その日わたしがマネージャーを務める大学のサッカー部の飲み会で、試合に勝ったお祝いでみんなハメを外して飲んでいた。二十歳になったばかりでまだお酒のペースがよくわからなかったからなのか、それとも前日に幼馴染の冴くんに熱愛報道が出たのを見て、ひょっとしたらわたしがもう何年も思いを寄せるもう一人の幼馴染にもそういう人がもうすぐできるかも(それどころかもういるかも)とショックを受けてたからなのか、どうやら酒量を間違えてしまったらしい。

「この辺にしとけって」
「え」

近くに座っていた二つ上の先輩にグラスを奪われてようやくわたしは自分が飲みすぎていたことに気がついた。先輩の尊敬する選手が糸師冴と聞いて以降、勝手に「この人とは仲良くなれそう!」と思っていたからなんとなく情けないところを見られたくなくて、「大丈夫です!」となんでもないふりをして、そしてコップ一杯の水を飲み干した。

それからすぐに二次会の話が出たけど、さすがに参加は無理そうだからマネージャーの友人に「わたし今日は帰るね」と告げて、ひと足先に居酒屋を抜け出す。

夜風が熱った体に気持ちよくて、ふわふわした気持ちで帰途につく。真っ暗な闇にライトの灯りが煌々と輝く中、酔っ払った頭で考えるのはもちろんわたしの好きな人、糸師凛のこと。三日前に出た彼の兄の熱愛報道はわたしに相当な衝撃を与えたけど、絶対に凛の方がショックを受けてるに違いない。だってブラコンだし。わたしが冴くんと話してると「俺の兄ちゃん取るな」って顔で見てくるし。その度にわたしが好きなのはあなたなんですけどねって言えもしない言葉が頭の中を駆け巡ってたっけ。

ほんと、いつまで片想いしてるんだろ。この記憶はもう8年も前の話なんですけど。我ながらしつこくて嫌になる。それでため息が溢れると後ろからわたしの名が呼ばれたのが聞こえた。

「あれ、先輩?二次会は?」
「送るわ」
「え!?だいじょーぶですよ!気にせず二次会行ってください」
「お前のどこ見て大丈夫って言えるかわかんねぇんだけど」
「そんなことないですよー」
「もういい、酔っ払いは黙って送られとけ」

まあはっきり言ってその記憶は頭の片隅に残ってるか残ってないかの瀬戸際だから、かなり酔っ払ってたんだと思う。だからその後どんな流れでプライベートの話になったのか覚えてないし、その流れで先輩に「お前好きなやついんの?」と聞かれて、「いますよ。でも絶対叶わないのでいないのと変わらないかもしれません」なんて、ずっと思ってても言わなかったことを言ってたのも割と自分で驚いた。

「なんだそれ」
「ほんと片思いして何年?って感じなんですよ。だからもう諦めた方がいいかなっていっつも思ってます」
「ふぅん。お前隙がねぇから好きな男いるんだとは思ってたけど、結構拗らせてんだな」
「ははっ拗らせてる自覚はあります。先輩はどうなんですか?モテてるのに女の子の誘い断ってるって聞いてますよ。彼女さんとかいるんですか?」
「や、彼女はいねぇけど、」
「え、まさか片思い中とかですか?」
「…そんなとこ」
「先輩でも片思いなんてするんですね。お互いがんばりましょうね」

まあわたしの好きな人は今フランスに住んでいて、前に会ったのは半年前。連絡は取るけどそんな色っぽい話は全くないし、そもそも凛はわたしのこと恋愛対象として見たことないだろうから、断られて連絡すら取れなくなると思うと怖くて告白なんてとてもできないんだけど。

だからがんばりましょうねなんて、自分で言っててどの口?って泣きたくなる。こんな時までリアリストな自分が嫌になる。お酒に酔った時くらい幸せな未来を描かせてほしい。

「あ、わたしの家もうすぐそこなので。ここで大丈夫です。ありがとうございました」

ちょうど住めば都の我がアパートが見えてきたからこれ以上センチメンタルな気分になる前に一人になろうとアパートを指差して先輩に別れを告げるけど、先輩は足を止めて何も言わない。

「?せんぱい?」
「……あのさ、俺頑張っていい?」
「え?」

そう言ってわたしを見つめる先輩の顔は真っ赤で、そして何かを言いたげ。

は、え、なに、これ。これじゃまるで先輩がわたしのこと…。

いやでもまさか。そう思うけど、先輩が緊張していることは十分すぎるくらい伝わってきて、それがわたしにも移って動悸が早くなっていく。

相手は仲良くなりたいと思ってた先輩だということ。あとは、二十年生きててこんなことは初めてだからもう二度とないかもしれないということ。それからわたしの好きな人はわたしを好きじゃないという事実。

それでもしこれがわたしの勘違いじゃないのなら、忘れるために別の人に目を向けてみてもいいのかもしれないなんて頭のどこかでそんな最低なことを考えていて。

それで罰が当たったのかもしれない。

「遅ぇ」
「………………え?」

聞き慣れた声が背後からして、まさかと思って振り返ってわたしは固まった。

「は?」

だっていつだってわたしの頭の中の99%を占めてる人が似合わない古ぼけたアパートの方から現れるとか。夢だと思うでしょ。でも、頬をつねってみたらめちゃくちゃ痛くて。

「え、り、凛!?なんでここに……」
「あ?お前が欲しいって叫んでたから買ってきてやったんだろうが」

ぬりぃこと言ってんな、と口癖を呟きながらわたしの目の前に差し出したのは前にお土産でもらったチョコレートと同じ紙袋。あまりに美味しくて、というのは半分建前で、凛が帰ってきた時の会う建前が欲しくて「また買ってきてー」とお願いしていたものだった。

覚えててくれたんだ、なんて普段だったら感動して後から冴くんに「聞いて!凛がね!」と電話するレベルのものなんだけど(こうやって冴くんにいつまでも相談してるから諦められないんだけど)、でもなんで今…?あれ、だって今シーズン中だよね?凛、よっぽどのことがないとシーズン中は帰ってこないのに…。タイミング悪すぎませんか、神様…。

