「久しぶりだね、蓮二。1月と13日と5時間28分43秒ぶりだ」
「ああ、そうだな。貞治」
久しぶりに会ったかつてのダブルスパートナーは相変わらずだった。
俺は息抜きにと以前より約束していた貞治との食事に来ていた。
…今まで彼女、名前と一緒にいた寂しさを埋めようとするかのように仕事へと励んでいた俺に連絡をくれたのだ。
その裏に精市の思惑が隠れているような気もしないではないが、久しぶりに貞治と会えることには感謝していた。
同じデータを扱う人間である貞治ならば俺の悩みを客観的に捉え、尚且つ然るべき対応について提示してくれるだろう。
さる有名な懐石料理の店で俺達二人は日本酒片手に最近のことを話し始めた。
仕事の具合、中学時代の仲間達とのこと…そこでふと、貞治は俺に聞いてきた。
「そういえば蓮二。小耳に挟んだだけだけど、彼女が出来たんだよね?」
「何処でそれを…いや、精市か」
「情報源は秘密だよ。…その様子だと何かあったみたいだけど、何があったのか聞いても?」
「…構わない」
貞治が聞いた情報を悪用しないのは俺が一番理解している。
だからこそ俺は例え精市達に話せないことでも貞治になら、と話してしまうことがある。
俺は名前と付き合う経緯、そしてつい先日別れた…いや、この表現は正しくない。
擬似恋愛の終了についてまで詳しく話した。
貞治は頷きながら黙って俺の話を最後まで聞いていた。
聞き終わると、ノートにまとめあげて俺のことを見遣った。
「蓮二、一つ聞きたいことがある」
ノートを広げたまま貞治は奥の見えない眼鏡越しに俺のことを真剣に見つめた。
「君はその苗字さんのことが好きなんじゃないのか?」
「それは……」
どうなんだろうか、俺は人に恋をしたことがないのだから。
恋をしたとき、その相手がいると動悸が激しくなり、相手と一緒にいると嬉しかったり、他の誰かと話しているとき嫉妬したりする。
そういった知識はあるものの、体験したことがない以上俺はこの感情に名前を付けることは出来ないのだ。
「…蓮二、俺から言えるのはこれだけだよ。恋は理屈じゃない」
その言葉に、俺は頭を金鎚で叩かれた気がした。
「…貞治、すまないな」
「構わないよ、蓮二。別に今すぐに気持ちに整理を付けろとは言わない。一度しっかり顔を合わすことから始めた方がいい、……とある情報筋によると蓮二の担当の苗字さんは───」










……柳さんと顔を合わせることがなく一週間が過ぎた。
この一週間、誤字脱字のチェックに製本所への依頼とてんてこ舞いだった。
漸く一段落着いて私は幸村編集長と珈琲を飲んでいた。
「お疲れ様、苗字。これでとうとう移動願いが出せるようになった訳だけど……どうする?」
「……移動願い、提出しますよ」
「ふうん。…まあ提出の前に一回蓮二のところに顔出して報告してきてよ」
手をヒラヒラと振りながら軽い調子で言う幸村編集長に私は頭が痛くなるような気がした。
「幸村編集長、」
「ほら、早く行けよ」
………!
今見えちゃならない黒い何かが見えた気が……。
「い、行ってきます!」
「お土産話よろしくねー」
慌てて編集部を飛び出した私の後ろからそんなのんびりとした声が掛かった。
……そんなものない!










一週間ぶりに来た柳さんの仕事場は相変わらず物が少なかった。
意を決してインターホンを押すと中から響いてくる足音。
それは段々と近付いて来て、目の前のドアが開いた。
「苗字さん、でしたか」
一瞬驚いたように開眼した柳さんはドアを大きく開けて中に入るよう促した。
「……どうぞ」
中に入ると慣れた手つきでお茶を入れて出してくれる。
それにお礼を言い、私はいつも座っているソファに座った。
「今日はどういった用でしょうか」
読めない表情をした柳さんはそう切り出した。
私はどう言ったものか悩んだけれどすぐに口を開いた。
「……この度、柳さんの担当から外れることになりました」
「そうですか」
特別何か表情を変える訳でもなく柳さんは相槌を打った。
……柳さんは私と共にいようがいまいが構わないのだろう、それがよく窺えた。
「それでは、私は失礼しま──」
「名前」
一瞬息が詰まった。
柳さんは今、何て言った?
「少々いいか?」
擬似恋愛をしていたときのような口調で、柳さんは私に尋ねた。
「………どうぞ」
「まず最初に。謝罪をさせてくれ」
柳さんは立ち上がり、私の目の前まで歩いて来た。
「すまなかった。…擬似恋愛と銘打って名前と付き合っていたこと」
私の怪訝そうな顔つきに柳さんは付け加えた。
「恋愛経験がなかったことは本当だ。だが、名前の気持ちを傷付けるような結果になってしまった。最後の最後でキスをしてしまった」
柳さんは何を、言おうとしているのだろう。
「…それ故に、このタイミングで担当を外れるのだろう?」
本当に申し訳なさそうに言う柳さんに私は何て言えばいいのか分からなかった。
違う、私が勝手に自惚れて、好きになって、勝手に一緒にいるのが辛くなってしまっただけなのに。
柳さんが悪い訳ではない、その一言が言葉にならない。
「擬似恋愛をしようと言い始めた時点で恐らく俺は……いや、今の俺にはこのことを言う資格すらないのかもしれないな。だが言わせてくれ。…俺はお前が、苗字名前が好きだ」
真っ直ぐに私を見ながら、柳さんはそう言った。
「だからこそ理屈を付けて擬似恋愛でも何でもいいから、縛り付けてしまった。名前には名前の好きな人が、もしくは付き合っている人がいたのかもしれないのにな」
柳さんの言葉が信じられなかった。
苦笑混じりに柳さんは私の頭を優しく撫でてくれた。
その手は微かに震えていた。
「返事はいらない。……時間を取らせてしまったな、精市には俺から連絡を入れておこう」
柳さんの手が離れていく。
そのまま、奥の部屋へと入ってしまいそうな柳さんを。
「……名前?」
必死になって抱き着いて留めた。
「ちが…っ違う、から。私は彼氏とかいない、です。れ…蓮二さん」
何とか言葉を紡ごうと焦り、私は口を動かす。
今言わないと、次はない。
今日此処から離れたらこの場所に来ることは出来ない。
何の関係もなくなったらもう話すことだってなくなるかもしれない。
好きだって言ってくれた、なら私もその誠意に答えなくちゃいけない。
「私だって蓮二さんが好きなんです…!」
「……!そうか、ありがとう」
私の言葉に、柳さん…蓮二さんは微笑んだ。
「改めて、言わせてくれ。…名前が好きだ、もう一度付き合ってくれないか?」
「……っはい。喜んで!」
蓮二さんが私に向き合い告げてくれた言葉に、涙が出そうになりながら頷いた。
私は、蓮二さんと本当の恋人になった。
やっとスタート地点に立てたんだ。
嬉しさと恥ずかしさを隠すように私は蓮二さんに抱き着いた。

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