オレンジ色の夕陽が差し込む教室。
残されているのは私ひとり。
机の上には英語のプリント。
学期初めの課題テストで合格ラインに達しなかった生徒に課される再試を4度受けても合格しなかった私には、どっさりと和訳英訳問題が出されていた。
帰宅部なのに、部活動終了時間までの居残りを2週間近く続けて漸く最後の1問。
なんだけど。
正直もう無理。長文読解も何とかなるとこはなんとかしたけど、最後の1問がどうしても解けないのだ。

サボって帰ろうかな、と思ったその時、がらりと大きな音がして教室の後ろの扉が開いた。
「ちゃ、ちゃんとやってますよっ!?」
先生だろうと思って、帰り支度をしていたところを誤魔化しつつ振り替えると、目を瞬かせるクラスメイトの姿があった。
それは学年問わず人気のある(勿論私も好きだったりする)財前君で。

「……ぷ、」
少しの間気まずい沈黙が2人の間を包んだかと思ったのも束の間、ジャージ姿の彼が小さく吹き出した。
「ちゃんとやっとるって、みょうじめっちゃ帰る準備しとるやん……っ!」
普段は無表情で無愛想な印象の彼が、あろうことか腹を抱えて笑う姿なんて誰が想像できただろうか。
そんなありえない光景を目にして、今度は私が目を瞠る番だった。
「ていうか、財前君笑いすぎ……っ!」
一向に笑いをとめない財前君に、今更ながら恥ずかしさが込み上げてきて文句を言うと、彼は漸く笑うのをやめてくれた。
「みょうじの反応がおもろすぎるからあかんのや」
「私のせいですかっ!?」
いつもと同じクールな表情に戻った彼は、しれっと言ってのける。
「ていうか財前君何しに来たの?」
「あー、ちょい忘れもん取りに。ちゅうかみょうじこそこんな時間まで何しとるん?」
「…………これ」
「まだやっとったんかい。新学期始まってもう1ヶ月以上経ってるやん」
課題のプリントをひらっと顔の前に広げると、容赦ない事実を突きつけられる。
「知ってるよ!」
最初の頃はこの教室の3分の1くらいはいたはずの仲間ももういないしね。
……しょうがないじゃん、苦手なものは苦手なんだい。
「で?」
「は?」
がたっという音を立てて、財前君が私の前の席に座る。
「は、やなくて。それ」
頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、財前君はぶっきらぼうに私が持ってるプリントを指した。
「これ?」
「それの何処がわからんねん」
「……もしかして教えてくれるの?」
「まぁ俺暇やし。みょうじが後で善哉奢ってくれるっちゅうんやったら」
「財前君、ありがとうっ!」
無造作に机の上で組まれていた彼の両腕をとって握手する。
財前君と言えば、英語の成績常にトップで有名なんだよね。
授業中もさらさらと英文読んじゃうし。
これで地獄の居残りから解放されるなら善哉でもなんでも奢りますって。
まさしく神の采配とはしゃいでいると、ぱっと振りほどかれた右手でチョップを喰らわされた。
「阿呆。はしゃいでんとやるで」
「……ハイ」


***


「で、どこがわからんって?」
「これの意味」
プリントの右半分上段を占める長文の中の一文を指さす。
「“I’d like to take the space trip.”か?」
「うん」
発音綺麗だな、とか思っていると、目の前の財前君は盛大な溜息をついた。
「……これのどこがわからんかが俺にはわからん」
「それは財前君が英語、得意だから」
出来る人には出来ない人の悩みはわからないんだよ。
そう不貞腐れていると、今度は額を指で弾かれた。
「文句言ってんと、とりあえず訳せや、口頭で」
「……はい」
脳内で浮かぶ単語の意味をなんとかつなぎ合わせてみる。
「えーっと……、私は、宇宙旅行を、とるのが、好き、です……?」
なんだこれ、意味わかんない。
「みょうじ……」
「はい」
「1年からやり直したほうがええんちゃう?」
「えぇっ!?」
首を捻っていた私に、またもや容赦ない言葉を浴びせる財前君。
「やって単語の意味、初期の初期までしか覚えてへんやん」
「う゛……」
事実なので何も言い返せない。
結構最初の段階で英語に嫌気が差した私は、殆どの英語の時間が睡眠時間と化している。
そのおかげで、寝ててもバレない寝方を習得できた代わりに、構文とか例文はすっかり頭から抜けている……というか最初から入っていないのだ。
「しゃーないな。教えたるから耳の穴かっぽじってよう聞いとけよ」
「ハイ」
「まずlikeの意味からちゃうわ。これはwould like toっちゅう構文で……」