凛は「で、誰だ」と先輩を見てわたしにそう問う。ちなみにその先輩はというと「は?え、もしかして糸師凛…?」となっている。そりゃそうだ。

「部活の先輩、です。送ってもらってました」
「ふぅん。どーも、世話になりました」
「え、あ」

凛は使い慣れない敬語を先輩に向けて言うとわたしの手を強く引いて、そしてそのままわたしの背を押すようにアパートへと向かう。

凛の登場からずっと固まってる先輩にお礼を言わなきゃ。そう思って振り返ったけど先輩はやっぱりまだ固まってて、とてもお礼を言える状況じゃない。それに身長190cmを支える長い足のせいか凛の歩くスピードが尋常じゃなくてあっという間にわたしのアパートの部屋の前。さっさとしろという視線に煽られてわたしは急いで鍵を開けた。

「なにやってんだ」
「は、え、飲み会で、飲みすぎちゃって…」
「あいつ、お前のこと持ち帰ろうとしてただろ。隙ありすぎんだよ」
「もっもちかえる!?ち、違うし。それに隙ないし」

なんだかいつものわたしたちらしくないけど部屋に入って適当に荷物を置いて、それで凛からもらったチョコレートを開けて二人で食べたらきっといつも通りになる。そう思ったのに、凛はなぜかしかめっつらでわたしを問い詰める。幼馴染として心配してくれてるのはわかるし嬉しいけど。でも今はわたしのことが好きじゃないなら心配しないでほしい。

「じゃあさっきのはなんだ」
「それは…」

隙はなかった。でも一瞬別にいいかなって思っちゃった。

それが答えなんだけど、そんなこと凛に言えるはずもなくて黙れば凛はさらに眉間の皺を深くした。なんで凛が怒るの。わたしのこと幼馴染としか見てないんだったら放っておいてよ。流石に口にはしないけど、酔って短絡的になってるから態度は十分に出てしまっていた。それが凛の逆鱗に触れたのかなんなのか。

「んっ!?」

原因はわからないけど、凛は隣に座るわたしを引き寄せて、そしてまるで噛みつくようにキスをした。

最初は何が起こってるかわからなくて、でも少ししてわたしの薄く開いた唇にぬるりとしたものが入ってくるとようやく「え、もしかしてわたし、凛とキスしてる…?」って理解した。

頭ではわかってても体は条件反射で凛の胸を押し返す。というかまるでわたしをくらい尽くすみたいな激しいそれに苦しくてそうせざるを得なかった。でも凛にとってそんな抵抗はあってないようなものみたいで、そのまますぐ後ろにあったベッドにわたしを押し倒した。

「っり、りん…?」
「……」

信じられないことが起こってる。もう何度諦めようと思ったかわからない幼馴染がわたしにキスをして、で、わたしを押し倒してる…?わたしひょっとして酔いすぎて都合のいい夢見てるのかも。あれだ、起きたら夢オチで泣くやつ。

口付けが深くなると頭はもっとぼうっとしていって、するとわたしの口は勝手に開いて自分から凛の舌に自分のそれをからめてて、気がついたら凛を押し返す手は彼の服の裾をぎゅっと握っていた。

そんなわたしに凛はゆっくりとわたしから唇を離す。

「おい」
「な、なに……」
「抵抗しねぇとホントにするぞ」

ベッドの上にはわたしを押し倒す幼馴染とそれを見上げるわたし。彼の兄とよく似た緑色の瞳にバカみたいに紅潮した自分の姿が映って恥ずかしすぎて死にたい。

でもだからって抵抗なんてできるわけがない。だってこっちはもう何年好きなのか思い出せないくらいずっとずっと好きだったんだもん。

この人はずっと、ずうっと、サッカーと大好きな兄ちゃんのことしか見てなかったから、わたしを見てくれる日が来るだなんて夢でしかありえないと思ってた。だから彼の瞳を自分一人が独占できるなんてもうそれだけで泣きそう。なんて、本当に泣いたら引かれるからぎゅっと唇をかみしめて、そして無言で小さく頷いた。それがその時わたしにできる精一杯だった。すると凛は端正な顔をわたしにゆっくりと近づけてくる。

あ、またキスされる…。

心臓がドッドッてまるで大きな太鼓を叩かれているくらいに鳴る。絶対凛に聞こえてる、恥ずかしいと目をギュッてつぶって、すぐに来るはずのやわらかい唇の感触を待った。

けれどそれはいつまでも来ることはなくて、わたしが頭に疑問符を浮かべながらゆっくり目を開くと幼馴染はひどく不機嫌そうな顔をしてわたしを見下ろしていた。そしてまるで吐き捨てるように「バカが」と小さく呟やいて、わたしに噛み付くように口付けをする。それはあまりに一瞬のことだったし、初めての好きな人とのキスに舞い上がってたし、なによりものすごく酔っ払っていたから、わたしの都合のいい頭はそれを「聞き間違いだよね」の一言で片付けてしまった。それにその後すぐ凛の指と唇、舌、それに視線が脳を正常に働かせるのを阻止して頭をとろけさせたせいでもある。

それから凛は事あるごとにわたしに「気持ちいい」だとか「好き」だとか、そんなことを言わせながらわたしを抱いていく。

凛ってこんなにも情熱的に女を抱くんだ。
凛の肌ってこんなにもあついんだ。
それに、上気した顔、色っぽすぎる。

今まで知ることができなかった凛の一面を知ってしまえば、もうあとは快楽に身を任せるだけ。凛への片想いを拗らせていたせいではじめてだったからもちろん痛かったけど、そんなの一瞬で、むしろその痛みをもたらしたのが凛だと思えば嬉しすぎてそれも快感に変わるって、もうどういうことなの。

だからその頃にはわたしは凛に言われたことなんて頭の片隅にも残ってなくて、勝手に世界で一番幸せな女になってた。

でも目が覚めてみればそれは残念ながらまやかしで。寝ぼけ眼で見たベッドに座る凛は明後日の方を見ていて、そしてその瞳は何かにイラついている。それですっかり目がさめたわたしはようやく「あれ…?」って思って、それからぼそりと「最悪」と呟くその低い声で、ああ、彼にとってはこの出来事はきっと無かったことにしたいくらい最悪なことなんだろうなって分かってしまって。夢オチじゃないのに泣くなんて、思いもしなかった。


