客が増えると、なまえは条介が仕込みをする早朝に来ることが多くなっていた。条介もなまえが入ってきやすいように、起きると一番に店の戸を開けた。そうして、なまえが来るようになって二週間ほどたった、ある日。

「条介さん、おはようございます」
「おう、おはようなまえ!」

朝食を片付けて、薬の準備をしていた条介が、顔を上げた。なまえが店に入ってきて、条介の隣に座り、その作業を見つめた。

「なまえ、いつまでこの町にいるんだ?」

条介が手は止めないまま尋ねる。

「もう少し。本当はこんなに長くいるつもりはなかったんですけど、条介さんと出会えたから、延長してしまいました」
「そっか、なまえが帰ったら寂しくなるな」
「わたしもです…ねえ条介さん、今日も町の話をしてくれますか?離れる前に、もっとたくさんの話を聞きたいんです」
「もちろんいいけど、なあ。たまにはなまえの住んでたとこの話も聞きてえな。田舎なのか?それともかなり遠く?こことだいぶ生活が違うみたいだからさ」

条介がなまえの顔を見た。なまえは珍しく、悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。

「秘密です」
「なんでだよ!」
「…悪いところではないけど、私はこの城下町の方が好きです、とだけ言っておきます。不思議な女の子、って素敵じゃないですか?その方が、条介さんの記憶に残れそうですし」
「まあ、それはそれでいいかもな!」

条介はにっと笑った。話したくない話なら、無理に聞くこともない。それからはまた二人は、些細な日常の話などを、開店の時間まで続けた。





その翌日から、なまえは店に来なくなった。予定が早まって、もう自分の町に帰ったのだろうか。気になってもやもやする条介の気持ちを余所に、早朝の店の戸は静かなままだった。しかしそれと対比するように、条介の店が面している町一番の大通りは、騒がしくなっていた。元々たくさんの商人の行き交う通りだったが、明らかに人が増えた。店の暇な時間帯に、条介は向かいの蕎麦屋で店番をしている楽也に話しかけた。

「なあ楽也」
「条介から話しかけてくるのは久しぶりだな、何だ?」
「何でこんな人通り多いか知ってるか?」
「は、当たり前だろ。条介知らないのか?」

条介が知らないことに驚いたらしい楽也は、ぽかんとした顔をする。

「城主の一人娘が流行り病にかかったらしい。この人通りは、城主がそこらじゅうから薬をかき集めてるせいだ」

ひやり、と条介の背筋が冷えた。まさか、そんなはずはないだろうけど、もしかしたら。突然来なくなったなまえの顔が、嫌でも頭に浮かんだ。

「なあ、その娘の名前、なんて言う?」
「お前なあ、それくらい知ってろよ。みょうじなまえ、みょうじ城の城主の娘…っておい、条介?」

条介は最後まで聞かず、大通りを城に向かって走り出していた。名字を聞けばさすがの条介だって気付いたが、気付かれたくないからなまえは黙っていたのだろう。いつも物良い布の着物を着ていたのも、人のいない時間にしか店に来ないのも、自分の家のことを話したがらなかったのも、どことなく上品な物腰も、全部頷けた。息切れしながらも城の門までたどり着き、門番に駆け寄る。

「頼む!入れてくれ!」
「だ、誰だ!」
「綱海条介、みょうじなまえの友達なんだ!俺は流行り病を治せる薬を持ってる、頼むから!」
「駄目だ、町の人間は入れるなって旦那様から言われてるんだ!」
「何でだよ!じゃあ俺が直接頼むから、旦那様呼んでくれ!」
「む、無茶な…」
「私に何か用か」

はっとして、門番につかみ掛かる勢いだった条介が、顔を上げた。細く開いた門から、立派な髭を蓄えた男が出てくる。それはみょうじ城の城主で、条介にも見覚えがあった。

「あ…あの!俺…」
「なまえが最近、毎日のように城を抜け出しているのは知っていた。だがなまえは昔からあまり体が強くなく、外に出してやる機会もなかったし、何よりなまえが楽しそうだったから、見逃していたのだ。そうしたら、これだ…」
「な…」
「町で流行りの病を拾ってきおった」

条介の店は、薬屋。当然、病気の客が多く、菌も集まりやすい。人一倍体も強く健康な条介が平気でも、体の弱いなまえだったら、話は違ってくる。条介は口を開けたまま、何も言えなくなった。城主はその顔を見て、さらに表情を厳しくした。

「娘がうなされながら、人の名前を呼ぶんだが、恐らくその流行り病を拾った時一緒にいた奴なんだろう」

条介はただ城主の顔を見つめていた。

「条介さん、と」

じろり、と城主が条介を見下ろした。

「君の名前は何と言ったか?」

条介は、何も、言い返せない。





とぼとぼと、大通りを歩いて戻る。店番をしながら、心配そうにちらちらと通りを見ていた楽也は、帰ってきた条介に駆け寄った。

「おい、条介!」

楽也の呼びかけにも、反応する気力のない条介は、ふらふら店に入って行った。と、思ったら、商人が通りを横切った途端、勢いよく飛び出してきた。商人も、気にして見ていた楽也も、驚いた。

「なあ!城に薬を売りに行くのか?!」
「な、なんだよお前!今売ってきたんだよ」
「どんな薬か見せてくれよ!」
「なんなんだよ本当に…これじゃあ、病状を悪化させない程度の効き目だぞ」
「やっぱり…」

薬を調べて、肩を落とす条介。

「失礼だなお前…」
「頼む、俺この病気の特効薬持ってるんだ、城に売ってきてくれないか?」
「はあ?無理無理、町の物は一切持ち込むなって城主の旦那から言われてるんだ。町を通ってきた俺達だって、門の向こうには入れてもらえないんだ」
「それって、ここで買ったらばれるもんなのか?」

気になって聞いていた楽也が口を挟んだ。商人は少し驚いて振り返る。

「ああ、結構厳しく聞かれた」
「……じゃあ、これの調合を教えるから、あんたの町の材料で作ってくれないか?治った例はたくさんあるし、もちろんあんたが売って儲けてもいいから、なあ頼む!」
「なんでそこまで…?」

条介の迫力に気圧された商人が、不思議そうに聞いた。

「大切なんだよ。元気でいてほしいんだ。大切な人にこれ以上死んでほしくない」

真剣な条介の目を見て、商人は頷くことしかできなかった。





あの後。商人は条介から聞いた薬を城に届け、なまえの病は良くなり、城下町の大通りも前の人通りに戻った。なまえは、病はほとんど治ったけれど、元々体が弱いこともあり、療養の為に空気が綺麗で静かな別荘でしばらく過ごすらしい。また、条介が薬の調合を教えた商人が、たくさんの謝礼に申し訳なくなり、それを分けようと条介の元を訪ねて来た。しかし条介は、なまえが良くなったのならそれだけでいいと、受け取らなかった。

その数年後、条介は若いのに腕のいい薬屋だと、遠くの城から専属薬剤師にならないかという誘いが来た。必要とされているならと、条介は船と歩きで何日もかかるその城に住み込みで働くことにした。療養から戻ったなまえは、親の決めた相手と結婚した。条介も、城で働いていた女と結婚をした。それでもお互いに、お互いのことを生涯忘れることはなかったという。





想う

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -