今日の殺しの依頼の場所は、少し田舎だが大きな街。イルミは昔、いくつか大きな暴力団体が蔓延っていたこの街に、同じように依頼で訪れたことがあった。全部潰してしまったのでそれからは来ていなかったな、と考えていたら、もう一つ、この街には思い出があったことを思い出した。







初めて依頼でそこを訪れた日。幼かったイルミは、依頼を終えた後、自分の暮らす大都市に比べ小さくて汚いその街に、少し興味を持った。その日の依頼はそれ一つだったし、帰らずそこで一泊という予定だったし、ホテルで待たせている付き人も、イルミに限って、よっぽどのことは起きないだろうと自由にさせてくれる男だ。ちょっと散歩しようと決めて、イルミはフラリと歩きだした。

しばらく歩くと、郊外に出た。大きな建物が中途半端に取り壊された状態で放置されており、そこかしこにダンボールや板切れなどの簡素な小屋のようなものが見えた。ホームレスの暮らす地区か、とイルミは引き返そうとしたが、くるりと後ろを向いたところに人がいて、いつも大きな目をさらに見開いた。気配など、欠片も感じなかったのに。

「…あんた、だれ?」

声をかけてきたそれは、どうやら女の子のようだった。イルミより背が低いが恐らく歳は同じくらい。髪が短くボサボサで、声を聞かなければ男女の判別は難しいほど。手には麻の袋を抱えていた。

「…イルミ」
「イルミ?聞いたことない。きれいな服を着てるね。髪もさらさら。目もでかい。どこの、お嬢さん?」
「オレは男」

今度は女の子が目を見開いた。終始無表情のイルミは、女に間違われたことを少しムッとしつつ、その少女を観察した。さっきは気配ゼロで自分の背後を取られたが、今はハッキリと存在感を感じる。粗末な服から丸見えの腕や脚には、たいした筋肉もなく、同業者とは考えられない。麻の袋の中身は食べ物。恐らく盗んだもの。つまりホームレスの少女で、ご飯を盗んで帰ってきたところ。気配を消す技術は盗みの為に自力で会得した技術か。

「なに、ジロジロ見てんだよ。ていうか、イルミ、ここでなにしてんの」
「別に見てない。散歩。そっちは何してるの」
「ここは…秘密基地」

少女は真剣な顔で言った。そのわりには、子供っぽい単語だった。普通の子どもらしいことを一切せずに育ってきたイルミには、その単語は何か、遠い世界のものに感じた。だからこそ、知らず知らず、惹かれた。

「質問に答えてないだろ。その秘密基地で、何してるの」
「食い物を持ってきたんだよ。秘密基地で食うんだ」

盗ってきたの間違いだろう、とは言わなかった。それより、どのダンボールが彼女の秘密基地なのか、中はどうなっているかに興味を持った。

「オレもお腹空いてる」
「はあ?どうせお坊ちゃんだろ、街でなんか買って食えよ」
「…金、持ってない」

間違いじゃない。家からたんまりもらってきたお金は、付き人と一緒に全てホテルに置いてきた。依頼に邪魔な物だし、普段は自分で持ち歩く必要がない。イルミは少女の想像の中のお坊ちゃんより、よっぽどお坊ちゃんだった。

「…しかたねーな。ついてこいよ」

秘密と言うわりには、簡単に承諾をもらえた。イルミは先導する彼女について、ダンボールの小屋をいくつも通り越す。雨が降る度に継ぎ接ぎするのか、黒ずんだダンボールと新しめのダンボールが組み合わされた、大人が一人座って入るのがやっとの、小屋とも呼べないような代物。数メートルの感覚でぽつぽつと並び、焚き火の跡や洗濯物が干されている所もある。途方もなく広大な庭のある、家の中でも迷うほどの豪邸で、何百人もの使用人がいるのが当たり前の生活を生まれた頃からしてきたイルミには、そこでの生活は想像もつかなかった。

「イルミはどこに住んでるんだ?」

まだ秘密基地には着かないのか、唐突に少女が振り返った。

「遠く」
「遠くから何しに来たんだ?」
「…仕事」
「仕事してるのか?子どもなのに?金持ちなんじゃ、ないのか」

少女の表情が少しだけ和らいだ。金持ちには変わりないが、自分も働いてその稼ぎには貢献しているな、とイルミは思った。しかし言わなかった。話を続ける少女の声色や態度で、親近感を持たれたとわかったのだ。

