秀作くんと喧嘩した。きっかけは思い出すのも馬鹿らしいことだった。卵焼きは甘いのがいいか、しょっぱいのがいいか。わたしは絶対甘い方が美味しいと思うのだけど、秀作くんはしょっぱいのの方が美味しいと言って聞かないのだ。だからって口を聞かないような喧嘩に発展するなんて、一体何歳なのと言われても仕方ない。今となっては、喧嘩の内容なんかしょうもなくてどうでもいいけど、あの時わたし達はムキになっていて、それ以来口を聞かずに丸二日。一度喧嘩したら長くなるのは昔から変わらない。わたし達は意外と頑固なのだ。あと、相手が秀作くんだから、ということもあるかもしれない。そんな訳で、わたし達は口を聞かないまま三日目の朝を迎えた。

「吉野先生、おばちゃん、おはようございます」
「おはようございますなまえくん」
「おはようなまえちゃん、悪いけど小松田くん起こしてきてもらえる?」
「嫌です」

事務のおばちゃんの言葉を爽やかに、さっぱりきっぱり断った。

「何で…ってああ、そういえば今、喧嘩中だったわね」
「なまえくんが大人になってあげたらどうですか?相手は小松田くんなんですから」
「相手が秀作くんだからこそ、折れる訳にはいかないんです」
「そもそも卵焼きの味で喧嘩して口を聞かないなんで、小松田くんもなまえちゃんも子供なのよ」

おばちゃんが持っていた書類をトントンと揃えながら言った。返す言葉もない。しかしわたしは秀作くんを起こしには行かず、机に向かった。そこは譲れないのだ。わたしが行かなければ、吉野先生もおばちゃんも起こしに行こうとはしない。秀作くんは放っておかれることになった。




数十分後、ドタバタと秀作くんが事務室に駆け込んできた。

「お、おはようございます〜」
「小松田くん、今何時だと思ってるんですか?」
「だって、誰も起こしてくれないから…」

ぐすん、と恨めしそうな目でわたしを見た秀作くん。ぷい、と顔を逸らしたら、秀作くんが頬をぷくっと膨らませるのが見なくてもわかった。

「小松田くん、なまえくんのせいじゃありませんよ。それより、顔くらい洗って来なさい」
「じゃあ朝ごはんも食べてきてもいいですか?」
「朝ごはんは抜きです」
「そんなぁー」

秀作くんは泣きそうな顔で、手ぬぐい片手に事務室を出ていった。

「懐かしいですねぇ、このやり取り」
「なまえくんが来てからはあまりなかったですからね」
「自業自得です!」

わたしは吉野先生とおばちゃんにもぷいっとして、筆を持った。二人は苦笑していたに違いない。




「吉野先生、書類の整理終わりました」
「おや、今日は早いですね」
「秀作くんに邪魔されないので」
「彼は、わからないところはいつもなまえくんのところに聞きに行きますからね。ご苦労様でした」
「はい!」

意気揚々と事務室を出て、いつもより早く食堂の手伝いに向かう。ああ、なんだか清々しい。今日はわたしも何か一品作ろうかしら。うきうきとそんなことを考えた。しかしそんなうきうき気分は、昼食の時間が終わるのと共に萎んでいった。お昼に秀作くんが来なかったのだ。それどころか、吉野先生も来ない。何か大変なことがあったのではないかと、わたしは洗い物をおばちゃんに託して、おにぎりをいくつか作って事務室に向かった。そっと部屋を覗くと、二人は机で向かい合っている。気配で気が付いた吉野先生がこっちに来たので、わたしは先生を部屋の外に引っ張った。

「なまえくん!」
「吉野先生、どうかしたんですか?」
「なまえくんがついていない分、小松田くんの仕事が遅い上ミスだらけで大変ですよ」
「す、すみません…あの、お昼にいらっしゃらなかったから、おにぎりを作ってきました」

わたしが二人分のおにぎりを渡すと、吉野先生はにやりとした。

「食堂のおばちゃんからって言って下さい!」
「はいはい」

吉野先生は部屋に引っ込みながら、なまえくんの仕事が早くなっても小松田くんが遅くなるんじゃ意味がないなとぼやいていた。わたしと秀作くんが関わらなくても、学園は大方いつもどおりだ。仲直りのタイミングが見つからない。昔は両親や優作さんに怒られたりして、仲直りしたっけ。懐かしい。




午後は、秀作くんが書類の仕事を終わらせられないようなので、わたしが入門表・出門表を持って門に立った。人が来なくて暇なので、近くにあった喜八郎くんの罠を壊していたら、吉野先生が走って来た。

「夕方から急遽、学園長のご友人がいらっしゃることになったそうですので、この辺りの掃除をお願いします」
「え、この穴達は…」
「なんでこんなにボコボコと落とし穴があるんですか!埋めなさい。私はこれから職員会議に出なければいけないし、事務のおばちゃんは小松田くんを見張っているので、なまえくん、頼みましたよ」

それだけ言って吉野先生はまた走っていってしまった。もう、穴のせいで仕事が増えちゃった。不満を漏らしながらも、わたしは箒とシャベルを取りに道具庫に向かった。しかし。

「ない…」

しばらくきょろきょろしてから、そういえばこの間、三年生が実習の授業で壊してしまったんだったと思い出した。ええと、今はどこにあるんだっけ。いつも秀作くんがやっているから、勝手がわからない。穴を埋めるのだって、一人じゃきっと終わらない。わたしは諦めて、専門家を呼びに向かうことにした。学園をぐるぐる走り回って、薪置き場でようやく目的の人を見つける。