こうしてわたしの10年余りの長すぎる恋は終わりを迎えた。




◇◇◇



わたしと凛の出会いは生後間もない頃にさかのぼる。家がお隣で母親同士が仲が良かったからまだはいはいもできない時から隣で寝かされていたらしい。

もちろんその頃の記憶なんてあるわけもないのでわたしにとったら気がついたらずっとそばにいたきょうだいみたいなもの。凛のついでにわたしの面倒も見てくれる冴くんはお兄ちゃんで凛はわたしの弟だって思ってた。(凛は違ぇって言ってたけど)

でも凛はわたしのきょうだいじゃなかった。もちろん冴くんもそうだけど、わたしにとっての冴くんはやっぱりお兄ちゃんで、でも凛は違う。明確にそれがわかったのは凛がサッカーを始めてしばらく経った頃のことだった。

わたしが物心つく頃には冴くんはもうサッカーを始めていて、早々にその才能を開花させると、瞬く間に日本が注目する天才サッカー少年と呼ばれるようになった。そしてしばらくすると冴くんのサッカーに魅せられた凛も同じチームに入ってサッカーを始めて、凛も冴くんに導かれるように才能の片鱗を見せ始めた。

するとその実力と見た目の良さから当然のように凛も冴くんと同じようにモテ始めて、気がつけば糸師兄弟は小学校内で知らぬ人のいない人気者になった。

でも冴くんは相手が誰であれ興味がなければまるで相手にしない。だから凛がサッカーを始めるまではずっと冴くん冴くん言っていた子たちのうちの何人かはつっけんどんな冴くんから凛に鞍替えしていった。もちろん凛も冴くんの真似をして女の子たちをべーっと舌をだして追い返そうとしてたけど、どうしても冴くんに比べて弟気質が強くて口調も柔らかい凛は女の子たちからするとかわいいーってなるらしく、本人の意思に反して試合で凛が点を決めるたびに上がる黄色い声援はどんどん大きくなっていった。

わたしはなんでかそれがとっっっても面白くなかった。

そして凛の人気に比例するようにわたしのもやもやも大きくなっていって、気がついたら凛たちの試合に足を運ぶのが億劫になっていった。

いつも応援に行って、点を決めるたびに本人以上に喜んでたわたしがまさか試合を見にいかなくなる日が来るなんて思いもしなかったのか、凛に「なんで最近来ねえんだよ」ってちょっと拗ねたように言われたけど、でも凛が点を決めても前みたいに喜べないわたしが試合に行くのは…と「最近忙しくて」って嘘をついた。すると凛に嘘をついちゃった罪悪感からもっと試合会場から足が遠のいていって、ああどうしようって。

これじゃもう二度と二人の試合を見に行けないかも…。

それでまた落ち込んで部屋に閉じこもっていたら冴くんが天岩戸を何の遠慮もなく開けた。

「おい」
「さ、冴くん!?え、何、どうしたの」
「なんで最近試合見に来ねぇんだ」
「それは、その………忙しくて」
「今まさに暇ですって顔して菓子ぼりぼり食ってるやつが何言ってんだ」
「………ち、違うもん。今休憩中だもん!」
「んな屁理屈はどうでもいい。さっさと来い」
「え、どこに?」
「試合」
「や、む、無理」
「無理じゃねぇ。最近お前がいねぇから女を追い返す理由がなくてめんどくさい」

引きこもってる幼馴染を心配してきてくれたのかと思えばなんとも冴くんらしい理由。確かに冴くんはいつも試合が終わると女の子たちを無視してわたしを呼んで、そして凛を連れてさっさと帰っていたけど、あれってそういうことだったの。

「だからわたし冴くんや凛のファンに必要以上に睨まれてたんだ!」
「それくらい我慢しろ。凛の虫除けにもなってたしお前としちゃ願ったり叶ったりだろ。なのに最近お前がいないせいでギャラリーはうるせぇし、終わった後も囲まれる。凛が他の女に応援されてるのおもしろくねぇからって見に来てなかったら逆効果だぞ」
「え、ええ!?いや、その、」

まさかそれを言い当てられるなんて思いもしなくて心臓がどくんとした。まだ自分でも自覚していないその感情を言葉にするなんてできるはずもないし、ましてそれに対してどう返事をしたらいいかわからないわたしは、「それは、その」を繰り返しすことしかできない。

「それに凛もお前がいないと調子が悪い」
「え」

凛がわたしがいないと調子でないなんて聞いたことがない。だから冴くんが女の子を追い返すのにわたしを使ってるから、なんとかしてわたしを練習場に連れて行こうとしてる。絶対そう!

そう思ってたのに、

「こんなとこで悶々としてるくらいならさっさと告白でもなんでもしろ」
「こ、こ、ここ告白……!?え、な、なんで」
「凛が好きで他の女にとられたくないなら告白して付き合うしかねぇだろうが」

………え?

冴くんにそう言われてわたしの思考はストップした。

わたしが、凛のこと、好き…?まさか。

わたしがひたすらに「え」を繰り返していると、冴くんは「ハァ」と大きなため息をつく。

「クソ鈍感しかいねぇのか。お前、最近凛のことしか見てなかったくせに」
「……」

言われてみれば、冴くんはずっと前からモテてるのに、それを見ても別にイライラなんてしなかったし、試合も普通に見に行けてた。でも凛が女の子に囲まれ始めた途端、囲んでる女の子たちにも、囲まれてる凛にもなんかイライラして、とても見ていられなくなって。

なんで別の女の子に話かれられてるの、とか、凛に話しかけないでよ、とか。そんなの幼馴染の独占欲を超えてる。それってつまり。

「わたし、凛のこと好き、なのかな」

それを吐き出すと胸にストンと落ちて、ああ、わたし、凛のこと好きだなんだって。そうすると嫌でも心臓がドキドキしてきて、一気に体が熱くなる。

どうしよう、凛のことが好きなんだ。

でもわかったとして、わたしが凛の試合を見に行けるかと言えばそれは別の話で。逆にわかっちゃうとなんか恥ずかしくていそいそとベッドに潜り込んで隠れようとしたら、冴くんはその布団を引っ剥がされた。