「何の仕事?」
「言ったらいけない仕事」
「なんだそれ。まあいいや」

これもあっさりと追求を逃れることができた。なので彼女は、今イルミの写真を撮って役人に差し出すだけで数十年は不自由なく暮らせるお金が入ることを、知る機会を失った。

「ついた。あれが秘密基地」

少女が立ち止まって、一つの小屋を指差した。周りの小屋と比べても、一際小さい。壁のようにダンボールで囲われた中心に、ただ大きめのダンボールをでん、と置いただけに見えた。なので、イルミはとりあえず、何も感想が言えなかった。

「あ、小さいって思ったな?この秘密基地は、ここの他のどの家よりも快適なんだからな。これはただの入り口だよ」

壁になっているダンボールを跨いで、中心の大きめのダンボールに向かう少女。イルミもそれに倣って、壁を踏み越えた。

「ほら、見ろよイルミ」

少女がダンボールをめくって中に入り、外にいるイルミに声をかけた。言われた通り中を覗き込んで、イルミは目を大きくした。少女は床に敷いていたダンボールを剥がしていて、そこには鉄の扉があった。

「ここには昔なんかの工場があったみたいでさ。砂に埋れてたこの扉をあたしが見つけて隠したんだ」
「秘密基地…」
「だから言ったろ、他より断然快適なんだって」

少女は重そうな扉を少し顔をしかめながら開けた。梯子がかかっているが、底はそう遠くはないようだ。

「ここに人を入れるのは初めてだ。お前はまたすぐに遠くに帰るのかもしれねーけど、ここのことは絶対に秘密だからな」

梯子に足をかけた少女が真剣な顔で言った。そこは、ホームレス達の暮らす地域で一人で生きている少女にとって、身を守り隠れることのできる砦なのだろう。イルミも神妙な顔で頷き、満足気に梯子を降りていった少女に続いた。

「ちょっと待ってろ、明かりつけるから」

少女は梯子にぶら下げてあった懐中電灯とマッチを手に取り、部屋のあちこちにある油の入った皿にさした糸に火をつけた。ぼんやり明るくなった地下室はそう広くはないが、確かに表でいくつも見たダンボールハウスよりはよっぽど快適そうだ。イルミが部屋を観察していると、少女がクッションをいくつか放ってよこした。彼女自身は布団らしき場所にどかっと腰を下ろす。そして、抱えていた麻の袋からリンゴとパンを取り出し、それもイルミの方へ放った。

「腹減ってんだろ。食えよ」

貧乏な彼女からもらうのは少しだけ気が引けたが、それが恐らく盗品であることと、かなりお腹が減っていたことで、イルミは食べ物に手を出した。パンはパサパサ、リンゴもイルミの家で出るものよりみずみずしくなかったが、秘密基地で食べているという調味料のせいで、なんだかおいしく感じた。

「イルミは仕事してるって言ったけど、それって楽しい?」
「別に。親がやれって言うからやってる」
「ふーん…あたしはさ、いつか絶対すごい働いてお金持ちになってさ、欲しいものはなんでも買って、美味しいものたくさん食べて、もっと明るくて綺麗な場所に暮らすんだ。今は全然仕事なんかもらえないけど」

欲しいものはなんでも買って、美味しいものをたくさん食べて、明るくて綺麗な場所に暮らしているイルミは、少女の欲しいものをなんでも持っていた。しかし、それでも少女は、イルミが持っていなくて、憧れるものを持っていると思った。

「リンゴとパン、ありがと。秘密基地を教えてもらった代わりに、オレも秘密をひとつ教えるよ」
「それ、いいな。教えてくれよ」
「オレのフルネーム、イルミ・ゾルディックって言うんだ」
「…なんだそれ。それが秘密?」
「そう。ちょっと有名人だから」
「でもあたしは知らないから、そんな有名でもないんだな!でも、覚えとく。イルミはあたしが初めて秘密基地に招いたやつだからな!」
「秘密基地のこと、オレ、誰にも言わない」
「ああ。あたしもあんたの名前は誰にも言わない」

秘密の共有がこんなにもワクワクすることだとは知らなかった。ほどなくイルミは秘密基地を後にして、それから彼女と会うことはもうなかったが、しばらくイルミには彼女のことが忘れられなかった。







(いつ、忘れたんだろう)

再びあの街に立って、彼女のことを思い出したイルミは、仕事を片付けた後に、あの日と同じように郊外へ向かった。かつてホームレスの家がたくさん並んでいたそこには、今は大きめの白っぽい建物が一つ建っていた。看板を見て、それが病院なのだとイルミは知った。あの頃そこで暮らしていたホームレス達はダンボールハウスを追われたのだろうか。あの地下室の扉だけでも残っていないだろうか。ちょっと病院の裏まで見に行ってみようか。そう考えていたとき、突然後ろから声をかけられた。

