「初めましてイルミ様、お初にお目にかかります」
見慣れたメイド服に身を包んだ女が、突然部屋に入ってきて、恭しくオレに一礼した。慇懃無礼とも取れるような態度にイラッとする。
「別にメイドに興味はないし、挨拶とかいらないんだけど」
「それは失礼致しました。たまたまお部屋の前を通ったので、ついでにご挨拶でも、と思ったのですが」
「ついで?立場わかって言ってるの?」
「もちろん、ゾルディック家の皆様にご奉仕させて頂く立場です」
目を合わそうとしない、生意気メイド。そういえば、この前イライラした母さんに八つ当たりされて何人かメイドが減ったんだった。その補充で来た女なのかな。こいつ、すごくムカつく。
「…じゃあもう出ていって、ゾルディック家の長男から命令」
「ではイルミ様、これからよろしくお願いします。失礼致します」
メイドはまた恭しい礼をしてから、扉に手をかけた。しかし、メイドが部屋の外に出た瞬間、舌打ちが聞こえた。ちょっと本気でムカついて、閉まりきる直前の扉の隙間から、針に糸を通すように、鋲を投げ付けてやった。前のメイドがいなくなってこの女が入ったように、この女の替わりもいくらでもいる。
と、思った矢先。部屋の扉が再びガチャリと開いて、さっきのメイドが顔を出す。
「イルミ様、武器は大切に扱いませんと。お部屋の外まで鋲が飛んでまいりましたよ」
「…ふーん」
「お返しします」
ヒュッと音を立ててメイドの手を離れた鋲は、壁にひびを作りながら付き刺さった。なるほどね、念か。軽く観察しながら、床に落ちた壁紙のカスを指さす。
「掃除して」
「では後で、別のメイドにお願いしておきます」
「そうだね。もうお前の顔、見たくないと思ってたんだ」
「イルミ様はご冗談がお上手ですね、それでは改めて、失礼致します」
オレは考えを改めた。生意気なだけじゃなくて、そこそこの動体視力を持ち、念も使いこなす、皮肉屋メイドだ。
翌朝。
「イルミ様!朝でございます!」
ガンガンとうるさい金属音に、のろのろ体を起こす。無駄に広い部屋、テーブルの脇に立ったあのメイドが、フライパンをお玉で叩いていた。
「うるさい…」
「おそようございます、イルミ様。ご家族の朝食の時間は終わってしまいましたので、お部屋までお持ち致しました」
メイドはニッコリと、楽しそうな笑顔を浮かべた。なんだ、笑ったら案外、いやかなり…?美人なのか。でも性格の悪さを補うには足りないな。
「置いといて、下がっていいよ」
「そうはいきません。温かいまま召し上がって頂こうと、このようにわざわざ起こした甲斐がございませんから」
「…とりあえず着替えるから」
「お手伝い致しましょうか」
思わずまた鋲を投げた。
結局、メイドを出て行かせてから着替えることができた。着替え終えると、見ていたんじゃ、と思うほどピッタリのタイミングで、メイドが入ってくる。
「ではイルミ様、お食事の準備を致しますね」
「うん…って、」
メイドが皿に被せていた、何て言うのアレ、なんか銀のカバーみたいのを外して、オレは黙ってしまう。
「ステーキ…」
「今日はお仕事ございますから、スタミナを付けませんと!」
ジュウジュウとステーキを焼くメイド。いやいや朝から重すぎる。ゾルディック家の長男と言えど、朝はサッパリした物が食べたい。人間だもの。
「代えてきて」
「はい?」
「もうトーストとコーヒーでいいや。代えてきて」
皿を押しやると、メイドはわざとらしく頬を膨らませた。
「そんな我が儘ですと、モテませんよ、イルミ様」
「余計なお世話」
「そうだ!少し花婿修業をしてみてはいかがですか?例えば自分でトーストとコーヒーを用意するだとか、」
「オレは長男だから必要ないよ」