「わかったならさっさと行くぞ」
「え」
「凛は先行ってる」
「いやいや」
「まだ時間あるからその前にさっさと言ってこい」
「無理無理無理無理無理!!!」


人生始まって10年。凛が好きだと自覚して3分。わたしの恋愛経験値はもちろんゼロ。それで凛にどうやって告白しろと?そういうのはせめて中学生になってからですね、ゴニョゴニョ…。

「うるせぇごちゃごちゃ言うな」
「心の中読まないで!」

結局冴くんに会場まで連行されたけど、もちろん告白なんてできるはずもなく、わたしは冴くんの後ろから動けない。凛はお待ちかねの兄ちゃんがやってきてこちらに駆け寄ってきたけど、いつも試合に行けば「凛、頑張ってね!」と声をかけるわたしがそんなんだから、眉間にぎゅっと皺を寄せた。

「なんで兄ちゃんの後ろにずっといんだよ」

ああ、大好きな兄ちゃんを取られて怒ってる。わかってるから冴くんを離したいけど、でも好きだって気がついちゃったら今までどうやって話してたかも思い出せない。凛ってこんなにもかっこよかったっけ?長いまつ毛が可愛すぎるし、黒髪ツヤツヤだし、それからそれから…。

やっぱり無理!と凛の言葉を無視して冴くんの背中にぴったりとくっついていたら、冴くんにぺいっと剥がされて、頭を冴くんの手のひらでぐっと掴まれる。

「痛い痛いっ」
「言ってたことと違ぇ」
「だっ、だって、む゛り゛だよ

それでわたしが泣きながら冴くんの胸に顔を埋めると、冴くんはまたハァーーーって大きなため息をつきながら諦めたようにわたしの頭をなでた。

「おい、兄ちゃんから離れろ」
「今無理ーーーーっ!」

その後何故かわたしと凛で冴くんを取り合うことになって、間に挟まれた冴くんは盛大に舌打ちをした後「勝手にやってろ」とわたしたちを置いてさっさとアップしに行ってしまった。

残されたわたしたちはしばらく黙って見つめ合って、気まずくて視線を外して、それで凛は「俺もアップしてくる」と大好きな兄ちゃんを追いかける。ギリギリで言った「が、がんばって、ね」は凛に聞こえたかどうかはわからない。

ちなみにその後わたしは冴くんのファンから穴が開くほど睨まれて、「そうじゃないのに」ってまた泣きたくなった。



それからのわたしはとにかく今まで通り話すことに必死で告白なんてとてもじゃない。でも一丁前に凛に近づく女の子には嫉妬して、もやもやして、冴くんに泣きついて、そしてそれを凛にひっぺがされる。

さすがに一年も経てばそれもだいぶ落ちついて、前と同じとまではいかないけど、少なくとも表面上は前みたいに戻った。

でも冴くんがスペインの強いチームにスカウトされて、渡西してしまうと、途端にまたわたしはどうしたらいいかわからなくなる。頑張ったところでこんな流れが関の山。

「あ、と、凛、今から帰るとこ?」
「ああ」
「わたしも。一緒に帰ろ」
「ん」


「「…」」


誘ったくせに話題の一つもないのか、わたしは。捻り出して!

でも頭の中は「凛かっこいーーーー!!」しかない。いつも助けてくれた冴くんの顔を頭の中で思い返してみたけど、やっぱり話題は生まれてこない。でも無言はいや!と話しかければ

「「あのさ」」

と言葉が被る。なんであと3秒話しかけるのを待たなかったわたし。そうしたら凛が話しかけてくれたのに…。

「ごめん、何だった?」
「たいしたことじゃねぇからお前からでいい」

マジでなんであと3秒話しかけるのを待たなかったわたし…。その凛のたいしたことない話よりもたいしたことない話しかないんですが。むしろ話題ください!

「えー、あーっと、凛はポケモンやってるんだっけ?」
「は?ポケモン?」
「そうそう。わたし最近ずっとポケモンやってて。あのね、最初に選んだポケモンほのおタイプにしたんだけど、今回のはみずが強いらしくてさ。フォッコ可愛いんだけど、ケロマツも育てたいって思ってて。もし凛がポケモンやっててケロマツ持ってたらなーって」

我ながら苦しい話題選びだった。だって凛がポケモンやってないことくらいは知ってるし。それに最近はホラーに夢中なことも。でもわたしは最近ポケモンばっかりやってて、ホラーは少し苦手だから仕方ないじゃん!?

「ポケモンやったことねぇからわかんねぇ」
「だ、だよねー?でも面白いよ。凛もよかったらやってみて」
「今やってるゲームが終わって気が向いたらな」
「今何やってるの?」
「デッドスペース」
「なにそれ」
「ホラーゲーム」
「面白い?」
「まあ」

わたしがホラー好きだったら話題作りのために絶対やるのに。凛が好きだって言ってた海外のホラー映画を開始20分見ては断念しを繰り返しているわたしには荷が重い。

お互い知らない話を続けるわけにもいかないから、結局その話は早々に終わって、
「そういえば凛の用事はなんだったの?」
「忘れた」
「そっかぁ(泣)」
でわたしたちの間には静寂が訪れる。で、行き着くところはこの話題。

「あー、えっと、冴くん行ってから結構経ったよね。元気にしてる?」
「……多分」
「まだ連絡してないの?」
「まだ兄ちゃんに言えるほどのことできてねぇから」
「冴くんはそんなこと気にしないでしょ」
「そういう問題じゃねぇ」
「そっか」
「そういうお前は連絡取ってんだろ」
「あー、うん、まあ」

いや、嘘だ。本当はとってない。冴くんに「俺が次帰ってくるまでには告白しとけ」って言われてこのザマだから、とても冴くんに連絡なんてできないから。でも冴くんに懐いてたわたしが冴くんに連絡しないのはおかしいから凛には本当のことを言えなかったりする。

「でも冴くんあんまり自分のこと言わないからよくわかんなくて」
「兄ちゃんは俺にも言わねぇよ」
「確かに」

「「……」」

ああ、どうしよう。わたしの話題不足が深刻すぎてやばい。凛は口数の多い方じゃないからこんな無言なんて特に気にしてないんだろうけど、凛のことが好きなわたしはこんなにもこの無言を気まずく感じちゃう。

