愚図には抱き締められる価値もないんでしょうか | ナノ
全身に汗をかいて飛び起きた。
はぁ、と一つ、呼吸を整えるために大きく息を吐く。夢、か。かいた汗がぬるりと背中を伝って気持ちが悪かった。ああ、それにしても酷い。何てリアルな、気味の悪い夢だ。まだ身体が不気味さに小刻みに震えている。無理もない。夢にしたって、葵さんを殺してしまうなんてあんまりだ!
隣で眠っている凛ちゃんを起こしてしまわないように、音を殺してゆっくりと起き上がった。辺りは一面、春の花の匂いで満ち溢れている。どうやら花を摘みに来た野原でそのまま遊び疲れた二人と共にうっかり眠りに落ちてしまったらしい。
小さな身体から聞こえる規則正しい寝息に、頬が緩むのを抑えられない。
なんて幸せなんだろう。
凛ちゃんも、桜ちゃんも、本当にいい子たちで――
……桜ちゃん?
はっと、驚きに息を呑んだ。
いない。凛ちゃんの反対側、隣に眠っていたはずの、桜ちゃんが、いない。
慌ててぐるりと辺りを見回す。
まさか一人で、どこか遠いところへ行ってしまったんだろうか?だとしたら大変だ!
けれどその不安はすぐにいい意味で裏切られた。
少し離れた場所で、花畑に小さな背中がちょこんと座り込んでいたのだ。
ほっとして、その小さな背中に近付く。そこは丸い小さな白い花の咲く畑で、桜ちゃんは屈んで何かを摘んでいるらしかった。
「何、してるの?」
「あ、お父さん」
ぱっと、伏せられていた顔が嬉しそうに上がり、ちょっとして照れたようにはにかんだ後また伏せられた。さっと、両手が素早く背中の後ろに回される。
「どうしたの?起きて見たらいないから少し心配しちゃったよ」
「…あ、…ごめんなさい」
「いやぁ、謝ることじゃないよ……どうしたの?」
さっきから、桜ちゃんは何かを言いたげにもじもじとこちらを窺っていた。桜ちゃんの身長に合わせてしゃがむと、やっと控えめな上目遣いと視線が合った。
「…あのね。さっき、やっとね、見つけたの」
何を?と聞く前に、背中の後ろに隠されていた小さな両手が差し出される。
小さな両手の中で、尚も小さい緑の葉。
「…四ツ葉の、クローバー…?」
「…お父さんに、あげる」
突然のプレゼントに、渡した当人が一番恥ずかしそうにしていた。大人しい声が、か細く発せられる。
「えっ、本当に、いいの?」
「うん」
「でも……」
でも、だって、桜ちゃんは、ずっとこれを探していたに違いないのに。もしかしたら、これを見付けるためにただ一人起きていたのかもしれない。でなかったら、こんなに手が汚れてることの説明がつかない。
「…お父さんのために、探してたの」
小さな四ツ葉のクローバーが、小さな手のひらから手渡される。
「これで、お父さんのお願いが、叶うといいなって思って」
気が付くと、桜ちゃんを抱きしめていた。
この小さな子が優しくて、引き寄せた体温が温かくて、いつの間にか泣いていた。
小さな身体をさらに抱き締める。
願いなんてないよ。
こんなに幸せなんだから、願いなんて、あるはずない。
きみのわるいゆめでした
(君の悪い夢でした)