「とにかく、せっかく待っていましたのにステーキを召し上がらないとおっしゃるのでしたら、ご自分でご用意ください。私はメイドの休憩室でこのステーキを処理して参りますので」
「お前が食べるくらいならオレが食べるよ」
持っていきかけていたワゴンからステーキを奪って、一口で食べる。熱くて口の中を火傷したけど、メイドの呆然とした顔を見れたので満足した。
「さ、最高級のお肉を一口で、」
「オレにとっては普通の肉だし」
「ああ、イルミ様、そういうところがまたモテないポイントなのです…これだからお坊ちゃんは…」
メイドはわざとらしくよろめく。ほんと喧嘩売ってんの?このメイド。
その日の夜。
仕事から帰ってシャワーを浴びて部屋に入ると、掃除されていない。別に自分でするからいいんだけど、あのメイドの差し金でわざと放置してあるのかもと思ったら、一言言わずにはいられない。部屋を出て、最初に目についたメイドに声をかけた。
「ちょっと」
「い、イルミ様!しょっ、少々お待ち下さい!」
メイドはこっちが何か言う前に、ぴゅんと飛んでいった。そして数分後、なぜかあいつがこっちに向かって来るのが見えた。
「お呼びですかイルミ様」
「別にお前を呼んだ訳じゃないんだけど。オレが呼び止めたメイドは?」
「それが、メイドの皆さん、イルミ様が怖いからって、イルミ様に関する仕事は私に頼んでくるんです。イルミ様が私の顔も見たくないだろうことはもちろん私も感じておりますが、イルミ様と可愛いメイドさんのお願いでしたら、メイドさんを優先させたくなってしまいまして…」
「いや間違いなくオレを優先するべきだよね」
メイドはスルッと無視をした。
「それでイルミ様、ご用件は」
「オレの部屋の掃除、してないんだけど」
「それは失礼致しました。でも私は掃除ではなく料理の担当のメイドですので、それを私に言われても…」
「だから別に最初からお前には言ってないよ」
「では担当のメイドを呼んで参ります」
止める間もなくメイドは行ってしまったが、またすぐに戻って来た。
「何、いなかったの?」
「皆さん、私がイルミ様の専属のメイドになったと思ってたとおっしゃっていました。お部屋の掃除も当然、私がやるものと思っていたそうで」
「じゃあやっぱりお前が原因か」
「でも私は、実際にはイルミ様の専属メイドではございませんから」
「それもそうだ」
こんなのが専属メイドでたまるか。寧ろオレの部屋には近付かないで欲しいくらいだっていうの。ていうか、他の家族はついてるみたいだけど、専属メイド自体オレはいらない。
「とにかくその面倒な誤解は解いておいて、あとそういう勘違い厄介だからもうオレの部屋には近付くな」
「かしこまりました。失礼致します」
相変わらずの慇懃無礼でメイドは出ていった。これでまた、平穏な生活が戻る。オレは一安心して、部屋を軽く片付け始めた。
数日後。
廊下で久しぶりにあの厄介なメイドを見つけた。久しぶりって、元々二日間しか関わってなかったけど、あれはなんだか長い二日間だった。あれから来るメイドを観察してみたら、確かにみんななんか怯えてた。今までまるで興味がなかったけど、あいつみたいな態度のメイドはやっぱり始めてだったんだ。久しぶりに嫌味でも言ってやろうと近付いて、メイドと一緒にいる存在に気付いた。
「キル?」
「うわ、イル兄!」
「あらイルミ様」
なんか仲よさ気に話してる二人。本当にこのメイド、自分がメイドってわかってんのかな。キルにうっかり念のこととか話したら殺っちゃおう。
「キル、なんでこのメイドといるの?」
「こいつ、すげー面白いんだ!ゲームも鬼みたいに強いしさ!」
「光栄です」
「一緒にゲーム?メイドが?」
「キルア様から頼まれましたら断れませんから」
「もうコンピュータにも楽勝できんのに、こいつには勝てないんだよな」