冴くんがいた頃はこんなことなかったのにな…。

それで結局わたしは我慢できずに、

「さえくーーーーんッ」
「……うるせぇ、今こっち何時だと思ってんだ」
「うう、ごめん。時差考えてなかった。何時だっけ」
「朝の7時」
「あ、塩こぶ茶の時間だ、ごめんね」
「で?なんだ」
「あのね、あのね!凛と何話したらいいかわかんなくって…」
「………ハァ」

ってその日冴くんに泣きついたのだった。



◇◇◇



わたしたちに転機が訪れたのはそれから少しして凛が「ポケモン始めた」って言い出した時。

「え!?ほんと!?」
「なんか兄ちゃんが最近やってるって母さんから聞いたし…」

相変わらず冴くんに連絡してないんだ…。でもそれはさておき冴くんは100%ポケモンをやるような人間じゃないからつまりこれは冴くんからのてだすけ!?優しい冴くん、さすがお兄ちゃん……!!その日に冴くんにお礼の連絡をしたら「俺は別になんもやってねぇ」って言ってたけど、そういうところが冴くんのいいところだと思う。

で、それからは

「最初どの子選んだ!?どこまでやった!?面白いでしょ!?」
「青いカエル。まだよくわかんねえ」
「ケロマツ!たまご産んだらちょうだい!」
「………たまご?」

って感じでわたしの勢いにライト勢の凛は引いてたけど、サッカーやホラーの合間に少しずつ進めてくれたし、よく「おい、あれはどうすんだ」なんて攻略本代わりにわたしに色々と聞いてくれたから前みたいに話題は困らなくなった。それに対戦しよ!って持ちかけて前みたいに凛の部屋に遊びに行けるようになったから、これで恋の一歩前進したなってわたしはほくほくしてた。



でもよく考えたらなんも前進してないんだよね。話すのも凛の部屋に遊びに行くのも別に幼馴染だからであって、前の状況に戻れただけ。わたしは凛の取り巻きの女の子に嫉妬するけど、その子たちに「凛くんのそばにいる子だれ」「幼馴染らしいよ」で終わらせられる存在。

それを悔しく思うけど、凛がわたしを幼馴染としてしか見てないのは明白。それに幼さが抜けて、どんどん背が伸びていく凛は本当に本当にかっこよくて、わたしはますます凛のことを男の人だと意識して、それでもっと好きになっていく。そうすると告白なんてして昔みたいに話せなくなるどころか関係が完全に壊れるかもしれないと思うと怖くて仲のいいただの幼馴染を演じてしまう。

結局冴くんが帰ってきたのは出発してから四年も経ったというのに、わたしは告白のこの字もできないまま冴くんが帰ってくる日を迎えてしまった。

「おかえり!冴くん!」
「……ああ」
「?」

けど冴くんはわたしを怒るどころかその話題には触れもしない。そして四年前と同じように「元気でな」の一言を残して帰っていってしまった。どう見たって元気がないのは冴くんなのに。

冴くんが帰ってきた時に凛と何かがあったのは間違いなかった。あの兄ちゃん大好きな凛が冴くんの見送りに行かないし、部屋から出てこなくなったし、あれだけ一番最後まで残って練習してた大事なサッカーをサボってる。それからしばらくすると冴くんを「アイツ」と呼ぶようになって、狂ったようにサッカーをして。

明らかにおかしい凛にわたしは何もできなくて、できたのは凛が好きだと言ってくれたお菓子を焼いて差し入れしたり、「帰れ」って言われても帰らずにそばにいることくらい。それだって嫌がられて痕が残るくらい強く肩を掴まれて怖い顔で睨まれたこともある。もちろん根が優しい凛はすぐに「悪い」って謝ってくれたけど…。

二人が決別した雪の夜から一年もたたないうちにわたしたちは高校生になって、凛はさらに身長も伸びて、ガタイも良くなって、前みたいに笑わない、周りに敵なしのストライカーになった。そうなると女の子たちはますます凛を追いかけて、でも凛は昔とは違う態度で「興味ねぇ」と冷めた目で女の子たちを追い返すし、冴くんの名前を聞いたら今まで見たことがない顔で睨んで、そしてその場を立ち去る。だから冴くんの話題はわたしでも凛にするのは躊躇うどころかできなくて、わたしって本当に何にもできないなって、苦しんでるのは凛なのに勝手に落ち込んでた。サッカーを知らないわたしが口を出せる問題じゃないにしろ、慰めの言葉の一つくらいあるだろって。



でも凛がブルーロックという日本フットボール協会が主催するプロジェクトに参加すると、その一環で冴くんと試合することになって状況は少しだけ変わった。バトルしたらみんな友達とは思わないけど、あの素直じゃない二人は言葉を交わすよりサッカーしようぜ!の方がいいらしい。

とはいえ残念ながらこの時に仲直りできたわけじゃない。わたしはよくわかってないけどどうやらその試合のMVPの潔世一さんが全て待っていったらしく、凛は潔殺す…って感じで帰ってきたし、なんかまたさらに冴くんへの気持ちを拗らせてたから、二人が和解をするのはもう少し先の話なんだけども。

とにかくここでわたしが言いたかったことは、凛が落ち込んだ時も、それからこの後凛が這い上がっていくのにもわたしは何の役にも立てなかったってこと。それからそのプロジェクトによって凛の人気はさらに上がったし、その流れで海外チームからのオファーを受けて、高校卒業を前にフランスへたつことになってしまったっていうこと。

凛ほどの実力ならいつかこうなることはわかってたし、わたしもずっとその日が来るのを楽しみにしてた。だけどいざ凛と離れ離れになる日が来ると寂しくてつらくて、わたしの目からはとめどなく涙が溢れる。拭っても拭っても止まらなくて、ついにひっくひっくとしゃくりをあげ始めると、わたしのスマホが光った。

『ささめと塩こぶ茶』

スマホに映った簡潔なその一言は冴くんからのもの。わたしが『凛に冴くん用のお土産持っていってもらおうと思うんだけど、何か欲しいものある?』と聞いたからこれはその返事。

