わたしは小さな頃に両親を亡くした。だから、親の顔を知らないのだけど、あまり悲しいと思ったことはなかった。わたしはわたしを引き取ってくれた祖父のことが大好きだったから、それで満足だったのだ。

祖父は、小さな喫茶店をしていた。小ぢんまりとしているけど、とても落ち着くお店。お客は決まった常連さんしか来ないけれど、みんな祖父の淹れたコーヒーが大好きな人だった。大きくなって、店の手伝いをするようになったわたしのことも、とても可愛がってくれた。

そして三年前、祖父が亡くなった。祖父はもう随分な歳だったし、覚悟はしていたけれど、わたしは丸一日泣いた。喫茶店はわたしが継いだ。祖父からコーヒーの淹れ方を教えてもらってはいたけれど、わたしにはやっぱり、祖父のような味は出せなかった。それでも常連さんはずっと店に通ってくれた。

しかしその常連さん達も、ほとんどは祖父と同年代か、少し若いくらいの人達で。店に来る人数はだんだんと少なくなって、一週間前に、とうとう誰も来なくなった。

わたしは、今日お客さんが来なかったら店を閉めることに決めていた。わたしのコーヒーは、祖父のコーヒーには劣るけれど、その辺の喫茶店には負けない自信があった。なんといっても、祖父直伝なのだ。でも店の前を行き交う人達は、こんな小さくて古びた喫茶店には入ろうとしない。きっと、喫茶店にも祖父と同じように、寿命がきたのだ。わたしは最後に一杯、自分で飲む為のコーヒーを沸かし始めた。しかし外が夕日で赤くなり始めた頃、店の扉が開いた。入ってきたのは、黒ずくめで小さな人だった。男の人っぽいけれど、女の人にも見える。

「いらっしゃいませ」

しばらく喋っていなかったのと、嬉しくて興奮していたのとで、わたしの声は少し掠れた。小さな人はカウンターに座って、コーヒー、とだけ言った。声からして、男の人のようだ。わたしは自分用に作っていたコーヒーを、店で一番いいカップに注いで、小さな人に出した。ミルクと砂糖を横に置こうとすると、ちら、とこっちを見られた。鋭い目付きの人なので、睨まれたような気がして、ちょっと怯む。

「いらないね」

ブラックということだろう。目が怖かったので、わたしはすごすごとミルクと砂糖を片付けた。小さな人は、独特な訛りのあるしゃべり方だった。遠くの国の出身なのだろうか。小さな人は黙ってコーヒーを飲んだ。わたしも話すことがないので、黙ってカウンターの掃除をしながら、小さな人を盗み見た。その人は小さな見た目とは違って、大きな獣みたいな雰囲気があった。

「何見てるか」
「あ、すみません」

ばれない程度に見ていたつもりだったので、少し驚いた。せっかく来てくれたお客さんなのに、嫌な気持ちで帰ってほしくない。最後のお客さんになるかもしれないのだ。

「いくらね」
「はい?」
「値段」

いつの間にか、小さな人はコーヒーを飲み終わっていた。

「お代はいいです。ずっとお客さんが来なかったから、もう店を閉めようかと思ってたくらいなんです。久しぶりに来てくれたお客さんだから、お代はいりません」

小さな人はわたしのことをしばらくじっと見た後、カウンターに少しのジェニーを置いた。わたしは返そうとしたけれど、小さな人はすぐに背を向けてしまった。

「客いないなら尚更もらておくべきね」
「あ、ありがとうございます…」
「それから閉めるのもたいない。お前のコーヒー美味かたよ」
「!」

小さな人は、わたしがびっくりしている間に出ていってしまった。カランカランという音と、心臓がドキドキしているわたしだけが、店に残される。よく考えると、祖父のコーヒーの味に近づいてきたとは言われても、「わたし」のコーヒーを褒めてくれた人は、祖父だけだった。わたしは、初めて作ったコーヒーを祖父に褒めてもらった時、とても嬉しかった。はっきりとその時の気持ちを思い出せるのに、今まで忘れていたのだ。でも今小さな人に褒めてもらって、わたしはその感覚を思い出した。なんだか今なら美味しいコーヒー淹れられそうだなぁ、と思って、わたしは準備を始めた。

そろそろ出来上がるという頃、また、店の扉がカランカランと鳴った。外はもうすっかり暗かったけれど、そういえば閉店の札を下げるのを忘れていたということを、思い出した。入って来たお客さんはコーヒー一つ、と言うとカウンター席に座った。閉店の時間だからと断ることもないので、わたしはまた、自分用に作っていたコーヒーを、カップに注いで出した。お客さんは一口飲んでから、目を見開いた。

「へえ、美味しいね」
「あ、ありがとうございます」
「こんな時間まで開いてる、美味いコーヒーの店ってあんまりないんだよな。また来させてもらうよ」

笑顔のお客さんの言葉に、わたしはまた嬉しくなって、胸がほわっとした。きっとこういう気持ちで淹れたコーヒーは美味しくなるんだ。


また来ると言ってくれた人の為に、あの日から、閉店時間を遅くして、店を続けた。相変わらずお客さんは少ないけれど、増えていた。でも続けるきっかけをくれた、あの小さな人はもう来てくれなかった。目付きは悪かったけれど、いい人だった。わたしは、またあの人が来てくれるまで、お店は続けようと思う。



クラシックガール



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フェイタンを妖精さんか何かだと思っている女の子
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