プリントに丁寧な字で要点を書き込んでくれる財前君。
反対向きなのに、よくこんな字かけるなぁと感心していると、話を聞け、と頭にもう1度チョップを落とされた。

「これら繋げてみ」
「私は宇宙旅行をしたいです?」

財前君の教え方はここの学校の英語教師の誰よりも上手かった。
今まであんなにちんぷんかんぷんだったのに、今日は10分足らずで理解してしまったよ。
財前君にそれを伝えても、別にフツーやろ、とぶっきらぼうな答えが返されるだけだったけど。


「財前君本当にありがとう!」
これを職員室の教科担任に持っていけば、居残り期間も終えられる。
荷物を纏めて喜び勇んで立ち上がると、一向に席を立とうとしない財前君に制服の袖を引っ張られた。
「何?」
「まだ帰ってええなんて言ってへんやろ?」
「へ?」
課題も終わったのにそれまた何故?
ていうか、私が帰るのに、なんでこの人の許可がいるんだ。
そう思ってむくれていると。
「やってみょうじ、間違いなく今教えたこと明日には忘れてるやろ」
「う゛……」
これまた痛いところをついてくる。
けれど、ほぼ確実に明日には彼の指摘どおりになっているだろうから何も言い返せない。
だって覚えた片っ端から忘れていくんだよね、英語って。
自分でも不思議だけど。

「せやろ。だから俺が絶対に忘れさせんようにしたるわ」
「は?」
「みょうじ、次の英語を和訳しや」
「え、」
「I’d like to stay with you.」
反論を挟む間もなく、流暢な英語を喋る財前君。
ていうか、流暢過ぎて聞き取れなかったんですけど!
「……リスニングのトレーニングも必要みたいやな」
呆れたように言いながら、さっき言ったらしい言葉を机の端に書いていく。
って、これ私の机!
「後で消したるからええやろ。ええから、訳し」
彼が指差す文章をじっくりと読む。
「えーっと……、アイドライクステイウイズユー?」
発音悪すぎ、というツッコミはもう無視しておくとして、さっき彼に教えてもらったことを思い出す。
「んと……『私は貴方の家に滞在したいです』?」
「……80点」
「え、違うの?」
“stay with 〜”という例文は珍しく起きていた今日の授業の最初で少しやっていたから覚えているけど、確か『〜の家に滞在する』だったはず。
「直訳としてはあってんで。けど、2年生やったら少しくらい意訳しろや。日常会話で人んちに滞在するとか言わへんやろ」
「…………だったら、『貴方の家に泊まりたいです』?」
「90点」
「何がいけないの?」
「stayを単純にいるって考えや」
そうすると……。
「あ、『貴方と一緒にいたいです』?」
「正解。やったらこれは?」
机のアルファベットが書き換えられていく。
ほれ、と彼が指した文章は。

「アイド、」
「“I’d like to stay with Namae.”」
……は?
さっきの今で文章の和訳はすぐに理解できる。でも。まさか。
「Do you understand that meaning?」
財前君は口端を吊り上げて流暢な英語で問うてくる。
「の、ノー?」
というか寧ろこっちが聞きたいよ。
「何でなの……?」
「そんなん決まっとるやろ」
戸惑う私と財前君の額がぶつかる。

「なまえが好きやから」

「うそ、」
「嘘やあらへん。一緒にいたいっちゅうんも、好きなんも全部俺の本音や。
……なまえは?」
至近距離でこちらを見つめる切れ長の瞳に鼓動の速さが最高潮に達する。
「わた、しも、好きです……」
心臓の音に突き動かされるようにして、私の口は勝手に答えを紡いでいた。


はっぴーえんど



(提出してきたよ)
(ほな、早速やけどデートしいひん?)
(え?)
(善哉、奢ってくれるんやろ?)
(忘れてた……!)






沙織様リクエスト、クラスメイトな財前です。
リクを頂いてすぐに、財前とクラスメイトなら英語を教えてもらう話にしようと決めてました(笑)
英語力がかなり落ちているので、英文考えるのに苦戦しましたが書けてよかった……!
文中の”I’d like to stay with you.”は昔好きで聞いていた曲の歌詞にでてきてて、多分授業の予習以外で自分から進んで英和辞典を開いた一文でもあります。
……まぁ辞書的な意味丸無視の意訳で覚えていたので、ここでは「貴方と一緒にいたい」で使っています。和訳違っていたらすみません(汗)
因みにヒロインは財前の苦手な古文が得意という裏設定があります。
きっとテスト前にはお互い苦手なところを教えあっているのではないでしょうか。

素敵なリクエストありがとうございました。
それでは少しでも沙織様が楽しめることを祈って。

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -