キリツグ キリツグ どうして返事をしてくれないのですか? キリツグ キリツグ!


「分かった、分かったから」



どこか幼さを残しながら、凛とした気高い美しさを見せる少女に、彼女付き添いの医師――衛宮切嗣は辛抱強く答えてやる。
けれどもう彼はこの後の彼女の台詞が予想出来ていた。



「返事をして下さいってば!」



いつものように彼女は叫んで、その金髪を揺らして彼を睨んだ。






これまで一体何回繰り返したか分からないやり取りに溜め息をつきたくなったが、切嗣に彼女を見捨てる気は一切なかった。切嗣は医者であり、心からこの少女を救いたいと思っていた。



一人でも多くの人間を救う、



それこそが切嗣の医者としての信条であり、揺るがない彼の原動力。故に、彼は若くして名声を勝ち得、その界隈ではある程度有名な精神科医として確固たる地位を有していた。


――そんな時だった。ある屋敷から、彼に声がかかったのは。


「うう…アイリスフィール、今日もまた切嗣が口を利いてくれません…」



ぎゅーっと、大きな兎のぬいぐるみを抱き締めるこの少女――アルトリアは、とある名門、ペンドラゴン家のご令嬢だ。



ペンドラゴン家――知らず知らずのうちに、切嗣は唇の端を噛む。



アルトリアに子供の頃から常に周囲から異常とも言える過剰な期待をかけ、アルトリアにそれに応えようと毎日毎日、必死になって努力を続けるさせるうちに――彼女を押し潰してしまった連中。



しかも、彼らは彼女を切嗣に任せたっきり、一向に切嗣の呼び出しや質問に応えようとしない。



ひょっとして彼女を治す気が無いんじゃないか。
苛立ちで胸がムカつくのを感じる。



奴らのうち誰も、彼女が壊れてしまう前に気付いてやれなかった癖に




どうしたのですか切嗣」


アルトリアの言葉ではっと我に返った。



「アイリスフィールが心配しますよ」
「ごめんごめん」



ちらりと、彼女の腕の白いウサギのぬいぐるみを見て苦笑する。
切嗣はまだ独身だったが、彼女の言うことには、このぬいぐるみのウサギが彼の妻らしい。
部屋に助手の看護婦の舞弥が置いていたのをひどく気に入ってしまったので、舞弥に頼みこんで彼女にプレゼントしたら次の日から彼女の世界ではこのぬいぐるみは切嗣の妻になっていたのだ。



「……私に話せないのなら構いませんが、あまりアイリスフィールを悲しませないで下さい」



アルトリアは切嗣とは絶望的に違う世界に住んでいる。





その晩、父親を■す夢をみた。






全身に汗をかいて、切嗣は目覚めた。



思わず部屋に死体がないのを確認し、馬鹿なと笑ってから安堵して溜め息をつく。良かった。これは現実に起こった2回目の父親殺しじゃない。



はぁ、とひどく痛む頭を抱える。



過去に、切嗣は父親を殺した。
後悔はないとはいえ、それは時折こうやって切嗣を苛む。



この夢がただのエディプス・コンプレックスだったらどんなにいいか。



ふっと浮かんだ、らしくない自身の願いを一笑してベッドから這い出る。
時計を見ると、針は午前3時を示していた。
経験上、こんな悪夢の後の二度寝は最高に夢見が悪い。



――煙草でも吸うか。



ふらりとベランダに出ると、外気が冷たく肌に刺さった。





「おはようございます切嗣」
「おはよう」



お決まりの朝の風景。アルトリアがむっと唇を尖らせる。いつものように、切嗣の言うことは聞こえていない。



なら話しかけなければいいのにとたまに思う時があるのだが、聞こえないと分かっていて返事をする自分もなかなか大概なのかもしれない。





「ひょっとしたら、君の世界はとても美しいのかもしれないね」





告げた言葉も、やっぱり彼女には届かなかった。






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