その二つは定期的に冴くんたちのお母さんに送ってもらってるはずなのに、どれだけ好きなの?いつもだったらそう笑うところだけどでも今はそんな気持ちになれなくて、ついわたしはそのままスマホをタップしていた。

「ぐすっさ、さえく」
「またお前は泣いてんのか」
「り、凛がフランスにいっちゃう…」
「知ってる」
「さ゛み゛し゛い゛よ゛ーーー」
「俺がスペイン行った時みたいに「行かないで」って抱きついて、で、告白でもすれば寂しくねぇだろ」
「それは無理!絶対フラれるそしたら死ぬ……」
「人間そんな簡単に死なねぇ。あと勝手に結果を決めんな」
「でも」
「でももクソもねぇ。好きなのに勝手に相手の気持ちを決めつけて告白もせずにやめんのはただのマヌケだ」
「まぬけ……」
「何か理由つけてやめていいのはそれだけ努力した人間だけで、お前はその段階にもない」
「う」
「それにお前のために時間を割いたのが誰かわかってんのか」
「…糸師冴様?」
「それではい、やめましたは許さねえ。わかったか」
「はい」

それでわたしは出発の日の前夜、凛を呼び出したわけだけど。

「なんだ」
「いや、ついに凛も行っちゃうんだなって…」
「ああ」
「こんなふうに会えなくなると思うと寂しくなるね。でも凛の活躍楽しみにしてる!」

遠くを見たままで、わたしの言葉に頷いてくれない凛に少しだけ苦笑いをしてしまう。昔よりもさらに感情を言葉にも表情にも出さなくなった凛が今何を考えてるのか、幼馴染のくせにちっともわかんない。

やっぱり日本を離れるのは少し寂しいのかなとか、早くフランスに行って冴くんと簡単に会える距離に行きたいのかなとか、きっとそんなこと考えてるんだろうって勝手に想像していたんだけど、無表情の凛から出てきたのはまさかの

「またポケモン新しいの出んだろ」

だった。

……え?ポケモン???

「お前はどっちやんだ」
「え、と、多分ソード、かな」
「買ったら俺がどっち買えばいいか教えろ」
「……え?」
「どうせお前のことだから交換だのなんだの言うだろ」
「!!!うん!!!送る!!超送る!!交換もバトルもしたい!!しよ!!」

凛はテンションのぶち上がったわたしの大声に「うるせぇ」って言いながらわたしの頬を摘んだけど、でもいつも一文字を結んでる口角が上がってて、わたしはそれに「へへっ」と笑って、そして凛を見送ったのだった。


あ、告白するの忘れた。もちろん冴くんに怒られた。でも凛との繋がりは切れることはないんだってわかって怒られても笑ってたから冴くんにはまた怒られた。


だからこの時のわたしはまさかこんな日がくるなんて思いもしてなかった。




◇◇◇




「ん、凛…?お、おはよ」
「ああ」

今期の助演女優賞取れるなって思うくらいには寝起きの演技、完璧だったと思う。でもよかったのはそこまで。

「「…」」

ああ、気まずい。昔の沈黙よりもずっと気まずい。恋愛片矢印の幼馴染とのワンナイトってこんなにも気まずいの!?自慢じゃないけどもし冴くんとワンナイトしたらお互い「もしかして、やっちゃった!?」「忘れろ」で終わる気がするんだけどなぁ。

いや、こんな妄想したって言ったら怒られるな、やめよ。というか冴くんがわたしを抱くとか天地がひっくり返ってもない。…まあ凛も天地がひっくり返ってもないと思ってたんだけども。

とにかく凛はわたしのこと幼馴染としか思ってないんだから、普通にしなきゃ。それこそ冴くんに対する態度と同じように。

「なんかごめん!酔っ払って迷惑かけちゃった!」
「…お前」
「ほんと、ごめん。その、今後こんなことないようにするから忘れよ!」

だけど少しの沈黙の後凛から返ってきた答えは想像したものとは全く違っていた。

「誰が忘れるか」

凛はそれだけ言うとベッドの下に無造作に散らかった服をさっさと着て、そして出て行ってしまった。


で、残されたわたしはというと。

「………へ?」

当たり前のように呆けていた。全く意味がわからない。そんな返事が来るって誰が思う!?いや、誰も思わないよね。どういうことか助言を求めたいところだけどさすがに冴くんにこんなことは聞けない。

それでしばらく悶々としていたのだけど、翌日フランス帰るという凛はまたアポ無しでわたしの家にやってきて、そして。


「あ、りん、まって」
「ほら、さっさと舌出せ」
「んッ」


気がついたらこんなことになってる。2回目のワンナイトなんて言葉的におかしいから、もうワンナイトじゃすまされない。となるとわたしたちのこの関係はセフレだとか都合のいい関係っていうものになるのかな。

でもそういう言葉で済ますには凛はなんか妙に優しくて。

「いつもと違う匂いがする」
「え、あ、今日入浴剤いれたから、かな。ごめん、嫌いだった?」
「いや、悪くねぇ。つーかお前で嫌なことなんてなんもない」
「………」

なに、なに、なんなの。これじゃまるで…。

それでわたしが何とも言えない顔をしていたら今度はこんなこと言うのだ。

「おい」
「え、何?」
「ンな顔他のヤツの前で晒すんじゃねぇぞ」
「わたしそんな変な顔してた!?」
「別に変じゃない。他の男の前で無防備でいるなって言ってんだ」
「わ、わたしはいつもと同じだもん…」
「だから。それが嫌だっつってんだろ。俺の前だけにしろ」

本当に勘違いしそう。だってこれ、独占欲みたい。それで無駄に期待させられたのに、直接的な愛の言葉をかけられることはないし、ことが終わると凛はまた後悔したように遠くを見つめる。

他に好きな子がいてわたしを代わりにしてるとか?それとも単に欲求不満?凛は女を抱く前には優しくなるわけ?

