小平太先輩の手が外されたのは、依頼主というおじさんと、その娘さんと合流したときだった。手短に報告などを済ませ、二人と別れたわたし達は、お団子屋さんには寄らず、羊羹を買って帰った。

学園に着くと、二人は変装を落として、さっそく羊羹を切り分けた。小平太先輩は早く食べたそうに、ウズウズしている。中在家先輩は半分をよけておいて、もう半分を三等分した。

「えー、長次ー、全部食べたい!」

小平太先輩は残してある半分を、名残惜しそうに見つめる。中在家先輩は、黙って部屋の外を指さした。その指を辿っていけば、障子から二人、人が覗いていた。一人は知ってる、前に三郎が教えてくれた、不運な伊作先輩だ。

「いさっくん!留三郎!は組も授業終わったのか」
「おう、お前らはいいもの食ってるな」

留三郎、と言われた先輩が部屋に入ってきた。中在家先輩は残してあった羊羹から二人の分を切ると、お皿に分ける。中在家先輩が、伊作先輩も入って来るように、手招きした。

「いいの?」

嬉しそうに入ってきた伊作先輩に、中在家先輩は頷く。小平太先輩も、長次が言うなら、という感じで頷いた。ちゃぶ台を囲む輪に留三郎先輩と伊作先輩が加わり、一気に賑やかになった。と、そのとき、留三郎先輩とわたしの目が合う。

「なんだ、猫にも羊羹やってんのか。飼ってるのか?」
「あれ、久々知くんの猫じゃない」
「え、不破のじゃないの?長次」
「…五年の」
「みんなで飼ってるのかな?五年は竹谷くんがいるしね」
「ああ、生物委員会の…つーか、なんで五年の猫がここにいるんだよ?」
「長次が不破から預かったんだ!」
「ああ、五年生は今日から長期実習だったっけ」
「そんな時期か」
「ていうか、なまえは猫じゃなくて人間だぞ!」
「は?」
「へ?」

会話が途切れて、視線がわたしに集中した。わたしはとりあえず、にゃあ、と鳴いておく。

「…いや普通に猫だろ?」
「えー、でも長次が言ったし」
「そうなのか?」
「うん!不破が言ってたって」
「長次も不破くんも嘘吐くとは思えないもんね…」
「あ!そうそうなまえは字が書けるんだぞ!」

小平太先輩は立ち上げると、ノートと墨を持ってきた。

「猫が字なんか書けるわけないだろ」
「だから猫じゃないって言ってるだろ!」

小平太先輩はわたしの前に、持ってきたものを広げると、わたしの目線に合わせて屈み込んだ。

「なまえ、見せてやれ!」

なんだか小平太先輩は意気込んでいた。わたしは頷いて、何を書こうか、と考える。また名前でいいかな、伊作先輩はゼンポウジイサク、だったっけ?

「あ!なまえ、名前は駄目だからな!そうだな、羊羹って書いて」

書き始めようとしていたわたしに突然、小平太先輩が言った。なんで駄目なんだろうと思ったけど、確かに指定された言葉を書いた方が、聞き取って理解してるってわかりやすいものね。一人納得したわたしは、ようかん、と紙に書いた。

「うわ、すげ」
「だろー?」

留三郎先輩が驚いた。小平太先輩は何故か自慢気だ。



それからしばらく話した後、伊作先輩と留三郎先輩は自分達の部屋に戻って行った。ついでにと、中在家先輩も厠(って、トイレのことなのね)に行ってしまった。一気に静かになった部屋に、少し寂しく感じていると、小平太先輩が立ち上がった。どうしたのかと見上げれば、小平太先輩はにっこり笑ってわたしを見ている。

「鍛練だ!なまえも一緒に行くか?」

たんれん、タンレン、鍛練。ああ、トレーニングね。難しい日本語には弱いわたしが、ようやく意味を理解したときには、わたしは小平太先輩に担がれていた。

「裏裏山まで走るぞ!」

裏裏山、いかにも遠そうな響きだ。必死に小平太先輩の腕から抜け出そうとしていた拍子に振っていた尻尾を見て、そんなに楽しいか!と小平太先輩が笑った。犬と一緒に考えないでほしい。楽しそうに走る小平太先輩の肩で揺れながら、わたしはハチが恋しくなった。




×××
小平太は自分の名前を書いてくれたなまえにきゅんとしたので、その気持ちを独り占めしたかったようです


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