夕方の駅構内。
しんしんと冷えてくる季節のせいか、それとも真冬の星々を隠す黒雲がいつ涙を落とすのかわからないせいか、コンコースを抜ける人々の足は忙しない。

「蔵っ!」

その中に、一際目立つミルクティブラウンの髪を見つけて、手を振ると、俯き加減だった彼の顔がこちらを向く。

「なまえ!?」
「お帰りなさい」

慌てて駆け寄ってきた彼に笑顔を向けると、蔵は「ただいま」と律儀に挨拶だけは返してから、疑問を口にした。

「なして、こないなとこおるん?」
「今日お昼のニュースで夕方から雨か雪が降るって言ってたから。蔵、傘持ってなかったでしょう?」
「それで、わざわざ迎えに来てくれたん?」
「うん」
「あれ、白石やん?」

蔵の問いかけに頷くと、蔵と同じような黒いトレンチコートを纏った男性が声を掛けてきた。

「あ、ハラテツ先輩」
「ええとこで会うたわー、自分傘持ってへん?外出たら雨かみぞれみたいなんが降ってきよ……って、あれ、白石の嫁さん?」

物凄い勢いでしゃべりだしたその人が、蔵の陰にいた私に目を留める。

「あ、はい。いつも夫がお世話になっております」
「あ、これはご丁寧にどうもー。って、奥さんここで何してはるん?」
「えと、彼を迎えに」
「傘つきで?」

彼の問に「はい」と頷くと、ハラテツ先輩と呼ばれたその人は、急に蔵の手を握ったかと思うと。

「白石……、一生の頼みや。自分の嫁さん、俺にくれ」

スパンっ!

一瞬の間もおかず、蔵の手刀が炸裂した。

「あかんに決まっとるでしょっ!人の妻に手、出さんといてください」

蔵の腕がぎゅっと私を抱きしめる。

「あててて……。冗談に決まっとるやろー。相変わらず頭かたいな、白石は」
「冗談でも言うてええことと、悪いことがありますっ!」
「へいへい。奥さんよかったなー。この分やと自分の旦那、浮気は絶対ありえへんわ」
「はい」

にかっと笑った蔵の先輩に頷くと、彼は「ほななー」と明るく手を振って去って行った。



***



ハラテツ先輩が言っていたように、駅構内を出ると雨とは違う、さらさらという軽い音を立てて、黒雲から水分が落ちてきていた。

「ったく、何がしたかったんや、あの人は」
「でも、面白い人だったね。蔵の職場の先輩だっけ?」
「おん。中学時代の部活の先輩でもあるんやけどな」
「そうなの?すごい偶然だね、それ」

2人で1つの傘を差しながら、引っ越したばかりのアパートに向かう。

「……なまえ、なんやごきげんやない?」
「そう?」

さっきのことを話しながら歩いていると、蔵が突然そんなことを訊いてくる。

「おん。普段にもまして笑顔が眩しいんやけど。何かええことあったん?」
「えと、ね。さっき先輩が私のこと、『白石の嫁さん』とか『奥さん』って呼んでくれたでしょう?」
「おん」
「それがね、嬉しかったの」
「……そんだけ?」
「うん」
「……ホンマに?」
「あ、蔵なんか疑ってるでしょ」
「え゛、あ、いやそんなことは……」

しつこいくらいに訊いてくるから、少しだけ意地悪を言うと、蔵はあからさまに口を濁す。

「もう、蔵のバカ」
「すまん、すまん」

口を尖らせると、蔵は慌てて頭を下げる。

「でも、それだけで?」
「うん。ホントのホントにそれだけなんだけど、嬉しかったの」
「また、なして?」
「んー、何ていうのかな。蔵と私が夫婦なんだって認められたというか、私が蔵の奥さんなんだって改めて実感できたっていうか……」

先月結婚式も挙げているし、結婚指輪だってちゃんと2人の薬指で光ってる。
でも、私は蔵の希望で結婚退職してしまっているし、お互い親に迷惑はかけないでおこうということで、どちらの実家でもなく、アパート暮らしを選んだ。
そして、そのアパートにもまだ越したばかりで、他の住人との交流も薄い。

「だからかな。私自身が『白石』さんって呼ばれることがあまりなくて、今も夫婦っていうより、恋人の延長みたいな感じがしてて……」
「恋人の延長やとあかんの?」
「ダメじゃないけど、恋人は何だろう、不安定な感じがするの」

言葉で説明するのが、すごく難しい。

「でも、夫婦は安定してる?」
「うん」

そんな私の拙い説明を、蔵は理解してくれようとしてる。
それも嬉しくて、幸せな気分が増えていく。

「だから、今までなんとなく自分が恋人なのか、夫婦なのか、あ、結婚したから実際には夫婦なんだけど、感覚的にまだ恋人みたいで」
「うん」
「でも、先輩がそう呼んでくれたから、あ、ちゃんと私たち周りからみて夫婦なんだって思えて。ちゃんと、私が白石蔵ノ介の妻ですって言っていいんだって思えて。それがね、嬉しかったの」
「実際、なまえもそう言われて頷いとったもんな」
「だね」
「俺も、」

玄関前で、濡れそぼった傘を閉じて、蔵がわずかに顔を朱くする。

「なまえが俺のことを『夫』って呼んでくれた時、何かむずかゆいような、嬉しいような変な気持ちになって、それに……」
「それに?」


「旦那として、しっかり奥さん守ってかなあかんなって思った」


途切れた言葉の先は、私を赤面させるには十分すぎるものだった。



恋人以上




その夜
(なぁ、なまえ)
(なに?)
(今日は夫婦の絆、深めへん?)
(……いいよ)





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大変長らくお待たせいたしました。
秋桜様リクエストの「らぶらぶな夫婦」のお話でした。

現在拍手夢のような結婚してしばらく経った夫婦か新婚さんかで悩みましたが、結局新婚さんで書いてみました。

らぶらぶ……ですかね(^_^;)

とりあえず補足をしておきますと、ヒロインは結婚前も独り暮らし、白石は実家暮らしです。
だから、独りで家にいることに慣れているヒロインのほうが、結婚したという実感が湧きにくくて、ハラテツ先輩の一言でようやく実感できた、みたいな感じです。

本当であれば、補足の内容もうまく本文中に入れるべきなのですが、それができず……。
筆力不足ですみません。

秋桜様がお気に召さなければ、何度でも書き直しいたしますので、お気軽にお申し付けくださいませ。

それでは、最後に10万打企画に参加してくださった秋桜様に最大限の感謝を捧げますとともに、少しでもお楽しみいただけますことを願っております。


羽澄 拝

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