私のこと女避けにしてると思ってたトップジムリーダーにいつの間にか外堀埋められてた3






「そういや明日休みだよな?オレさまも久々に休み取ったし前言ってたシュートシティのカフェ行かねぇか」
「いいね!ヌメルゴンムース楽しみ!!あ、でも可愛すぎて食べれないかもしれない…」
「とりあえず写真は撮りまくろうぜ」
「そうしよ!」
「ん。あー、明日何着てくか悩むな」
「なんで?」
「お前にかっこいいって思われたいから?」
「……ありがと」
「なんで不服そうなんだよ」
「だって、今誰も聞いてないからそういうのいらないし…」
「普通そういうのって誰もいないとこで話すんじゃねぇか?オレは人前でも全然いいけど」
「うん、そうだよね、知ってた…。でもわたしが困るんだよね」
「なんで」
「………だって、なんか、恥ずかしいし」
「お前さ、んな可愛いこと言ってオレにこれ以上好きにさせてどうしたいんだよ」
「!!あー、もう、ほんと!ばか!!キバナのバカ!!」
「ははっ」

昔仲がよかったから気が合うのはわかってたけど、予想してたよりもずっと早く、キバナくんはスッとわたしの生活に馴染んで、最近はキバナくんがいることが当たり前になり始めている。頭の回転が早くて責任感があってそれから優しいキバナくんと話してるのは楽しくて、まるであの頃の気の置けない友人に戻ったみたい。


まあこういう甘い時を除いて、なんだけど。

キバナくんの彼女を甘やかすタイムは唐突にやってくる。それまで普通に話してたかと思えばこうして急にわたしへの愛の言葉を囁きだす。さすがは彼氏にしたい男No.1の抱かれたい男殿堂入り。フリだってわかってるのにどうしたってこんなふうに口説かれたら心臓はバカみたいに跳ねる。

だけどこれは彼にとってはただの女避け。本気にしたら負けなのだ。だからなんでもないフリをしてわたしは彼のことを「キバナ」って呼び捨てにするし、ワイルドエリアで一緒にカレーを食べて、それから彼に腰を抱かれて家まで送ってもらう。それ以上は求めないし、求めちゃいけない。

そう思ってるのに必要以上に甘いキバナくんにどうしたって「わたし、本当の彼女だったのかも…?」なんていう馬鹿げた考えが頭をよぎる。そういう時はいつもファンの子達の厳しい視線で正気に戻る。そうそう、わたし女避けなんだったって。

だけどキバナくんは最近またどんどん甘くなってる気がする。人のいないところでもこうして“わたしのこと好きなのかも”って勘違いさせる発言ばっかりしてくるし。

例えば一週間前家まで送ってもらったとこのこと。

わたしの家の近くは人通りが少ない。だからこそ危ないとキバナくんは送ってくれてるんだけど(忙しいだろうからこれに関しては辞退したいのだけどらひょっとして元彼が何かを言いにくるかもしれないから、らしい。ホント、キバナくんはいつだって優しい)、でも人がいないからこそわたしたちがくっつく必要はない。だから家の近くに来るもわたしは腰に手を回すキバナくんからすっと離れるのだけどキバナくんは「こーら、危ねぇだろ」ともっとわたしを引き寄せる力を強くする。

「離れてたら意味ない」
「キバナくんが隣にいるんだから大丈夫だって」

当たり前のように鼓動が速くなる。それに気付かれたくなくて少しでも彼との距離を取ろうとじりじりと離れてみるのだけどキバナくんはそれを許してくれない。

「じゃあオレさまが離れたくねぇから離れんな」
「だ、だから誰もいないんだからそこまでしなくていいって」
「だからオレさまは彼女を甘やかすタイプなんだって」
「……そればっかり。キバナのバカ」
「お前が離れないならバカでいいわ」
「あー、もう!ほんとやめっててば」
「やーだ」

最近わたしはキバナくんにバカって言ってばっかりな気がする。トップジムリーダーに向かってそんな暴言許されないだろうけどキバナくんはわたしがそう言うとなんだか嬉しそうに見えるから困る。これじゃまるでいちゃついてる恋人みたいじゃん。実際にたまたま帰り道に例の同僚の子にこのやりとりを見られて翌日に「ほんとキバナ様に愛されてるね仲良しでいいなぁ」とか言われてディグダの穴に入りたいくらい恥ずかしかったし。


違う、わたしたちは断じていちゃついてない。


そう思うけど、キバナくんからのスキンシップは日に日に増えている。

それはつい昨日のこと。先日例の元カレと別れる件で思った以上に迷惑かけてしまったからお礼がしたいと言ったのだけど、

「ならお前の手料理食べたい」
「え゛」

そう言われて結局作ることになったのだ。でもわたしはカレーとサンドイッチ以外は可もなく不可もなくな料理しか作れない。いや、本当に断りたかった。でもお礼を言い出したのはわたしなんだからそれをダメとは言えない。だから「本当に上手くないから絶対に期待しないで」と釘を刺した上で振る舞ったのだけど、優しくて空気の読める彼はそれを本当に美味しそうに頬張ってくれて。

「おかわりあるか?」
「ほんとに無理しないで……。自分の料理の腕は自分が一番よく知ってる」
「なんで?うまいし、お前がオレさまのために作ってくれたって思ったら全部食いたいって思うだろ?あと昔オレが好きだって言ってたのとか入れてくれてんのもすげえ嬉しいし」
「……」

しかもこんなことを言い出す。

そういえば彼のこういうところが好きだったんだっけ。ちょっとしたところに気がついてくれるところ。ちゃんと言葉にしてくれるところ。それから美味しそうにわたしが作ったご飯を食べてくれるところ。気になったきっかけは彼の笑顔とバトルでのギャップだったけど、キバナくんのこういうところを知れば知るほど好きになっていったんだよね。

……だめだめ。何恋愛モードになってるの。考えるのやめよ、と思ったけど、あの頃に戻ったみたいに一緒にご飯を食べて笑い合ってるとどうしてもあの頃好きだった彼のことが思い出されていく。

あれは確かストーンズ原野を自転車で走ってた時のことだ。急な嵐に襲われて雨宿りできるところを探していたらちょうどキバナくんがキャンプをしていて、「こっち来い!」とわたしを彼のテントに呼んでくれた。その時点でびしょ濡れだったから入るのが躊躇われたけどでも「風邪引くから早くしろ」って気にせず招き入れてくれて、それからタオルでわしゃわしゃとわたしの髪を拭き始める。あの時キバナくんはなんでもない顔をしてたけどわたしの心臓はバクバク。キバナくんがわたしの髪に触れたことなんてなかったから。

「い、痛いーーーっ自分で拭けるから!タオルこのまま借りてもいい?」

だからそう言って彼から逃げた。

「ちゃんと拭けよ?お前そういうとこガサツだから」
「が、がさつ…」
「なんか自分のこと顧みないっつーかさ。この前雨降ってた時も子供が傘なくて雨宿りしてたときそいつに傘あげてたし。自分は折りたたみもってるとか嘘ついて」
「え、見られてた?」
「見てた」
「う…だってあの子寒くて震えてたから。早く家に帰らせてあげないとって思って」
「それで自分が風邪引いてたら意味ねぇだろ」
「でも大丈夫だったから」
「でもお前もあの時震えてただろーが。風邪ひかなかったのが奇跡なんだっつーの。気をつけろバカ」

キバナくんは呆れたようにわたしのおでこをピンと弾いて、そしてキャンプ用の小さなコンロで沸かしたお湯であったかいコーヒーを淹れ始めた。

キバナくんがわたしを心配してくれたこと、それからピンと弾いた指がわたしの触れたことに無駄にドキドキするし、タオルから香るキバナくんの香りがもっとわたしを緊張させて、そのあと手渡されたコーヒーのカップを落としかけた。でもそのコーヒーはそれまで飲んだコーヒーの中でいちばん美味しかった。

その後は雨が止むまで膝を突き合わして色んな話をした。ジュラルドンたちと一緒にガラルで最強のトレーナーになって、それから世界を目指すという彼の夢をきらきらした瞳で語る彼がやたらとかっこよくて、その日わたしはもっとキバナくんのことを好きになった。




