a rood said, | ナノ




暴力は、暴力だ。どんな時に、どんな場所にあっても、それ以上でもそれ以下でもない。しかしそれでも、何年、何百年、何千年繰り返したにも関わらず、未だに人類は暴力に飽きていない。



世界から暴力は無くならない。



「よくも飽きないな」

と、切嗣は辟易と純粋な感嘆から声を上げた。勿論綺礼からの返事はなく、降り下ろされる拳が休まる気配もない。

“そんな言葉を求めているのではない”とでも言いたげに、綺礼は一定のリズムをもって淡々と切嗣を殴打する。

重ねられる暴力に、痛みは既にもうなかった。痛覚がないわけではないが、切嗣の人生はあまりに暴力でまみれていて、いつしか切嗣はそれに順応しきっていた。順応しなければ、蔓延する暴力の中で生き残れなどしなかった。

そう、切嗣は暴力に慣れていた。行使する暴力も、行使される暴力にも慣れていた。


同時に切嗣は暴力を憎んでいた。





突如、首筋に触れたヒヤリとした何かに、意識が身体に戻される。

金属製の十字架が、首筋に触れている。綺礼が屈んだために、胸に掛けているそれが垂れ下がったようだ。そういえば、この男は曲がりなりにも聖職者だったか。



――神なんて。


切嗣は嘲笑した。
神がいるならば、どうしてこんな世界を創造したっていうんだ。全知全能というなら、なぜ戦場で死んでいく幼い子供たち全員を救ってやらないんだ。全世界の不幸な生き物たち全てに、救いの手を差しのべてやらないんだ。


――ああ、どうして、こんなにも、


嘲笑が気に障ったのか、身体を殴る拳の力が強くなる。そろそろ、暴力を加える手の方も痛み出す頃だろうに。



――どうして、こんなにも、世の中は不幸で溢れているんだろう。












――何故これほど世界は幸いで溢れているのだろうか。


芽吹く緑の美しさ、生まれてくる子供たちに与えられる祝福、微笑み合う人々。しかし、そんなものは全て、自分の歪んだ感性には理解出来ないものだ。

世界は空虚だった。幸いであればあるほど、その空虚さは増していく。この世界は空虚である。しかし、誰もそれに気が付いていない。

止まない思索の中、突然小さく嘲笑が響いた。見下ろすと、徹底的に痛め付けたはずの切嗣が嘲るように笑っている。

一体、何が可笑しいというのだ。

腹立ちをそのままに拳を降り下ろと、ぐっ、と小さな呻き声が上がった。


それでいい。



痛みに防御姿勢をとった相手に満足して、内臓を重点的に狙って腹部をもう二、三発殴ってから、襟足を掴んで無理矢理に引き起こす。


粗野に扱ってこそいたが、致命傷を与えるのは避けていた。

切嗣を殺す気はない。少なくとも、こちらの質問に答えさせるまでは、死んでもらっては困る。


「答えろ衛宮切嗣」

意図的に喉が詰まるように持ち上げていた手を緩めると、切嗣は乾いた喉で咳き込んだ。答えを急かすために、頭を軽く揺する。

「お前は、空虚の果てに何を見た?」
「………はッ」

――まだ、そんな気力が残っていたのか。

再度殴打を開始しようと、襟足を掴み直そうとして、切嗣の浮かべていた表情に綺礼は瞠目した。


見間違い、などではない。



衛宮切嗣は、笑っていた。



「あッはははは!そうか、そういうことか!」

笑っている。肋骨が折れているはずなのに、声を上げて、切嗣は笑っていた。揺れる身体に、破けた黒い擦りきれたコートの端々からあちこち鬱血痕が覗く。


「君は僕に、救って欲しかったわけだ!」


切嗣の言葉に、綺礼は戦慄した。

まさか。そんなはずがない。この私が、救われたいなど!

ヒヤリとした汗が背を伝う。バカな。ありえない。私にも分からない、誰からも理解さりえない、言峰綺礼という人間を、この男は見透かしているというのか?!


「いいさ。救ってやるよ」

告げられた切嗣の言葉に、心臓が激しく鳴った。まるで警戒信号を鳴らすかのように、全身に煩い心臓の音が響いていく。

私は救いなんて求めていない!と言い返そうとして、代わりに出てきたのは、「私が憎くないのか?」などといった間の抜けた問いだった。

「憎いさ。けど、関係ないよ」

平然と、切嗣は答えた。

これは、歓喜か、恐怖か。
心臓が跳ねる。全身の血管という血管を熱い血が這い回っていく。



「僕は君を救うよ」



切れた唇で、男は、笑って、告げた。



「君が救われる大多数に含まれているならね」












:スープを泳ぐサカナ




120521
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