「それはキルア様と私の、絶対に超えられない連打の速さの差のせいでございます」
「いや!ぜってー勝つから明日も部屋来いよ!」
「受けて立ちましょう」
にこり、笑うメイドに、なぜかまたイライラした。
「ちょっと後で部屋に来てよ」
「え!オレなんかした?!」
「キルじゃなくて、」
「私ですか?ですが近付くなとイルミ様がおっしゃったじゃないですか」
「キルとこんなに関わると思わなかった。色々話しておかないといけない」
「えー!なんだよイル兄!ゲームはするからな!」
「ゲームは明日だろ。今日の夜はオレの部屋に来ること」
「私、食事の後片付けが、」
「済んでから」
メイドは嫌そうな表情を隠さず、嫌そうな口調で、かしこまりました、と言った。結局逆らえないんだから、始めから反抗なんかしなきゃいい。
夜。
「失礼致します」
メイドがノックなしで部屋に入ってきた。こいつ、ほんとに…いやもう知らない。気にしない。
「イルミ様、ご用件は」
「キルのことだけど、念の話はまだキルにはしないで。絶対だ」
「はい、それならシルバ様から伺っております」
「は?父さん?父さんと話したの?」
「はい」
ただのメイドに、父さんが直接関わるとか、ほとんど有り得ない。念が使えるからか?
「なんで父さんと話を?」
「こちらに雇って頂く際に、面接と言われて。私もまさかシルバ様とお話するとは思っておりませんでしたから、驚きました」
面接。ますます有り得ない。普段ならゴトーが纏めて雇って、ゴトーより下の執事が顔と資料を照合して終わりのはずだ。このメイドはやっぱり何かあるのか。
「お前、何者なの」
「ただのメイド、でございます」
「ただのメイドの訳無いだろ、そこまでされて」
「イルミ様は私に興味がおありで?」
「ふざけんな」
「そうと言って下されば、私の憶測をお話しなくもないですが」
「何?」
「私に興味が?」
にや、と笑うメイド。顔が綺麗な分、余計にムカつく。
「興味ある」
「何に?」
「…お前の正体」
「…まあ、いいでしょう」
偉そうだ。意味がわからない。自信の根拠はなんだ。
「私は過去にちょっとした問題アリでして。特別扱いは恐らくそのためかと」
「過去に問題?何?」
「賞金首ハンターを、しておりました」
賞金首、ハンター。なるほど、道理で戦い慣れてると思った。納得してから、また新たな疑問がたくさん生まれる。
「なんでうちのメイドになったの?首を狙ってるってこと?」
「それはありません。ハンターはもう辞めましたし、ゾルディック家を狙うほど馬鹿ではないつもりです」
「じゃあなんで」
「私は濡れ衣で、自分自身も賞金首にされたことがございます。疑いは晴らしましたが、もう仕事が嫌になりました。そこで、趣味だった料理をして暮らそうと考えたのでございます」
「そんなの、別にメイドじゃなくたっていいだろ」
「ご存知ないかもしれませんが、ハンターというのは敵の多い職業なのです。ゾルディック家にお仕えすれば、最強の暗殺一家に守られ、侵入者もほとんどない環境で暮らせますから」
狐のような女、と思った。
「それでも、わざわざ父さんが出ることないと思うんだけど。うちは囚人とか流星街出身者も雇ってるし」
「これでも、そこそこ名の知れたハンターだったので。世間知らずのお坊ちゃまなイルミ様は知らないでしょうが」
「いちいち一言余計」
「私、これでも一ツ星ハンターだったのですよ」
一ツ星ハンター。それくらいオレでも知ってる。普通よりちょっと優れていると言われてるハンターだ。
「イルミ様には勝てませんが、すぐに負けることもございません」
そういえば前に、オレの鋲を投げ返してきた。扉の隙間から飛び出した鋲に反応できるのは、なるほどなかなかの実力だとは思っていた。そんな裏があったのか。
「お前、変な女だね」
「そうでしょうか。私はイルミ様の方がよっぽど変かと思いますが」
「本当に興味が沸いたよ」
「はい?」
「やっぱりお前、しばらくオレの専属メイドね」
「は?」
素の声を出したメイド。
「だから、私、料理が趣味で、料理だけできたらいいんです!」
「人生そんなに甘くないってことだよ、元一ツ星ハンター」
「じゃあせめてキルア様の専属で…」
「意味がわからない」
「だって、イルミ様性格悪すぎです」
「お前に言われたくないけど」
もうすでに、最初の頃の慇懃さはない。こいつ、そのうちタメ口を使いかねないな。まあ、いいけど。
「…私を専属メイドにすると言うなら、それなりの覚悟はして頂きたいのですが」
「覚悟?」
「私は、料理がしたくてメイドになったのです。これまでは毎日、新しい料理を学んだりして、楽しかったのですが、専属はそういうわけにはいきません。専属メイドは秘書のようなものですから」
「そうなの?」
「知らずに言わないで下さい。専属メイドはイルミ様の仕事のスケジュールも管理致しますし、料理はイルミ様がご家族と一緒に食べられなかった時のみお作りすることになります」
「それに何の覚悟が必要だって言うんだ?」
「私、興味のないことはあまりしたくありません。私もイルミ様の好みを覚えますから、イルミ様も私の好みを覚えて下さい」
「嫌だ」
「そういうことを言われるのが気に食わないのです。私、わかるかもしれませんが、少々Sの気がありまして。あまり断られると、イルミ様を調教したくなってしまいます」
なんか、生々しい単語が聞こえた。
「悪いけど。オレは拷問に耐える訓練もしてるから。調教とか、意味ないと思う」
「ご安心下さい。やり甲斐があるというものです」
にこり、と笑われる。まあ、文句なく、可愛い。可愛いとは思うけど、顔と、話している内容のギャップは、ある意味、怖い。何を安心しろって言うんだ。
「オレの専属メイドになるんだから勝手なことはさせられない、逆にこっちが調教してやるよ」
「無理です」
「なんで?」
「私はそういう性格です」
じとっとした目で見てやったけど、オレは元からよく無表情って言われるから、メイドにはわからなかったかもしれない。
「イルミ様もそんな目をなさるんですね」
「お」
気付いた。意外だ。これからはいつものように静かな日々とは離れるだろうけど、刺激のある毎日もまあ、悪くない。嫌な刺激じゃあ、ないはずだ。オレは、驚いたことに、思った以上にこのメイドのことを気に入っているみたいだ。
「イルミ様、キルア様とのゲームの時間だけは頂いてもよろしいですか?」
「……いいよ」
「ありがとうございます!」
あ、そういえば。
「ねぇ、お前の名前、知らないんだけど。なんて言うの?」
「そういえば、名前は名乗っていませんでしたか」
メイドは最初に会った日のように、恭しくスカートを摘んで一礼した。
「私の名前は、」
紫の空に恋をして
「…ふーん。まあ、いい名前なんじゃない」
「ありがとうございます」
メイドは微かだけど、嬉しそうに笑った。だけど、それからまたすぐに、いつもの勝ち気な目をした。
「それでは改めて、よろしくお願いします、イルミ様」
その時オレは、多分初めて真正面から、メイドの目を見た。一言で言うと、夜空のような色をした目だった。でも、夜中ではない。夕方から夜に変わる中間点、日が沈みきって、しかしまだ星はない、一番寂しい時間の、紫の空の色。その目に、メイドのいつもと違う一面を見たようで、なにかドキリとさせられた。このメイドは、オレのよく知らない、わからない何かをたくさん隠し持っているような、そんな気がして。オレはこいつのことを、知りたいと思った。何かをこんなに知りたいと思ったのは、久しぶりだ。あれかな、これがいわゆる、恋?
心酔処女さま提出