「れ、恋愛小説ですか?」
「うん、そう。人気のある作家だからね、彼。要望も多い訳、彼の恋愛小説を読みたいってね」
「でも編集長…今まで書いてきたジャンルには恋愛要素なんて全く」
「あれ、言い方が悪かったかな?俺が、読みたいんだよ」
うふふ、とお花を飛ばすような微笑み(私からしてみたら魔の微笑み)を浮かべた幸村編集長に敵う訳がなく、私は慌てて編集部を飛び出したのだった。
…その際「OKが貰えるまで戻らなくていいから」なんて聞こえてない。
断じて聞こえてない。
幸村編集長は凄腕の編集長である。
記事の纏め方もそうだけどそのカリスマ性、絶対に〆切りまでに原稿を書かせるテクニック…何を取っても一流中の一流だ。
そんな人の元で働けると浮かれていたけど数日で編集長は仕事の鬼だということが発覚した。
女だろうと容赦がないのだ。
とにかく私が担当する作家さんは〆切りを忠実に守ってくれるから私は被害を受けないのだけれど…同じ編集部に勤める桑原さんは余りにも不憫だった。
何でもスイーツのコラムを書いている桑原さんが担当しているルポライターの方は自由人らしい。
〆切りに間に合わないこともしばしばあり、幸村編集長の微笑みの餌食になっている。
配属されたことに誇りは持ってるけど流石にあの微笑みを向けられるのはちょっと…なんて思っている私からしたら担当の作家…柳さんはベストパートナーと言えるのだろう。










アポを取って私が仕事場にお邪魔すると着流し姿の柳さんが出迎えてくれた。
相変わらず大人の魅力に溢れている方だ。
「時間調度ですね苗字さん。今お茶を用意していたところなのでどうぞ」
「ありがとうございます、柳さん」
来客用らしい湯呑みに緑茶を注いで私の前に置いてくれた柳さんは自分の分の湯呑みも手元に置いた。
「それで今日はどんな用件でしょうか。先日お渡しした原稿に何か不備でも」
「あ、いえっそういう訳じゃなくて…むしろ不備なんて一つもありませんでしたから!」
「そうですか。…でしたら次の作品についての打ち合わせですか?」
「ええ…そうです」
「それでしたら既に構想は練り始めています。今、資料を…」
「あ、いや…次の作品なんですけど」
「何ですか?」
「次は恋愛物で行け、と編集長が……」
「……恋愛物は無理です」
「お願いしますっこれ了承が貰えないと幸村編集長に怒られます…!」
「…精市だったのか。だとしたら…」
「え、編集長とお知り合いなんですか?」
「学生時代からの友人です。…知っていて隠していたみたいですが」
何だか複雑そうな顔をしながら柳さんは溜息を吐いた。
何かしら思うところがあるらしい。
「……やはり恋愛物は書けません」
「そこを何とか…!」
「何とか、と言われても書けないんです」
今日の柳さんはいつになく強情だった。
恋愛小説を書けない理由が何かあるのだろうか。
「…聞かせてください。どうして駄目なんですか?」
「恥ずかしい話ですが…今まで一度も恋愛をしたことがないんです」
「……え?」
こんなに落ち着いていて経験豊富そうな柳さんが恋愛未経験…?
だって女の子が放っておかない容姿をしている柳さんなのに?
「告白とかはなかったんですか?」
「中学、高校、大学と多々ありました。…顔を知らない人と付き合う趣味もなかったので断りましたが」
「…………」
要するに柳さんが言いたいことはこうだ。
自分は恋愛というものをしたことがない。恋愛というものを理解していないのに恋愛小説なんて書けない。
…つまるところ、柳さんが恋愛について分からないから書けないってことだ。
けれどそんな言い訳が幸村編集長に通じる筈がない。
そもそも柳さんが恋愛をしたことがないのは百も承知だろうし。
幸村編集長のことだから絶対書かせるまでは来るなとまで言われてしまいそうだ。
それにしてもどうして恋愛小説を……。
「………どうにかなりませんか?」
「精市が一度言い出したことを覆す訳がありません。…だとしたら一つしかないです」
「え、どうするんですか!?」
「苗字さん、俺と付き合ってください」
…………。
「え、ええええ!?」
柳さんどうしたんですか!?
なんて言えずに口をパクパクと開閉していると柳さんが口を開いた。
「いいですか、書かなければならないなら経験しなくてはなりません。…俺はその辺にいる女性と付き合う趣味もない、その点苗字さんとは仕事柄親しい訳ですし事情も知っています。ですから調度良いかと思いまして」
「…え、ちょ、えええ?」
何がどうなってそういう思考回路に…。
「期間は小説が書き上がるまで。その間…擬似恋愛を体験する為に恋人をしていただけませんか」
「え、あ…はい」
咄嗟に頷いてしまった。
よく考えてみればこれ、小説書いてもらえるみたいだしチャンスだよね?
幸村編集長に怒られないで済むし。
何か幸村編集長の手の平で踊らされているような気もしないでもないけど。
…いや、でも私も正直に言うと柳さんが書いた恋愛小説が読みたい。
柳さんの書く小説のファンなのだから。
柳さんが書く恋愛小説が読めるなら大歓迎ではないか。
こうして、柳さんと私の擬似恋愛が始まった。


───
やっちまったぜ十万打達成企画の中編スタート。
作家柳さんと編集者ヒロインのお話です。
柳さんとヒロインは仕事上のパートナーなだけなのでお互い敬語。
幸村部長は編集長。
ジャッカルはヒロインの同僚、名前は出てないけどブン太はジャッカルが担当してるルポライターです。
全五話の予定で頑張ります。

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