「食満くん!」
「うわ、どうしたんだ?息切らせて」
「門の横の道具庫が壊れたじゃない?中身は今どこに置いてたっけ?!」
「確か…中身は石火矢の倉庫の片隅に纏めてある」
「あとね!穴を埋めるのを手伝って欲しいの…」

食満くんは仕方ないなぁという顔をしてから、わたしの手を引っ張って走り出した。わたしなんかとは比べものにならなく早い。

「は、はや、い!」
「なんかお前急いでるんだろ?」
「夕方に、学園長の、お客さんが来るの、それまでに、埋めなくちゃ、いけなくて、」

話すのもやっとだ。そしてそんなわたしを見て、食満くんは楽しそうだ。でも手伝ってもらうのに文句は言えない。ぐるぐる走り回っていたぶんもあるけど、さっきの5分の1くらいの早さで学園の反対側にあった石火矢の倉庫に着いた。倉庫は門からそう遠くない。わたしは箒を、食満くんは二本シャベルを抱えて、門まで戻る。

「結構あいてんな、穴…」
「ご、ごめんなさい」
「いや、埋めた方が安全だしな。掃除より先に埋めとくか」

箒は置いておいて、二人で必死に穴を埋める。さすが食満くんは手慣れていて、わたしよりも仕事が早い。思っていたより早く穴はなくなって、わたしと食満くんは一息ついた。

「本当にありがとう、食満くん」
「今日の夕飯、大盛りにしてくれよな」
「任せて!」
「またなんかあったら言えよ、手伝うからさ」

食満くんは手を振りながら長屋の方へ歩いていった。彼が見えなくなるまで手を振り返して、箒を持つ。もう空は赤くなっていた。なんだか寂しいなぁ、なんて感じるのは、夕方だからだろうか。綺麗になった玄関で、箒の柄に顎を乗せて、空を見上げた。鴉が飛んでいる。あー、初めて家が恋しいかもしれない。物悲しい気持ちでぼーっとしていたら、ちょんちょんと肩をつつかれた。

「はい?」
「今日は入門表にサインはしなくていいのかね?」
「…ああっ!すみません、学園長先生のお客様ですね!」

人の良さそうな、でも隙のないお爺さんが、わたしの後ろに立っていた。学園長の、忍者時代のご友人だ。わたしは慌てて入門表を差し出した。お爺さんは笑いながら、さらさらとサインをする。

「今日はサインサインとうるさい、いつもの事務員はいないのかね」
「彼は今書類整理中です」
「そうか。いたらうっとうしいが、いないとなんだか寂しいものだね」
「そうなんですよね」

今のわたしには、とてもとても共感できた。やっぱり今日、夜にでも仲直りしよう。だって、しょっぱい卵焼きだって、わたしは好きなのだ。





夕食もお風呂も済ませたわたしは、部屋で秀作くんに言う言葉を考えていた。秀作くんは夕食も食べに来なかったので、仲直りしたあと一緒に食べれたらなと思って、大福も作ってきたのだ。やがて部屋の外からトントントンと小走りな足音が聞こえて、わたしはどきんとする。きっと秀作くんだ。彼が部屋に入る前に、廊下で捕まえようと思っていたわたしは、部屋の障子に手をかけた。けれど、先に外から思い切り開けられて、勢いにもっていかれてごろんと転がる。

「なまえちゃん!」
「し、秀作くん」
「ごめんねなまえちゃん、僕やっぱりなまえちゃんがいてくれないとだめだよ!」

うわあっと泣き出した秀作くんに、わたしも涙が溢れてきた。言おうとしていた言葉達なんてどこかへ飛んでいった。

「わたしも、秀作くんと話せないなんて、寂しい!」
「なまえちゃーん!」

わたし達はぎゅっと抱き合った。ダメダメな秀作くんのフォロー役だってなんだっていいから、仲良く頑張ろう。そう思った。

「はあ、安心したらなんだかお腹空いちゃった」
「そりゃあそうだよ!秀作くん、夕食も来てなかったじゃない」
「穴に落ちちゃって間に合わなかったんだぁ。何か残ってるかな」
「そう言われると思ってね、大福作ってきたんだ」
「大福?やったあ!」

ニコニコする秀作くんと、一緒に大福を食べる。それだけのことに幸せを感じられることが、嬉しかった。





そして、翌朝。

「おはようございまーす」
「ああ、なまえくん。おはようございます」
「おはようなまえちゃん、また小松田くんは寝坊かしらね」
「あ、今起こしてきたので、もうすぐ着替えて来ると思います」
「何、仲直りしたの?」
「はい!ご迷惑おかけしました。今日からまた、秀作くんのフォロー頑張ります」
「頼みましたよなまえくん、小松田くんをうまく操れるのは、君だけです」

そう言って吉野先生は、わたしと秀作くんの今日の分の仕事を手渡してきた。わたしはそれを受け取って、机に向かう。仕事を始めて間もなく、秀作くんが部屋に駆け込んで来た。

「なまえちゃん、もう食堂しまってたよ!もう少し早く起こしてよ〜」
「仕方ないじゃない、わたしが起きた時間に起こしたら早すぎるし、わたしが食堂を出るのは朝食の後片付けが済んでからなんだから」
「また朝ごはん食べられなかった…」
「まあまあ、おにぎり作ってあるから、我慢して。あったかいご飯が食べたかったら自分で起きてよ」
「なまえちゃん…ありがとう!」

吉野先生がやれやれという顔をした。それでも事務室の雰囲気は、昨日に比べてとても穏やかで、居心地がいい。こんな喧嘩をしたのは久しぶりだけど、改めて大切なことを確認できた気がした。

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