江戸の城下町で小さな薬屋を営む綱海条介。明るく心優しい彼は、町の人々から、特に子供から、とても好かれていた。また、彼の父は口下手だが勤勉で、薬草の調合の研究に余念がなかった。店の接客は条介が、薬の調合は父親が。そうして、小さいながらも、店は繁盛していた。





「やあ、条介」

お昼前、薬屋の前を箒で掃いていた条介に声をかけたのは、向かいで蕎麦屋をしている幼なじみだ。

「おう!楽也じゃねーか!母ちゃんの調子はどうだ?」
「それが、今朝からまた体調悪いんだ」
「それは大変だな、後から薬持って様子見に行く!」
「すまない」

楽也は食材の買い出しの途中だったのか、条介に一つ頭を下げると、町の方へ足早に紛れて行った。それを見送ってから、再び掃き掃除を始めた条介の背中に、今度は容赦のない張り手が飛んできた。

「って!」
「やだぁ、強すぎたかしら?」
「なんだ喜屋武のおばさんかよー」
「おはよう、条介ちゃん!」

にっこりと笑った、少しふくよかで背の低い女性は、これまた幼なじみの梨花の母親だ。最近風邪をこじらせ寝込んでしまった、ほっそりとした美人だった楽也の母親に比べ、病気知らずといった風貌の彼女は、正反対だが強く逞しく美しい。幼い頃に母親を亡くした条介の、母親のような存在だ。

「おう、おばさん今日も元気そうだな!」
「ええ、お蔭さまで!条介ちゃんも相変わらず元気ね」
「たりめーだろ!」

条介はにいっと笑った。喜屋武のおばさんもホホホと楽しそうに笑うと、お昼の買い物なのか町に消えた。そうこうしている間に大体の塵を集め、掃除道具を片付けていた条介を、店の中から呼ぶ声がした。

「条介、昼飯できたぞ」
「今行く!」

すぐに父親の待つ、店の奥の小さな居間に向かう。器用な父親の料理の腕はなかなかのものだった。

「なあ、楽也のおばさん、まだ調子悪いらしい。今日見に行ってやってくんねぇか?」
「ああ…あれな」
「どうした?」
「あれは風邪ではないかもしれん」

真剣な顔の父。普段から冗談を言うような性格でもない。条介も真剣な顔で、続きを待った。

「最近、都の方で新しい流行り病が急増してるらしい。症状が似てるから、それの可能性もあるな」
「流行り病って…薬は?」
「特効薬はない。今研究してるが、如何せん手探りだ。音村さんとこには今日の午後、試作の薬を持って行って様子を見る」

話に夢中で手を動かすのを忘れていた条介をおいて、父親はさっさと食器を洗いに向かう。条介も慌ててご飯に手を付けた。





楽也の母親に飲ませていた試作の薬は、病状を維持することしかできなかった。その間にもじわじわと、病は町に広がり始めていた。都でも特効薬はできておらず、条介の父の薬が一番効果のある薬という噂はすぐに広まり、店にはその薬を求める人が毎日途切れなかった。その日も、店じまいをしてから売上を確認すると、いつもよりも多かった。それの意味するところを考えると、喜んではいられない。

「結構流行ってきたな、親父」
「ああ…」
「…親父?」

父親の顔に滲む汗に、綱海が箸を置いた。父親は大丈夫だ、と言った後、ぐらりと横に倒れた。

「親父!」

綱海が駆け寄る。流行り病に似た症状だけど、少し違う。しかし気が動転した条介は、それを見分ける余裕がなかった。

「流行り病…薬でおさえて隠してたのか…?!こんな酷くなるまで!」
「違う、これは薬副作用だ…病気を隠してたのは確かだが、自分の体ほどいい実験体は、ないだろう」
「馬鹿じゃねぇの!死んだら意味ないだろ!」
「意味はある。自分の体に使うからこそ、思い切って効き目の高いものを選べた。これは副作用が強すぎるが、このお陰で正解が見つかった…」
「もう起きるなよ親父!後は俺がやるから、」

立ち上がろうとして力無く倒れた父に、条介は弱々しく言った。これでも薬屋の息子なのだから、父の見つけた正解が何なのかくらいはわかる。条介は徹夜で薬を作りながら父を看た。しかし翌朝、父は他界した。



父が亡くなり、条介が一人で店を営むことになった。薬を作ることまで一人でするため、店を構う時間が少なくなったし、条介自身もショックからなかなか立ち直れず元気がない。薬を買いに来て辛気臭い顔を見せられては、治る病気も治らないと、客足は遠退いた。しかし流行り病の薬は成功で、楽也の母親は元気になった。楽也も条介を気遣い、毎日店を覗きに来たりしたが、いたたまれなくなりあまり来なくなった。

そんなある日。条介が、店の様子が見えるところで薬を作っていると、久しぶりに店の戸が揺れた。顔を上げた条介と、入ってきた女の目が合った。

「あ、あの、」
「どうした?」
「薬を下さい、擦り傷につける薬」

恐る恐る近寄ってくる女は、よく見ると高価そうな布の着物を着ている。そんなことを横目で見て考えながら、条介は立ち上がって薬を用意した。

「包帯はありますか?」
「あるぜ」
「あと、その…」

もじもじしている女に、条介が不思議そうな視線を向けた。

「包帯とか、巻いたことがないんですが、やって頂けますか?」
「…ああ」

代金を受け取ってから、条介は女を薬箪笥の隣に座らせた。

「どこだ?」
「ここです」
「うわっ」

女が遠慮もなく着物を捲り上げたので、思わず条介は赤くなり目をそらした。女は少し慌てた調子で、条介と膝の傷を見る。

「そ、そんなに酷いですか?」
「いや…いいとこのお嬢さんかと思ったら、意外に大胆なんだな」

条介は本当に久しぶりに、笑った。その言葉に今度は、女が顔を赤くした。条介は一度謝ってから、傷の治療をした。

「これでよし」
「ありがとうございます。ええと…お、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「俺は綱海、綱海条介だ」
「条介さん、ですね。私、なまえと言います。条介さんはこのお店、一人でやっていらっしゃるんですか?」

なまえの質問に条介は一瞬表情を曇らせたが、すぐに笑って見せた。

「ああ」
「…すごいですね、尊敬します。私、一人では何もできなくて」
「そんなことねえだろ」

条介の言葉に、なまえは嬉しそうな、寂しそうな顔をした。

「ありがとうございます。また、お話しに来てもいいですか?」
「ああ、もちろん」

なまえは替えの包帯と薬を持って、店を出て行った。





それからなまえは、ほとんど毎日条介の店に来た。初めのうち条介は、来ると最初に包帯を替えてやっていたが、軽傷だったので三日もすれば傷は治っていた。

「ああ、よかった、跡が残らなくて」
「女だもんな」

条介が言うと、肯定とも否定ともとれるような顔をするなまえ。それからなまえは、条介の普段の生活などを聞きたがった。聞くと、なまえは遠くの町から、城の見物をするために、ここの近くの親戚の家に泊まりに来たらしい。立派な城で有名なこの町では、見物客はそう珍しいものではない。なまえは条介の話すことに、いちいち驚いたり感心したりした。田舎の出なのだろうか、と条介は考えた。その条介もなまえと話すことで、前のような明るさを取り戻し、客も徐々に増えていった。

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