「白石センセー」
「先生、ここわからんのやけどぉ」
「これはなぁ……」

放課後の化学準備室。
フツーの学校だったら、狭くて薬品臭いこんな教室にたむろする生徒なんて殆どいないだろうけど、この学校では、女子のたまり場と化す。

理由は簡単。
ウチの学校の若手化学教師・白石蔵ノ介先生が、アイドル並の美形だからだ。

「あ、ホンマや。さすが白石センセ、わっかりやすーい」
「わっかりやすーいて、授業でやったやろー」

ったく、授業でやったことならちゃんと覚えときなさいよ、バカ。

先生の隣に居座る、派手なメイクの2年生をちらっと見遣って悪態をつく。

こっちは受験対策中だってのに、煩くて集中できやしないじゃない。

「センセ、ウチもここがわからんー」
「あぁ、こっちは、この式にこの値を入れて……」
「あ、解けたー。センセおおきに。大好きー」
「はは、おーきに。俺もみんなのこと、好きやで」

さっきの子とは反対側にいたこちらも派手に髪を巻いた後輩が、先生の腕に抱き着く。
その子に対して、にこやかに笑った先生の返答に、頭の中の何かが切れた。バキッ!

シャープペンの芯が折れる音。
一瞬にして、喧噪が引く。

けれど、その静けさも長くは持たず、白石先生を取り囲んでた女の子たちが、こちらを見遣りながら、「こわーい」とか「何、あの人」とか囁きだす。

「……さ、もう質問ある子はおらんな」
「えー、もうお開きー?」
「そろそろ下校時刻やろ。それに、ここには受験生の先輩もおるから」
「「はーい」」

鶴の一声、とはまさにこのことを言うのだろう。
それまで騒がしかった彼女たちは、白石先生が帰宅を促すと、渋々といった体ではあるものの、大人しく帰って行った。

「ごめんな、みょうじ、煩くて」
「いえ……、」

眉根を下げる白石先生に、会釈を返す。

「小論解けた?」

先ほどの後輩たちに向けていたのと同じ、優しい笑顔で訊ねてくる先生。
白石先生は、誰に対しても平等に優しい。
けれど、私に対しては少し、冷たい。

「いえ、あと少し」
「そか……。ほな、俺、隣の化学室で明日の実験の準備してるから、解けたら声かけてな」
「はい」

また、か。
先生はいつもこう。
さっきの2年生みたいな子たちがいるときは、この準備室でつきっきりで面倒をみてあげるのに、彼女たちがいなくなって、私だけが残されると、すぐに化学室か職員室に行ってしまう。
まるで、私を避けるみたいに。

何で。

ちくん、と胸が痛む。

以前、あの子たちみたいなノリで先生に『好きです』と伝えたことがあった。
その時、先生は困ったように笑うだけで、決して好きだとは答えてくれなかった。

あの子たちには、あんなにも簡単に言っちゃうくせに。
どうして、私だけ。
生理的に受け付けないとかなら別だが、特に先生に嫌われるようなことをした覚えもない。



それなのに、どうして――……。



「……え?」

夕陽に照らされた白石先生が、驚きに目を瞠る。

「今、なんて?」
「先生のことが好きです、って」

もう1度、きちんと自分の想いを伝えようと決意したのは、先生の指導のおかげで無事、志望校への推薦合格を得た日だった。

「みょうじ、それは……」
「勿論、先生としてじゃなく、ひとりの男性として」

真っ直ぐに見据える私の視線から、気まずそうに顔をそむける白石先生。

……届かないことは知っていた。
いくら若いっていっても、先生からしてみれば、高校生なんてまだ子供で。
しかも、私は生徒として好かれていたかさえもあやしい。

だから。

「答えはなくていいです。私が言っておきたかっただけだから」

この想いごと、この学校に置き去るつもりで、伝えた。

明日からは、自由登校期間。
今伝えておけば、最後の、卒業式の日には、心の整理をつけて、ちゃんと生徒としてお礼を言えるだろうから。

「それじゃ、これで」

一礼して、白石先生に背を向ける。

「まっ、みょうじっ、」

後ろから焦ったような白石先生の声がしたけど、聞こえないフリして立ち去った。



***



それから、数週間後。

私が高校生として過ごす、最後の1日がはじまった。

それまでと同じ道を歩いて、校門をくぐり、昇降口から校舎に入る。
1年間使い慣れた下駄箱を開けて上履きを取り出すと、ひらりと何かが舞い落ちた。

「!」

何とはなしに拾い上げて、息をのんだ。

『みょうじ、卒業おめでとう。今日の帰り、裏門で待ってる 白石』

簡潔なメモは、紛れもなく先生の字で書かれてて。

どういうこと?
何で今更?

様々な疑問と、かすかな期待。

式の最中も、ずっとあのメモが気になって、同級生の答辞も、下級生の送辞も、歌だって、何もかもが上の空のまま、すべての行事を終えた。



そして、教室で名残を惜しむ友人たちから、さっさと離れて、裏門へ向かうと。

呼び出した張本人が、どこか所在なさげに佇んでいた。

「白石先生?」

声をかけると、白石先生は口元に人差し指を当てて、手招きをする。

黙ってこっちへこいということだろうか。

大人しくその指示に従うと。

「もっとこっち」

先生はどんどん歩いてって、ひとり門の外へと出てしまう。

「みょうじも、おいで」

そして、私も先生に誘導されるまま、校門の外へ出る。

「あの、先生?」
「今だけ、先生って呼ぶの、やめてや」

大人しく従ったものの、意図がわからず首を傾げる私に、白石先生は困ったような表情を見せた。

「決心が鈍るから」
「決心って……?」
「それを、言う前に少しだけ確認させてほしい」

何を、という疑問を目で訴える私に、先生は困惑した表情を変えないまま、言葉を繋げる。

「みょうじはもう卒業したよな」
「はい」
「せやから、もうこの高校の生徒やない」
「……はい」
「俺も、学校の敷地から外に出とるよな」
「はい」

自分で外に出たクセに、何を言うんだ、この人は。

「学校の外に出たからって、先生じゃなくなる訳やないけど、今から言うことは、教師としてやなく、俺個人の言葉として、聞いてほしい」

じとっとした眼差しを向けると、先生は何かを吹っ切ったかのように笑い、そう前置きして。


「みょうじ、好きや。生徒としてなんかじゃない、ひとりの、女の子として」


後に続いた言葉は、私を驚かせるには十分すぎた。

「……う、そ」

掠れた呟きに、先生はわずかにむっとした表情をする。

「嘘でこないなこと言えるほど、俺は器用やないで」

ぶすくれたような口調でしゃべると、同年代の男の子たちと差異がないように思える。

「でも、だって、せんせ……、じゃなく、白石さんは、1度もそんなこと、」

寧ろ、私は嫌われているのだとさえ、思っていたのに。

「言いたくても、言えへんかったんや……。俺は教師やから」

苦しげに、先生の表情が歪む。

「自由登校の直前、みょうじが、俺を男として好きって言うてくれた日やって、ホンマはめちゃくちゃ嬉しかった。でも、自分の立場考えたら、返事はできひんって思って……。そしたら、今にも泣きそうな顔して、出てくから」

ずっとあの顔が頭から離れんかった。

「そんで思うたんや。教師としての立場よりも何よりも、ひとりの男として、みょうじを泣かせたくないって」

ぱたぱたと、熱い雫が頬を伝う。

「これでも、信じられへん?」

先生の自嘲気味な声に、首を横に振って応える。

絶対に届かない想いだと、諦めなくちゃいけないんだと、何度も自分に言い聞かせてきた。
忘れようと頑張ったけれど、忘れられなくて。

けれど、もう。

「忘れ、なくて、いいんですね……。先生のこと、好きで、いても、いいんですね……」
「アホ……」

そっと手を引かれ、先生の胸板に、顔を押し付けるような形で、先生の腕に閉じ込められる。

「好きでいて貰わんと、俺が悲しいわ……」

先生の髪が頬を擽る。
少し熱を帯びた声にこたえるように、私も先生の背に腕を回した。



ミエナイ壁

壊した先に

ある未来



数日後。白石のアパートにて。
(こうしてなまえと2人きりで過ごすのって、初めてやな)
(言われてみれば……って、私が高校生だった時は、せんせ……じゃなくて、白石さんが避けてたじゃないですか)
(そ、そうやっけ?)
(そうでした!だから私、ずっと嫌われてるんだと思い込んで……。どうしてだったんですか?)
(あー……(言える訳ないやろ……。2人きりになったら理性飛びそうやったからなんて))





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紗幸様リクエストの「学校の先生の白石との切甘」なお話でした。

リクエストを頂いた瞬間に、最後の「校門の外に出たところで、白石から告白してハッピーエンド」というのがすぐに思いつきまして。
あとはどうやってそこへ持っていく流れが決まれば、書けるぞ!と意気込んだんですが……。
これが中々定まらず、書き上げるのに、予定よりも時間がかかってしまいました。
お待たせしてしまい、本当にすみませんorz

少しでもお楽しみ頂けましたでしょうか?
紗幸様のお気に召さない点がございましたら、いくらでも書き直し致しますので、遠慮なくお申しつけ下さいませ。

最後に、リクエスト企画に参加して下さった紗幸様に最大限の感謝を。
本当にありがとうございました!



羽澄 拝

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