「最近楽しそうだね苗字」
「あ、分かります?幸村編集長」
「まあね。可愛い部下のことくらい把握してなくちゃね、……本当に応援してるよ」
「……はい?」
私は蓮二さんと過ごすのが楽しくて忘れていた。
この恋愛は蓮二さんが恋愛小説を書き上げるまでの擬似恋愛に過ぎないことを。
蓮二さんと付き合い始めて八ヶ月。
とうとうその日はやってきた。










「小説が書き上がった」
その一言が蓮二さんから出て来た。
蓮二さんの仕事場に入り、いつものように仕事の打ち合わせをしようとしたときに蓮二さんはそう言った。
私はその言葉に漸く思い出したのだ。
これで、恋人ごっこは終わりだと。
今思えば恋人らしくはない恋人だった。
キスもしないし、抱きしめあったりもしない、…お互いを求めない。
プラトニックな関係をずっと続けてきた。
ああ、何で忘れていたのだろう。
「それじゃあ、原稿をいただきます」
…私の声は震えていなかっただろうか。
それが気掛かりだった。
「……ああ、」
蓮二さんは酷くゆっくりとした動作で原稿の入った封筒を差し出した。
私は受け取ると、中身を確認した。
紙をめくっていく音だけが仕事場に響く。
再び原稿を封筒に戻して私は頷いた。
「特に問題はないようなので、このまま持って行きます」
「ああ、頼んだ」
蓮二さんはそう言うと私の名前を呼んだ。
「…何でしょうか」
「今日で、擬似恋愛は終わりだ」
蓮二さんの声に私はそれが本当に現実なのだとやっと認識出来た。
「そうですね、柳さん」
俯きながら私は返事をした。
擬似恋愛を始める前と同じように。
「名前」
ぐい、と腕を引っ張られる感覚。
気が付けば柳さんは私の目の前に来ていたらしい。
そのまま柳さんは私を腕の中に収めて唇にキスをした。
「……!」
常ならば閉じている程細められている目を開け、鋭さを持った目が私を見据えている。
そして半ば放心状態の私から離れ、柳さんは謝った。
「…すまない、こんな我が儘に付き合わせてしまって」
目を合わせないまま柳さんは私の横を擦り抜けて奥にある部屋に入って行った。
ぱたん。
ドアの閉まる音に私は漸く、動くことが出来るようになった。
そして、本当に擬似恋愛は終わってしまったのだと分かってしまったのだった。










「失礼します」
「あれ、今日は早かったんだね苗字。……苗字?」
幸村編集長の不思議そうな声を聞きながら、私は俯いたままで原稿の入った封筒を差し出した。
「柳さんの原稿が出来ました」
「……そっか。お疲れ様、今日はもう休んでもいいよ」
何も聞かない幸村編集長は全部分かってるよとでも言いたげに笑った。
幸村編集長の優しさに感謝して私は鞄を手に帰路に着こうとした。
「…幸村編集長、」
「ん?何かな」
「担当を変えることって出来ますか?」
「……出来るよ」
「なら、」
「まだ駄目だよ。この原稿の誤字脱字をチェックしてからじゃないと、ね」
そう言って微笑む幸村編集長に私は分かりました、とだけ告げて歩き始めた。
だから気付かなかった。
瞳に心配の色を滲ませた幸村編集長に。
「…蓮二って、器用なのにこういうのは不器用なんだから」










私は落ち込みながら自分の布団の上に倒れ込んだ。
「はあ……」
ああ、もう本当に。
私は…きっと蓮二さんが好きなんだろう。
だからこんなに辛い、分かっていた擬似恋愛の終わりからも目を背けていた。
こんなに辛いのなら最初から引き受けなきゃよかったのかもしれない。
そうすれば好きになることもせずにただの作家とその担当のままでいられたのに。
後悔しながらも、私は擬似恋愛でも柳さんを好きになれてよかったとさえ思ってしまうのだ。
だから歯痒かった。
せめてこの気持ちに気付いてしまう前だったらよかったのに。
そうすれば風化していく感情に成り果てていたのだろうから。
再び私は溜息を吐いた。
早く忘れてしまえれば楽なのに。
それが出来ないから、私は辛かった。


───
第四話。
擬似恋愛終了編。
柳のキスやり逃げ編とも言います。
擬似恋愛だからと事に及ばない硬派な柳さん。
キスすらしない辺り徹底してました。
次でラスト?
今回は短かったからラストは長ければいい。
そして次回乾が出演!?すればいいです。

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