買い物に行きたい、と許嫁が望むので、ケイネスは魔術礼装や工房の最終確認を一切放り出してその手筈を整えた。

近々、遠い日本の地の冬木で聖杯戦争が行われる。冬木へと発つ前にイギリスで入り用なものを買い揃えておくのは悪くないことだ……というのは建前で、単にケイネス・エルメロイ・アーチボルトはこの美しい婚約者にとことん弱かったのである。
ともすれば聖杯戦争もエルメロイの威信さえも、最優先事項の彼女の前で下位かもしれない。


そしてその彼女、ソラウは、ショッピングに出かける準備が整うと、ケイネスが見たこともないような、まるで恥じらう少女のような表情で、告げた。


「護衛に、ランサーも連れていくわね」






買い物客の休憩のために設置された大きなソファーに腰をかけ、ケイネスは大きく息を吐いた。


慣れない人混みに軽く酔ったようで少しだけ頭痛がする。しかし、何がなんでもあんな腹の内の知れないサーヴァントとソラウを二人きりにするわけにはいかない。


ーーランサー。


知らず知らずに、ケイネスは苦い気持ちで奥歯を噛み締めていた。

聖杯の呼び出しに応えた以上、男が主張するような、“願いがない”などということはあり得ない。何か、奴は主人にさえ伝えるのに都合の悪い願望を抱えている。


ーーそれに、それだけではない。


ランサーを見つめる時の、ソラウの、あの、熱っぽい、視線。

柔らかく濡れた瞳。
男の名を呼び弾む声。
軽く伏せられ震える睫。

何もかもが異常だった。ただ一度だって、あんな彼女は見たことがない。


そういえば、とケイネスは辺りを見回した。ソラウは、どこだ?

先程まで同じフロアの少し離れた服屋で買い物に勤しんでいたはずのソラウの姿がない。そのすぐ傍に控えていたランサーもだ。

どこか別のところへ移動してしまったのか、それとも……

最悪の事態を想像し、ケイネスは顔面から血の気が引いていくのを感じた。万が一、あのサーヴァントによってソラウに何かあったら。



「ケイネス殿」


ケイネスの沈んだ思索は、ランサー当人によって引き戻された。

よりによって、と眉間の皺を寄せたままに振り返ると、思いの外すぐ側にランサーが来ている。
霊体化は荷物を持つために解いたらしい。大量の荷物を軽々と持つところは流石は英霊といったものか。

「思索の邪魔をして申し訳ございません。ソラウ様が、もう少しで用は終わるとお伝えるするようにと」
「……そうか」

ランサーの報告に平面上は答えたものの、ケイネスはほとんどその中身を聞いていなかった。それどころか、男に抱いた反発もすっかり忘れてしまっていた。そんなことよりも、好奇心と驚きが上回っていた。

「…ところで、その格好はどうした?」

現在のランサーは召喚されたままの深い緑色をした戦着ではなく、白のスーツを纏っている。
スーツは、白を基調に置き、上品であるがややシンプルにまとめられた一級品だ。

「無闇に人目を引くのは具合が悪いと、ソラウ様が当世風の衣装誂えてくださいました」

慇懃にランサーが答える。

そうか、ソラウが。


「似合っている、な」

無意識、だった。驚いたようにランサーが目をしばたたかせる。
だがケイネス自身、らしくない自分自身に少なからず驚いていた。
こんな、脳裏に浮かんだ考えをそのままに伝えてしまうなど、ありえない。浅はかだ。浅慮だ。

「…痛み入ります」

だが、ランサーは、主から賜った賛辞に少し照れたようにはにかんだ。






「ケイネス」

少し大きな声で声をかけるとケイネスは慌ててこっちに振り向いた。柄になく呆けていたみたい。まあ、それがどうしてか、なんて興味はないのだけれど。

「買い物、終わったわよ」
「…あ?…ああ、そうか」

もう、と腕を組もうと上げた右手に、重みがある。そうだった、一つだけ、ランサーに包みを渡しそびれたんだった。

わざわざ持っているほどのものじゃない。けれど、一つの包みのためにランサーを呼ぶのは気が引けた。そんな従者のようなことを、彼にはさせたくない。


「ほら、これ、あげるわ」


迷った末、ソラウはケイネスに包みを差し出した。

満開に咲き誇る、真っ赤な薔薇がまとめられた花束。

ケイネスはひどく驚いたようだった。明け透けに大きく目が見開かれ、その後に、取りなすような咳払いが一つと、


「……ありがとう」



ーー止めてよ。

ソラウは瞳を反らし、瞼を伏せた。


別に貴方のために買ったんじゃない。ただ花屋の聞こえのいい売り言葉に、なんとなしに買ってしまっただけ。


だからそんな嬉しそうな顔をしないでよ。







口笛を吹いて踊り出したいくらいの気分だった。

“今日は、素晴らしい1日でした”屋敷で、部屋に全ての荷物を運びいれてくれたランサーが、去り際に、ふっと、一瞬、笑いかけてくれた。美しい、ただひたすらに美しいあの人が、私だけ、私一人のために、微笑んでくれた。


一瞬、一瞬だったけれど。


ソラウは、胸の上に手を翳した。心臓が、燃えるように熱い。


あの微笑みのためなら、何度死んでしまったっていい。








それは、なんてことがないようでいて、この上なく大切な1日。



主/ソラウ/ランサー/には、ただの気紛れなのかもしれない。


けれど、どうしようもなく、どうしようもなくそれを、



幸福だと感じてしまうのだ。








:汝の敵を愛せよ