「あなた患者さん?」

振り返ると、白い服に、医療道具を入れた麻の袋を持った女が立っていた。見た目は相変わらず男っぽかったが、声は変わっていなかった。

「…何?患者じゃないの?わたしの顔、なんかついてる?」
「喋り方もちょっと女らしくなったんだ」
「は?」
「すごい働いてお金持ちになれた?欲しいもの買って、美味しいもの食べて、地下の秘密基地よりも明るくて綺麗なとこに住んでるの?」
「…!」

女は大きく目を見開いた。

「あんた、イルミ・ゾルディック?」
「覚えてたんだ」
「当たり前でしょ…あたしあの何年後かにゾルディック家のこと知って、すっごく驚いた。本当にあの、ゾルディック家の人なの?」
「そうだよ」
「秘密を知ってるあたしを殺しに来た?」
「まさか。今日はたまたまこの街に来たから、初めてオレを秘密基地に招待してくれた女の子に会いに来てみただけ」

警戒するような態度だった女も、少し安心したのか、笑顔を見せた。

「相変わらずサラサラの髪だし目はでかいし、服はいいの着てるんだ。お金ないなんて大嘘。ゾルディック家って超大金持ちでしょ」
「そう、実は」
「あたしはすごい働いてるけど全然お金持ちじゃないし、欲しいものは買えないし美味しいものも別に食べてないよ。まあ、秘密基地よりはいいとこに住んでるかな」
「秘密基地なくなったの?」
「ううん、今は病院の保管庫として使ってる。暮らしは楽じゃないけど、あたしは仕事楽しいよ」

堂々とした表情でそう言う彼女は、やっぱりイルミが持っていない輝くようななにかを持っているなと思った。

「あたし、イルミのこと誰にも話してないよ。約束守ってるでしょ。あんたの家のこと知ったときは驚いたけど、やっぱり同年代であんなふうに秘密基地に招き入れたのイルミが初めてで、あたし嬉しかったんだ。友達ができたみたいで」
「オレも秘密基地のこと誰にも話してないよ。オレも子供の頃から殺ししか知らなかったから、秘密基地の話を聞いたときは実はわくわくしてたんだよね。ま、今は秘密じゃないみたいだけど」
「じゃあ新しい秘密をあげる。あたしは今まで通りイルミのとこ誰にも話さないから、イルミはこれから言うこと秘密にしてよね」
「うん」

未だに、秘密という言葉には、心踊る響きがあった。彼女が警戒を解いて、昔のような笑顔を見せていることも、なんだか嬉しく感じた。

「じゃあ、秘密の話。あたし、あの時イルミのこと好きになってたんだ。あの後、もう一回イルミに会いたくて、街をウロウロしたりしたよ。あたしの初恋は、あんたなの、イルミ」
「え」
「あー、恥ずかし。初恋の話なんか、ほんとならトップシークレットだよ。この秘密は絶対に誰にも話すなよ」
「…今は?」

イルミが結構真面目な顔で聞いてきたので、彼女は一瞬たじろいだ。

「ずっと、イルミは本当は怖い人なのかなって思ってたけど、それでも忘れなかったし、今会ったらやっぱり好きだと思ったよ。でもさ、田舎の病院の看護婦と世界一の殺し屋の御曹司なんてちぐはぐすぎてどうにもならないじゃん」
「看護婦辞めてうちに来たら、あんたが夢見たみたいな生活ができるよ」
「でも好きな仕事をすることはできなくなる。それはちょっと夢見たのとは違うんだよ」

芯のあるところも魅力的だとイルミは思った。

「でもプロポーズされたのは初めてだ。初恋の人にプロポーズされるなんてロマンチックで、それもちょっと夢見てたことだったから嬉しいよ。ありがと」
「…別れる前に、オレからも新しい秘密をあげる」

イルミは、少し屈んで女にキスをした。呆然とした女は驚いて抵抗もできない。数秒間の触れるだけのそれの後、イルミはいつもの無表情で、このことは秘密だよ、とつぶやいた。

「……こんなの、言えるわけないでしょ…プレイボーイだなぁ」
「あんたにしかしないよ。それじゃあ、またいつか。仕事頑張ってね」
「ああ。また会いに来てくれるの、待ってる」

新しい秘密を抱えた二人は、また少しのワクワクを感じながら、お互いに別れを告げた。友達でも恋人でもない、秘密の共有者という、不思議で大切な存在のことを、今度はもう忘れることはないだろう。



ウツギ/秘密

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