そんなこともあったなあとつい懐かしくて嵐が止んだ後にテントの外に出て見た星空なんかも連鎖的に思い出してちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまう。



でももう少年だったあの頃の彼と今のキバナくんは違う。


食後にあの日飲んだコーヒーの足元にも及ばないけど、お値段はそこそこの来客用のコーヒーを向かい合って飲んでいたらつんっと彼の足がわたしに当たった。反射で足をスッと自分側に引き寄せたけど少ししてまたキバナくんの足がこつんと当たる。キバナくんの方を見たら何でもなさそうな顔をしてコーヒーを飲んでる。

たまたま?ともう一度足を引いたのにまたコツン。

あ、これわざとだ。

ようやく気がついてキバナくんの方に視線を向けると彼は頬杖をついて意地悪そうに笑って見ていた。そしてぶつかった足ので今度はわたしの足を下から上にスッとなぞってきた。

「ッ!」

思わぬ感触に変な声が出そうになって慌てて口を塞ぐ。触られてるのは足先とか足首だっていうのに何度か往復されるとなぜか全身が熱っていくのを感じて足を引くけど、彼の長い足はわたしを追ってきて逃げられない。

「顔、真っ赤」
「もう、やめてよ」
「なんで」
「…くすぐったいから」
「くすぐったくて顔赤くなんだな」
「………意地悪」
「お前限定」

そう話してる間もキバナくんは足を止めない。こんな意地悪、昔はしなかった。いつだって優しかったのに。でもその意地悪にわたしは変な声が漏れ出そうになる。絶対に出しちゃダメだって口元を手で押さえていたらキバナくんはその手を取ってきた。すると自然に目がパチリと合う。


あ、やばい。


わたしを見つめる彼の瞳の奥にはもう熱がある。それは本物の恋人じゃないわたしたちの間にはあってはいけないものだった。

だけど、わたしのスイッチももう入ってしまっていた。じゃなかったらキバナくんがそのままわたしの頬に触れてきた時に、いつもみたいに「やめて」って言えた。

わたしももう昔のわたしじゃない。テントの中で仲良くおしゃべるするだけじゃもうすまない年になってる。昔焦がれるほど好きだった人と自分の家で2人きりで、あつい眼差しで見つめられながら触れられたらその気になるなって言う方が無理な話。だからこのまま流されちゃえばいいじゃんという悪い自分が唆してくる。

だけど彼の親指がわたしの口の端に触れた瞬間、これが女避なんだってことをわたしのなけなしの理性が思い出してくれたらしい。

わたしは大きく息を吸って、そして彼の手からすっと体を引いた。

「カップ、片付けてくるね」
「…ん、ごちそうさま」

キバナくんは何事もなかったように振る舞う。だってわたしたちは本物の恋人じゃないから。彼がついた一つの小さなため息は多分一線を越えずに済んだというわたしと同じ安堵の吐息だったと思う。



でもここで触れ合うのを我慢しても、公認で付き合っていて、お互いの家を行き来していたらいつかは綻びが生じるのはわかってた。だから間違いが起きる前に、もっと言えば彼のことを本気で好きになる前に、女避けはやめなきゃって思ってた。ファンの子達も少しずつ落ち着いてきてるみたいだし、後少しの我慢だって。



でもわたしたちの関係は思ったよりも早く、思いもよらないところで変わってしまった。



◇◇◇



「あれ、もしかして」

その年のファイナルトーナメント開催日のことだった。トーナメント中はガラル中のトレーナーやポケモンバトルのファンがシュートシティに集まるから比較的近いナックルのポケモンセンターから手伝いが駆り出される。それでわたしもシュートスタジアム内のセンターでお手伝いをしていたんだけど、その時ジムチャレンジ時代の同期が話しかけてきた。

「わ、久しぶり!元気にしてた?」
「してたしてた。夢叶えたのは知ってたけど、働いてるとこは初めて見たわ。制服似合うじゃん」
「ふふ、ありがと」

彼はわたしがジムチャレンジをやめるかどうか悩んでいた頃、同じように悩んでいて仲良くなって、ここ最近はお互い忙しくて連絡を取れてなかったものの同期の中では相当に仲のいい気心知れた友人。