ほんと訳がわからない。でも凛の本質は優しいことを知ってる。どれだけキツい言葉を使ってても凛の根っこの部分は昔兄ちゃん兄ちゃんと言ってた彼のまま。だからひょっとしたらわたしが凛のことを好きなのを知ってて、自暴自棄になって他の男と関係を持とうとしてたのを止めようとしてるのかも、なんてことまで考えてしまった。もしそうなら好きでもないわたしを抱いて後悔してるってのもなんとなくわかるし。ほら、男の人の例の賢者タイム的な。

だったとしたらこんなこと続けてるのはお互いにとって良くない。というか罪悪感がすごい。わたしは好きだけど向こうはわたしのこと好きじゃない人に抱かれるって、胸が張り裂けそうに辛い。つくづくわたしは遊び慣れない重たい女なんだなって思う。ただ体の関係を持つだけのセフレだとかそういうのはわたしにはできない。だってどれだけ気持ちよくて抱かれてる時に幸せでも、そのあと死にたくなるくらい後悔が押し寄せてくるから。

だから次はもう絶対にしちゃいけない。

でも凛にああして求められたらわたしは絶対断れない。だとしたらわたしは凛に恋人ができたとでも嘘をついてきっぱりとこの関係を終わらせなきゃいけない。それはきっとわたしの恋の終わりになる。

まさか自分の恋がこんな形で終わる日が来るだなんて思いもしなかった。こんな終わり、きっと後から冴くんに怒られるな。でもどうしようもないよね。

じわりと視界が歪んで、それからとめどなく涙は溢れる。凛がフランスに行ってしまう時よりももっとずっと。

なんでこんなことになる前に告白しておかなかったんだろう。告白してフラれたんなら凛の腕のあたたかさを知らずに終われたのに。凛と、こんな関係になりたかったんじゃないのに。

でももう遅くて、オフシーズンに入った凛から珍しく『来週帰る。土産何がいいか考えとけ』と来た連絡に、「彼氏できたんだけど、嫉妬深いから凛と会ったら怒られるかも!だからお土産は大丈夫」と答えたのだ。

『…彼氏?』
「う、うん…。ついに念願の初彼氏ができまして…」

あー、嘘だってバレてるのかなぁ。そりゃそうだよね。わたしの態度、絶対わかりやすかったもん。それについ先日まで処女だったわたしにそんなホイホイ彼氏ができるはずもないし。でも凛はその嘘に食い下がるような人じゃない。だから「あっそ」で終わるんだろうな。

そう思ったのに。凛からの返事はまたも思いもよらないものだった。


『いい加減にしろよ』
「………え」
『兄貴の次は知らねぇ男だ?んなの認める訳ねぇだろうが。帰ったら今度は本気で俺のこと好きって言わせてやるから首洗って待ってろ』



「………はい?」




◆◆◆




「おい、好きって言え」
「ん、う、す、き」
「もう一回」
「りん、すき…」
「………ん」

無理やり言わせたって虚しいのはわかってるのに言わせて征服欲と独占欲を満足させて、そして終わった後に無理やり言わせても意味がねぇってやっぱり虚しくなる。だからあいつの寝顔を見て頭に浮かんでくるのはずっと思ってた『俺のことさっさと好きになれ、アホ』。







『糸師冴、熱愛か!?相手は……』

そのニュースを見て頭に浮かんだのはもちろんあいつの顔だった。これを見たら悲しむのは目に見えていて、ひょっとしたら一人で泣いてるかもしれないと思うといてもたってもいられなくなった。それで気がついたらマネージャーに「三日くらい日本に帰る」と無理難題を言って、飛行機に飛び乗った。



気がついたらそばにいたあいつは世間では幼馴染というくくりになる。あまりに一緒にいたから親も、それから周りも俺たちのことをきょうだいのように扱っていたけど俺は一度だってそんなことは思ったことはない。俺の兄弟は兄ちゃんだけだ。だからいつも兄ちゃんにまとわりつくあいつによくイライラしていた。サッカーを見に行って、兄ちゃんを見て目をキラキラさせるあいつが煩わしかった。

だけど俺が兄ちゃんと一緒にサッカーをするようになると1人で俺たちの試合を見に来てるあいつが他のチームメイトに話しかけられるようになって、それがまた同じようにイライラすることに気がついた。それを兄ちゃんに聞けば「ンなのあいつが好きだからに決まってんだろーが」と返ってきて胸にストンと落ちた。ずっと抱いていたイライラはどうやら嫉妬と独占欲だったらしい。

「他の男に取られたくねーならさっさと付き合っちまえ」
「でも」

まだサッカーで兄ちゃんの隣に並べるようになってないのにそんなことをしてる暇が自分にあるのか、とか。それからあいつは多分兄ちゃんのことが好きだし、とか。色々御託を並べて俺は行動に移せず、それは俺が兄貴と仲違いして荒んでる時あいつが側にいてくれてますます俺にとってなくてはならない存在だと思うようになってからも、それから俺がフランスに行くことが決まってからも変わらなかった。

俺がフランスに行けば俺たちはどうなるのか。あいつのことだからおせっかいでたまに俺の様子を聞いてくるだろうとは思うけど、「聞いて!今日ね、」と何の用事もなく電話をかけて欲しい。兄貴にしてるみたいに。

興味ないゲームをやって話題を作っていつか俺のこと好きになってくれねぇかなと思っていたけど、隣にいれば見えてしまうあいつのラインの履歴の兄貴との通話時間の長さにいつも無駄に嫉妬して、それはいつしかなんで俺のことを好きにならねぇんだに変わっていった。だから兄貴に他の女ができればいいって思ってたのにいざ兄貴の熱愛報道が出たら心配が勝って何も考えずに駆け出してたんだから笑える。

兄貴に本当に彼女ができたかどうかは知らない。もちろんこれでようやくあいつも兄貴を諦めるだろと言う気持ちはどこかにあったけど、それよりも傷ついて1人で泣いてないか、それが頭の中を占めていた。それであいつの好きなチョコレートを持ってあいつの家に行ったけど誰もいやしない。時刻は23時近く。

こんな遅い時間にどこにいんだ。苛立ちと心配がないまぜになっていてもたってもいられなくなってアパートから駅の方へと歩いてみたら向こうから見慣れたあいつがいた。…知らない男と一緒に。しかもその男があいつに向ける視線はどう考えたって男の欲望丸出しのもの。

