家の前に小さな男の子がいた。みすぼらしい真っ黒な服で、真っ直ぐな瞳を持ち、月のような銀色の髪をした男の子。その手には、小さな身体に不釣り合いな程大きな箒を握っていた。魔法薬に使う薬草を取りに行こうと扉を開けたわたしは、不可抗力でその少年と目を合わせてしまう。

「はじめまして、ぼくをでしにしてください」

 訳がわからなかった。少年の言う通りわたしと少年ははじめましての関係であり、名前も知らない。なのに弟子にして下さいとは、何のつもりか。大体わたしは弟子などとるつもりはない。

「弟子はいらない。家に帰りな」
「いえはありません。ぼくをでしにしてください」
「家はない?どういうことだ」

 子供には似つかわしくない重い言葉にわたしが聞き返すと、頑として動かない少年の瞳が揺れた。

「ぼくは、ぼくのつよすぎるまりょくをおそれたりょうしんにすてられました。かえるばしょは、ないんです」

 少年がぎゅっと箒を握る手に力を込める。箒がざわざわと揺れ、強風が吹く。はっとする少年。わたしは黙って箒の柄を握り、少年の魔力を相殺した。風が止む。

「確かに、あんたの魔力は、子供にしては強すぎるかもしれないね。だがわたしの足元にも及ばないよ」
「だから、あなたのもとにきたんです」
「…可愛げのない子供は好きじゃないが、帰る場所がないんなら、仕方ない。…うちに置いてやるよ」

 わたしの言葉に、にこりともせず頭を下げる少年。

「名前くらい、言ったらどうだ」
「レムレスです。きょうからよろしくおねがいします、ししょう」

 こうしてレムレスは、わたしの弟子になった。






 レムレスは本当に、全く可愛げのない子供だった。常に仏頂面で淡々と言われたことをこなし、そして何より魔法に関する技術の上達が子供とは思えなかった。わたしが一度やって見せれば大抵はこなしてしまうのだ。元々は、前に風を起こしたように、魔法の基礎も全く知らず、魔力を持て余していたようだ。しかしレムレスは一ヶ月わたしが教えただけで、基礎はほとんどマスターしてしまった。内容で言えば、初等の魔導学校で六年勉強して身につくようなもの。まだ入学もできない歳のレムレスが一ヶ月で身につけた事実が、彼の天性の才能を物語っていた。

「レムレス、お前はどうしてわたしの元に来た。両親がそうしろと言ったのか」
「いえ、師匠のおなまえは有名なのできいたことがありました。」
「有名か…」

 わたしは一応、若くして凄腕の魔導師として、名を馳せていた。有名なのは敵が増えて面倒臭いことだが、その分稼ぎも増える。好きなことを自由にできる。

「はい。きいたとおりの方でした」
「どんなことを聞いた?」
「天才で、そして偏屈で怖い方、と」
「お前もそう思ったのか?」
「はい」

 いらっとするより前に、レムレスにも怖いと思うことがあるのかと意外に思った。なにせ、褒めても叱っても、何を言っても表情が変わらないのだ。

「わたしのどこが怖い?」
「…師匠は、考えていることがわかりません」

 なんでもはっきりと言うレムレスが、珍しく言い淀んだ。恐らく自分の弱点のようなものを人に言うことに、無意識に防衛本能が働いているのだ。今の言葉で大体を理解した。この子は捨てられた子だというのを、わたしは軽く受け止めてしまっていたが、問題は思ったよりも深刻だったようだ。

「つまりお前は、両親のように顔色を伺って対応ができないわたしが怖いんだな?いつも無表情で感情を殺したようにするのも、両親に気を遣ってのことだったんだろう?」

 レムレスは目を見開く。初めてまともに見られた表情の変化かもしれない。わたしは、ぐりぐりとレムレスの頭を撫でる。

「わたしは両親とは違う。確かに初対面では冷たく感じただろうし、まあ元々口がいい方とも言えない。可愛げがないほどお前の飲み込みが早いから、ついたくさん教えすぎるところもあるかもしれない。だが一ヶ月も一緒にいれば愛着も湧くし、笑ったり泣いたり怒ったり騒がしくすることが仕事の子供に、うるさいからと感情を殺させることもしない。それどころか感情は魔導にとって重要なものだ。だから、お前はわたしに甘えたって、いいんだからな」

 レムレスがぎゅっと唇を噛んだ。甘えていいと言うのに、まだ我慢するとは、本当にこいつは。わたしはため息をつき、レムレスの腕をひきキッチンに向かった。

「強情なお前に、とっておきの魔法薬を作ってやる」
「魔法薬を?」

 勉強熱心なレムレスは真剣にわたしの手元を見つめた。わたしは手際よく材料を混ぜる。

「小麦粉に卵に砂糖…マンドラゴラやトカゲのしっぽを持って来ましょうか?」
「必要ないから、黙って見ておいで」

 普通のものしか入れないわたしに、レムレスが声をかけたが、一蹴する。混ぜた生地を型に流しオーブンに入れ、焼いている間にクリームを泡立て、苺を洗った。レムレスは不思議そうに、しかし興味深そうに様子を見ている。いつも作る魔法薬は、煮たり、すり潰したりする作業の方が多いからだろう。

