その場にいたナマエ以外の人間は、全員言葉を失った。確かに今ナマエは、初めまして、と言ったのだ。さっきまではあんなに怯えていたクロロ達にも、きょとんとした顔を向けている。ナマエを抱き抱えていた時のままの格好だったイルミが、ゆっくり口を開いた。
「…名前は?」
「あ、ナマエです!」
にっこり笑って答えたナマエ。せめて別人と入れ替わったのだったら、とほんのわずかな希望を持っての言葉だったが、あっさりと打ち崩されてしまった。再びしーんとしてしまったその場の雰囲気に、ナマエは居心地の悪さを感じた。そして周りを見て、全員の視線が自分に向いていることに気付く。なんとなく、今の空気の原因が自分にあることを感じたナマエは、必死に今までの状況を思い出そうとした。
(…?何も、思い出せない?)
どんなに考えても、何も思い出せない。記憶にもやがかかっているような気分だった。ナマエはなんとか状況を想像しようとする。
(知らない人の中で…あの人に抱き起こされていて…わたしは、寝ていた?)
ちら、とナマエがイルミを見ると、イルミは呆然と宙を見ていて、視線は合わなかった。ナマエはとりあえずそれで納得すると、ぎこちない笑顔を作って、もう一度イルミを見た。
「あの、もしかしたらわたし、酔っていたのかも…しれなくて、今まで何をしていたか、覚えてないんです。わたし、多分、ここに倒れていたんですよ、ね?」
イルミの目がナマエを捉えた。その目が悲しげな雰囲気で、ナマエはドキッとする。しかしイルミは、ナマエの言葉には何の反応も示さなかった。困ったナマエは、答えを求めて視線をさ迷わせる。その時、クロロが一歩前に出た。ナマエの視線はクロロに固定された。
「…初めまして、ナマエ」
「!…初めまして!」
「、団長…?!」
ナマエはクロロが反応してくれたことで、ほっとしたような表情になった。ノブナガが驚いてクロロを見る。クロロは、何かを諦めたような、少し寂しそうな笑顔だった。
「クロロ」
「イルミ…悪いな」
イルミも、無表情でクロロを見た。クロロの「悪いな」は、念の解除に失敗したことで、イルミのことも忘れさせてしまったことに対してだろう。クロロはもう一歩ナマエに近付くと、手を差し出した。
「クロロさん、とおっしゃるんですか?」
「ああ、クロロ=ルシルフルと言う。よろしく」
「はい!」
ナマエは笑顔でクロロの手を、握った。その瞬間、ナマエの目から、何かが流れた。
「?!」
クロロは驚いて、咄嗟に手を離してしまった。ナマエの目からは、真っ黒な、涙のようなものが流れていた。普通ではあり得ない色のそれは、ナマエの頬を伝って、ぽた、と床に落ちた。ナマエは、どこか遠くを見るような目付きで、呆然と立っている。
「…ナマエ、大丈夫、か?」
黒い涙を拭ってやろうと、そっとナマエの頬に伸ばされたクロロの手を、突然ナマエが掴んだ。
「ナマエ…?」
「……クロロ?」
今度は、ナマエの目は、しっかりとクロロを見ていた。黒い涙の最後の一滴が床にこぼれ落ちて、普通の透明な涙に変わった。それは後から後から溢れてくる。ナマエはクロロの手を握る力を、ぎゅっと強めた。
「ナマエ、お前…」
「クロロ、クロロだよね…?わたし達の団長の、クロロだよね…?」
「!…ああ」
クロロは、ぼたぼたと涙を流しながら泣いているナマエを、抱き締めた。
「わたし…クロロに、団長に酷い態度を…」
ナマエはしっかりとクロロの背中に腕を回して、クロロにしがみつくように泣いた。
「もう、そんなのは、いい」
「でも…」
「いい、から」
クロロはそっと、あやすように囁くと、少し体を離してナマエの顔を見た。ナマエの顔は涙でぐちゃぐちゃだったが、クロロも目には涙が貯まっていた。
「おかえり、ナマエ」
「…ただいま、クロロ」
きみに、会いたかったんだ