧ろ家族に甘やかして貰っているみたいで何だか安心できる。

「しっかし、やっぱ違和感あんなぁ……」
大人しくされるがままになっていると、しみじみとした口ぶりで蔵ノ介さんがぼやいた。
「何がですか?」
「いつもやったら、なまえを甘やかすと少し抵抗するんにそれがない」
……強がりの癖は10年後も治っていないのか、と今度は私が苦笑する番。
「それと、なまえにそうやって敬語使われとるんが、な」
「すみません……」
高校生の面影はあるのだけれど、やっぱり隣にいる蔵ノ介さんは私が知っている白石君より大人になっていて、年上には敬語という習慣が染み付いている私はどうしても普通に喋れないのだ。
私自身、外見だけは10年後のままなので、蔵ノ介さんにとっては違和感を感じるどころではないのだろうけど。
「別に謝らんでもええで。寧ろ嬉しいくらいやし」
「嬉しい……?」
「今まで何度もなんでなまえのが先輩なんやろうかって思ってしまう事が何度かあったからな」
立場逆転っちゅう夢が叶ったわ。

にやり、と微笑まれたかと思うと、腕をとられて今まで向かいあう形で座っていたのが、後ろから抱きしめられる体勢になる。「これからいつまでこのままか、わからんのやろ?」
「は、はい……」
囁く言葉と一緒に耳朶に触れる吐息が擽ったくて、身を捩ると、逃がさないといわんばかりに抱きしめる腕の力が強められた。
「せやったら、こっちの世界のこと学んで貰わんとな」
「え、」
突拍子もない蔵ノ介さんの発言に耳を疑う私。
「しゃーないやろ。こんなことになっとる理由は解らへんのやし。せやったら頭切り替えてこっちの世界で生きてくこと、考えたほうが早いで?」
確かにそうかもしれないけれど。
「……因みに何をどう勉強するんですか?」
「まずは会社関係やな。重役や部下の顔と名前の一致は必須やろ。あと高校では学ばない薬品関係の基礎知識とか……。それと、」
言葉を区切って、私の頬に大きな手を添え顔を自分のほうに向けさせる蔵ノ介さん。
視界に入った綺麗な顔に、さも愉快そうな……、そう、10年前の白石君が私をからかう時と同じ表情を浮かべている。

本能的に危険を察知し、逃れようとするも空いているほうの腕が腰をぐっと抱き寄せているから逃げようがない。
そんな私をみて、口端を吊り上げた蔵ノ介さんは、長い指で私の唇をそっとなぞった。

「10年前のなまえにはちょーっと刺激が強いこととかも、な……?」

艶やかさ5割増しの笑顔に、心臓が早鐘を打つ。
体中の血液が沸騰したみたいに身体中が熱くなる。
あまりの恥ずかしさに目が回りそう。
というか、目の前にある蔵ノ介さんの顔が2つに見えるし、心なしかそれらが揺らいでいる気もする。

「……なまえ?」
不審げな蔵ノ介さんの声。
目の前にいるはずなのにそれがどこか遠い。
あれ、なんかこれちょっと前にも同じことあったような……?
思考をめぐらせている間にも視界はどんどん明度を失っていく。

「なまえっ、おいなまえ!」

彼の必死な声を遠くに聞いて、私は意識を手放した。


***


「ん……、」
のろのろと目を開けると、ぼんやりとした視界に映るミルクティー色。
「くらのすけ、さん……?」
名前を呼ぶと、ふわりと揺れるその色が一瞬ぴしり、と音をたてて固まった気がした。
不思議に思って目を擦り、視野をはっきりとさせると、高校の制服姿の彼が、ほんのりと色づいた顔でこちらを見下ろしていた。
元いた世界に戻って来られたことに安堵するより先に、白石君の表情に驚く。
だって、いつも一緒にいて顔を赤くするのは私ばかりで、そんな私を白石君は平然とからかうのに。

「顔、赤……って、わっ!?」
指摘すれば、彼の左腕で乱暴に視界を塞がれる。
「……あんま見んといて下さいや、恥ずかしいから……」

ちゅうか不意打ちとか卑怯やろ、とかなんとか口ごもっている白石君が、少し可愛く見えたのは内緒にしておこう。


10年先も
キミと一緒に



その後。
(じゃあ大体終わったし帰ろうか、白石君)
(あれ、なまえ先輩、名前で呼んでくれへんの?)
(え?)
(さっき目覚ました時、呼んでたやん、俺の名前)
(あ……)
(もしかして無意識やったん?せやったらもっぺん呼んでみて下さいや)
(う゛……)
(せーんぱい?)
(…………蔵ノ介、君)
(あれなまえ、顔林檎みたいになってんで?)






李御様リクエスト、LOVE GAME連載後設定、未来へトリップでした。
恋愛遊戯の設定でのリクエストをいただけたのが何よりも嬉しかったです!
需要あってよかった...黒石... !
甘い話ということでしたが、多少の黒さがないと恋愛遊戯の白石ではなくなってしまうので、少々スパイスも効いております(苦笑)
なんだかんだでこの白石はヒロインを大切にしています。
してるんですが、やっぱり自分好みの女の子にしている。
ヒロインも時折白石に思わぬ反撃をしますが、やっぱり1枚上手な白石。
それでも10年先まで続いていくのは、きっとその間にお互いに対する理解を深めていったからだろうなぁと想いながら書いてみました。

それでは、少しでも李御様が楽しめることを祈って。

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