「さあ、焼けた」

 オーブンから軽快な音がして、開ければ甘い香りが広がった。思った通りレムレスは、あまりこういうものを食べた経験がないらしく、隠しているつもりでも、目がキラキラしたのは見て取れた。わたしは手際よく、焼き上がったケーキにクリームを塗り、苺を飾り付ける。シンプルだが見目好い、ショートケーキが完成した。

「師匠、これには魔法の材料が入っていません。本当に魔法薬なんですか?」
「いいから食べな」

 大きめに切り分けたケーキに、レムレスはそっとフォークを刺し、口に運ぶ。ゆっくりと噛んでいる間に、レムレスの目から涙が溢れた。

「どうだ」
「……おいしいです、ししょう。それに、やさしい味が、します…そんな味は、ないのに。…ふしぎです。これが、魔法ですか?」
「ああ。愛情込めて作ったものと甘いものには、食べた人を幸せにする魔法がかかってるんだ。わたしの気持ちは、伝わったか、レムレス」
「…は、い」

 柄じゃないことを言って、少し照れているわたしをよそに、レムレスは泣きながらケーキにがっついた。そして食べきった後に、初めて笑顔を見せたのだ。年相応のその顔に、わたしも笑う。

「…師匠、ぼくはこんな魔法を使いたいです」
「もう少ししたらな。お前は飲み込みが早いとは言え、基礎が一ヶ月では不安が残る。自分で魔法を作るにも幼い」
「ありがとうございます」

 そう言って頭を下げた後、レムレスは強い意思を感じる目で、真っ直ぐにわたしの目を見た。

「師匠をえらんで、よかったです」










「師匠、ご飯の支度ができましたよ」
「…寒い。窓を閉めろ」
「ダメですよ、こんなに気持ちのいい朝なんだから」

 にこにこしながらわたしの布団を剥ぎ取るレムレス。思わずくしゃみを一つして、仕方なく起き上がりながらレムレスに魔法弾を飛ばせば、あっさりと手の平で受け止め相殺されてしまった。初めて会った時にわたしが見せたもので、それからもレムレスが上達するまでは度々やったものだ。ちなみに、使える人はあまりいない。

「…本当に、可愛げのない弟子だよ」
「久しぶりに言われましたね。朝ごはんを作るなんて、甲斐甲斐しくて、可愛い弟子でしょう?」
「よく言う。それは教えてないのに、いつ覚えたんだ」
「師匠が何度も見せてくれたからですよ。ボク一人では思いつかなかったですから、やっぱり師匠のおかげです」
「わかったから、出ていきな。着替えるから」

 出ていったレムレスを確認してから、ため息をつく。弟子の成長は確かに嬉しい。初めの、うちは。レムレスを弟子にとってから、早いものでもう、10年以上が経っていた。今となっては、彗星の魔導師として活躍するレムレスに教えることなどない。街の魔導学校にも通わせたが、うちにいるばかりでは友達もできないと思ったからで、知識として新しく学ぶことはなかったようだった。着替えを終えて部屋を出ると、お決まりの甘い香り。朝からよく、こんなに甘いものばかり。慣れてしまったわたしもわたしだけれど。

「師匠、コーヒーに砂糖はいくつ?」
「ゼロだ」

 焼きたてのフレンチトーストとブラックのコーヒーが目の前に置かれる。確かに甲斐甲斐しい、というか、こういうのがレムレスの趣味なんだろうと思う。開花させたのは、残念ながらわたしのケーキだ。今やどう考えてもレムレスの方が料理、とりわけお菓子作りは上手いのに、レムレスはわたしのケーキに勝てるケーキはないと言う。たまに作ると本当に大切そうに食べるので、本気で言ってくれているのだろう。

「今日は学校か、魔導師の仕事か」
「学校です。何かお使い、あります?」
「いや、今日は魔法薬の配達で出かけるついでに自分で行く。学校なら帰りは早いな」
「はい」
「今日は久しぶりにわたしがケーキでも作ってやる。何がいい?」
「ホントですか?!それじゃあカスタードいっぱいのフルーツタルトに、ふわふわシフォンケーキ、サクサクのミルフィーユ、それにチーズケーキと、ガトーショコラと…」
「バカ。一つに決めろ」
「……じゃあ、ショートケーキ」

 予想通りの答えに吹き出す。

「なんですかぁ」
「わたしは結局お前に、ショートケーキしか作ったことがないような気がする」
「師匠、いつも一つに絞れって言うから」
「たまには他のが食べたくないのか?」
「一つって言われたら、ショートケーキしかないですよ。だって、あのショートケーキがボクの魔導師としての原点…というか、ボクの全部を変えたんです。師匠は、ボクがどれだけ師匠に感謝してるか、あんまりわかってくれてないでしょう?」

 真剣に言われて、少し照れて目を逸らしてしまう。

「師匠と、師匠のショートケーキが、ボクは世界で一番大好きなんですよ」
「…たまには、可愛いことも言うじゃないか」

 もう、わたしより背が高くなった弟子の頭を、ぐりぐり撫でる。もうそれで泣きそうな顔などはせず、嬉しそうに目を細めている。わたしがたくさん愛情をやって育てたおかげだろう。

「さて…遅刻するぞ、レムレス。早く行け」
「では早く帰ってきますね。行ってきます、師匠」
「行ってらっしゃい」

可愛い弟子のために、わたしも早く自分の仕事を済ませることにしよう。




苺/尊重と愛情

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