さっさと断れ。そう思うのにあいつはいつまで経っても断らない。それどころか頷きそうな気配すらある。ずっと男っ気がなかったくせに急にこんなことになったのにはもちろん心当たりがあった。兄貴の熱愛報道。このタイミングなんだならどう考えたってそれしかあり得ない。だとしたら自暴自棄になったってことか。

兄貴を諦めるために他の男に抱かれようとしてんのかよ。そんなに兄貴が好きかよ。そう思うと苛立ちで頭の奥がカッと熱くなった。それで気がついたら男から奪い取って、そのあと押し倒してた。兄貴が好きなくせにロクな抵抗をしないあいつにまた腹が立って、そのまま抱いた。

終わってみれば信じられないくらい幸せで、それと同時に反吐が出た。俺のこと好きでもないのに「好き」って言わせて満足してるなんてありえねぇ。でもこいつは自暴自棄になってるから放っておいて他の男のところに行くのをみすみす見逃すわけにはいかない。それで会いに行けば、一度知ってしまった幸せを我慢できなくてまたあいつを抱いた。それでまた自己嫌悪に陥る。

でも俺はまだ自分の気持ちも何も言えてない。態度にも出してなかった。だから今から落とせばいい。

そう思って一旦フランスに帰って、それでシーズンが終わるまでの間他の男に目が行かないよう連絡をして、終わったら急いであいつのところに行くつもりだった。

なのに他の男だ?お前は相手にされなくてもずっと兄貴が好きだったくらい重い女なんだから他の男のことそんな簡単に好きになんてなんねぇだろうが。だからそんなの俺から逃げようとする嘘だってことはわかってんだよ。

俺が何年待ったと思ってんだ。そんな嘘で逃げられると思うんじゃねえ。

でもお前がそういうつもりならこっちだって逃さねえようにする方法はいくらでもある。




◇◇◇




凛のあれはなんだったんだろうか。何だかまるであれじゃ凛がわたしに片想いしてるみたいじゃん。でも実際はわたしが凛に片想いしてたんだけども…。

もしかして。

もしかしたりする?

わたしが凛のこと好きなこと、ひょっとして凛は知らない、とか?わたしが好きなのは冴くんだと思ってる、とか?

そんなバカな。

でももしそうだとしたらあの朝の「最悪」は自分のお兄ちゃんに片想いしてるわたしを無理やり抱いたって思ってて後悔してる凛の独り言ってことになるし、なんだかわたしのこと好きなのかも?っていう態度も電話で怒ってたのもそれなら辻褄が合ってしまう。

都合のいい夢見てるか勘違意だったらどうしよう。もしそうなら期待させられた分死にたくなるくらいショックだけど。

凛との電話のあと半日くらいそのことばっかり考えて、冴くんに聞いてもいいのかどうか悩んで、それで結局『凛はわたしのこと好きとかいうオチあったりしない?』と送ってみた。心臓をバクバクさせながらそれが既読になるのを待ったけど、でもその返信が返ってくるよりも先に答えを知ってしまった。


それはわたしが凛のことを好きだと知ってる長年の友人からのラインだった。

『あんた結婚するの!?』

それに加えて何かの記事のURLで見出しは『サッカー糸師凛選手、結婚間近!?』。事前情報に心臓がバクバク通り越してドッドって鳴って死ぬかと思ったけど、震える指でクリックすればそれはニュースの映像だった。凛が珍しく記者からの質問に答えている。今期の活躍についてとか、来年の展望とかよくあるやつ。簡潔に答えていくから展開は早くて話はすぐに凛の日常についての質問へと移っていった。

「シーズン中の気晴らし方法など教えていただけますか」
「ポケモン」
「ポケモンですか!?人気ですもんね。でも糸師選手がやられてるのは意外でした」
「好きな女がポケモン交換してほしいって言うから始めた」
「え!!」

驚く記者にわたしももちろん出てきた言葉は一緒。

「お相手はどのような方なんでしょうか」
「幼馴染。このあと嫁になる」

あの澄ました顔と声で誰が自分の恋愛事情を話す人間だなんて思うだろうか。記者が今一度息を呑むと凛はそのまま立ち上がって去っていってインタビューはおしまい。ニュースではそのままSNSのトレンドが糸師兄弟で埋まってるという話題で幕を閉じた。

それを見たわたしは空いた口がふさがらなかった。


「……は?」


これは、本当の話なんだろうか。だけどわたしの電話はさっきから鳴り止まない。その中には親も、わたしが凛の幼馴染だと知ってる人もいる。

何が起こってるかわからないまま最後にピロンと音を立てたラインの送り主は『糸師冴』。


だからさっさと告白しろって言ってただろうが。いい加減お前らの相手すんのはめんどくせぇからさっさと妹になれ。


気がついたらわたしは走り出していた。行き先はもちろん空港。いつ、どの便で凛が帰ってくるかわからない。でも居ても立っても居られなくなってしまっのだ。

顔を見たら一番に「わたしもずっと凛が好きだった!」って言おう。そうしたら凛はどうするかな。目を逸らして顔を赤らめて、それで「遅えよ、バーカ」とかかな。そうしたらいっぱい謝って、でも凛もわかりにくかった!って怒ってやろう。

それで空港に到着してすぐに「今成田の第一ターミナル北側の一番奥にいる!待ってる!」って文字を打ってる最中、まさかのまさか。向こうから帽子一つ被らない凛がやってきた。

「!!」

これはきっと神様がさっさとくっつけって言ってる!とこの間と180°違うことを思いながら凛の元に走って行った。

心臓が破裂するかもってくらいの緊張で足が震えるし、口もうまく回らない。喉もカラカラ。だけど言わなきゃ。

そう思って「あのね!凛!」と言いかけたけど間近に迫った凛はバチバチにキレた顔をしてる。

「お前が俺を好きになるまで待つつもりだったがお前がそんなんだったら俺も手段選ぶのはやめた。今すぐ好きだって言わせてやる」
「り、りん……?」

まさかの破壊者の顔に色んな意味でドキドキした結果誤解を解くのが遅れてキレた凛にこの後泣かされることになったし、ほんと拗れた凛にわたしの気持ちを納得してもらうのは本当に大変だったんだけど最後はハッピーエンドだからまあいいか。うん、思ったよりも重たかったけども。







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