耳元で名前を呼ぶ声がした。ウンディーネの声だ。落ちていく風の轟音にも負けずによく聞こえるのは、わたしだけが召喚できるウンディーネだからこそ。

「なまえ!大丈夫?」
「大丈夫じゃない!」
「もうじき下に着く。水でクッションを作るけど、衝撃は結構あるから、それは我慢してね!」
「ありがとう!」

ウンディーネが下に急降下していくのがわかった。わたしはただ落ちていることしかできないけれど、もうすぐ来るだろう衝撃に身構えた。数秒後、わたしは水に叩き付けられた。全身にたくさんの泡がぶつかる。鼻を片手で押さえ、目を閉じたまま必死で水を掻いた。水の勢いで、いくらか流された気がする。ようやく水面に顔が出て、水も徐々に減って、周りを見回す。

「なまえ!」
「あ、泉くん!」
「この水、ウンディーネだろ。ありがとな、助かった」
「ううん、それより他のみんなは?」
「ごめん、他の三人はもっと下まで落ちちゃったみたいなんだ!」

ふわりとウンディーネが現れた。

「もっと下があるの?」
「うん。二人は押し流されて途中の横穴に入ったみたい」
「ああ、確かに、あっちが崖になってるみたいだな」

泉くんが立ち上がって、風の吹いて来る方を見た。暗くてよく見えないけど、確かに崖になっているようだ。崖の反対側は奥に続いている。わたし達は崖に近付いて、下を覗いた。

「底は…見えないな」
「ここから降りるのは無理…だよね。あっちの道から、一番奥に続く道を探すしかないか」

わたしは崖の反対側の道を指した。泉くんは頷いてから、今度は崖の上を見た。

「ていうか、戻れんのかな、さっきの入口まで。相当落ちただろ」
「僕でも、上まで戻るほど水は出せないよ」
「戻り方はみんなと合流できてから考えよ」

ぱたぱたと両手についた砂を払い、立ち上がる。泉くんも、そうだな、と立ち上がった。ウンディーネはいつでも戦えるよう、ふわふわ浮いてついてきた。

「しかし、榛名さんやってくれるよな」

泉くんは、何も背負っていない背中を確かめて、ため息をついた。

「武器ナシで試験とか、テストの日に筆箱忘れたみてぇ」
「もっと命に関わるよ」
「まあそうだけど」
「あ、そうだ、わたしのナイフでよかったら持ってて」
「いいのか?」
「わたしはウンディーネがいるし、泉くん何も持たないのは危ないよ」
「じゃあ借りとく、ありがと」

泉くんは二、三回ナイフを振ってみてから、しまった。さて、とわたし達は奥に続く道を睨む。今のところ、何かがいる気配はない。

「あ…明かりがないな」
「そういえば、そうだね」

今いる場所は、遥か上のわたし達が落ちてきた穴から微かに光が降りてきていて、微妙に明るい。泉くんとお互いの姿は確認できる程度。しかし、奥は真っ暗だ。

「僕が先頭で行くよ。ちょっとだけ明るいでしょう?」

ぼんやりとだけだけど光っているウンディーネが言った。

「ありがとうウンディーネ」
「任せてよ」
「あと、泉くん…真っ暗だし、はぐれないように、その、腕掴んでてもいい…?」
「え?あ、ああ」

わたしが腕に掴まろうとしたら、泉くんがその手を捕まえた。

「こっちのがいいんじゃね?」
「あ、ありがとう」

恥ずかしいのよりも怖い気持ちが勝ったわたしは、泉くんの手を握り返した。泉くんの笑顔にほっとする。そのままウンディーネを先頭にして、わたし達は歩きだした。





ウンディーネのいた洞窟も大変だったけど、今とどっちが大変かと言えば、間違いなく今の方が大変だろう。前と同様に廉くんの回復薬がないし、人数は少ないし、泉くんの弓矢もないし、おまけに明かりもない。ぼんやり光るウンディーネと、泉くんと繋いでいる手だけが頼りだ。

「分かれ道だよ」

ウンディーネが言った。ようやく闇に慣れてきた目で、左右の道を睨むが、先を見ることはできない。わたし達は顔を見合わせる。

「勘しかないな…どっち?」
「じゃあ右!」
「迷いがなくて有り難いよ」

泉くんがにいっと笑う。普段は優柔不断だけど、こういうのは素早く決めてしまった方が怖くない。ウンディーネもにこっと笑ってから、右の道に進んだ。

「なんにも会話ないと寂しいね」
「それもそうだなー」

泉くんは繋いだ手をぶらぶらと振った。最初は怖くて両手で泉くんの右手を握っていたけど、今は片方は離している。

「いざ話そうってなると、話題ってねーんだよなー」
「んー、確かに」
「いつも何話してたんだろーな」
「宿題とかー、部活とかー、…とか」
「そういや最近考えなかったけど、学校どうなってんのかな」
「どうなってんだろうね。しばらく戦ってばっかだったし、勉強するの嫌だなー」
「つーか英語とか古典とか吹っ飛んだ。テストやべーよな」
「テストの話聞きたくないー!」
「あーなんか一気に緊張感なくなった。教室みてぇ!」
「そういえば、今泉くんと席近かったよね」
「そーだな。でもそろそろ席替えか」
「また近くがいいな、泉くん頭いいし…」
「別にそんなよくねーよ、なまえは寝るから駄目なんだって」
「駄目って言わないでよ!」

泉くんはちょっと意地悪く笑った。懐かしいな、教室、テスト、先生の顔や声、寝ぼけて書いたノートのミミズみたいな線。今のわたしの席の斜め後ろが泉くんの席で、授業でわたしが寝てた時に色々教えてもらったりしていた。泉くんは意外と教え上手なのだ。

「泉くん、先生にむいてそう」
「何、急に」
「ふと思ったの」

現実に戻ったら、進路とか考えなきゃいけないな。勉強もしなきゃだし。そう思うと、戦うだけのこの世界って、意外と気楽でいいかも、なんて思ってしまった。

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