「そういやシュートシティで働いてるって言ってたもんな。すごくね?出世株?」
「違う違う。二年で異動だからみんなクルクル回ってるだけ。今はナックル勤務。今日はお手伝いで来てるだけだよ」
「へー?でもシュートからナックルってやっぱすごいじゃん」

今会場では一回戦のカブさんとルリナさんのバトルが繰り広げられている。普通に考えれば水タイプのルリナさんが優勢だけどカブさんは普段から手持ちの子達を水ポケモンと戦わせて鍛えているから勝敗はわからないとみんなが固唾を飲んで見守っている。

試合中にセンターに来る人はまずいないから、この時間がわたしたちの休憩時間になるから本当はこのタイミングでキバナくんの激励に行こうかと思ってたんだけど、旧友との再会につい昔話に花が咲いてしまう。二人でまっすぐに夢を追いかけていたあの頃のことはいい思い出で、そしてその戦友が夢を叶えた話はやっぱり聞いていて楽しい。

「なあ、最近連絡とってなかったし、仕事終わったら飲みに行かねぇ?」
「あ、ごめん、今日は色々片付けとかあって何時になるかわからないから。また連絡するね」
「お前連絡するって言ってしない常習犯だから今予定決めようぜ?」
「え、そんなことないでしょ」
「ある。ナックルなら土日いけるわ。オレ今エンジンシティで働いてるし」

この時点でどうしようかなとは思ってた。フリだとしてもわたしはキバナくんの彼女で、そのわたしが他の男の人と飲みに行ってもいいものか。でも彼はただの友人だし、もう少し話したい気もするし。

それで悩んでいたら後ろから「よお、久しぶりだな」という聞き馴染みのある声が聞こえてきた。それはわたしが会いに行こうと思っていたキバナくんだった。

「え!キバナ!?いや、キバナさんか。有名になりすぎてなんて話しかけたらいいかわかんねぇわ」
「キバナでいいぜ?同期なんだし」
「あー、途中で諦めたのにオレらのこと同期って言ってくれんの嬉しいな。な?」
「あ、うん。そうだね」

わたしたちが盛り上がっていたときに入ってきたキバナくんは至って普通だった。いつもとおなじ、みんなに優しいキバナ様。

だけどなんだろう。わたしにはなんだか彼が笑ってないように見えた。

もしかして、機嫌悪い…?

「これから試合だよな?こんなとこで話してて大丈夫か?」
「オレの試合はまだ当分先だからな」
「そっか、トップジムリーダーはシードだもんな。やっぱすげーわ。優勝できるよう応援してるから!」
「ありがとな」

やっぱり。なんか怒ってる気がする。だって彼が首にかけてるのは現チャンピオンの応援タオルで、普段の彼だったら絶対に突っ込んでる。それに彼が来てからまだ一度も目があってない。いつもはわたしが彼の方を見ればいつだって視線があうのに。

もしかしたら飲みに行く話が聞こえていたのかもしれない。それで女避けなのに他の男の人と飲みに行くなんてって怒ってる、とか。確かに彼はいつだってわたしが本物の彼女に見えるようにしていたのに、これじゃ台無しにしちゃうよね。考えなしな自分が嫌になる。

「じゃあオレそろそろ戻るわ。勝敗気になるし。お前は連絡忘れるから俺から連絡する。また日程決めような」
「あ!あのね、」

わたしが断ろうとした時、キバナくんは少し乱暴にわたしのことを引き寄せた。

「わっ」
「悪い。こいつ嫉妬深い彼氏がいるから飲みに行けねぇわ」
「あー、そういや彼氏いるって言ってたっけ?まだ続いてたんだ」
「オレ」
「え?」
「オレがこいつの彼氏」
「え!マジで!?」
「おー、マジ」
「マジか…。そういや彼女公表したとかって騒がれてたっけ。そっか、あの頃も噂されてたしな」
「仲のいいトモダチかもしんねぇけどあんま他の男といさせたくねえから飲みに行くのはなしにしてもらっていいか」
「あ、そうだよな。悪い。じゃあもう行くわ」
「ああ、またな」

2人は軽く手を上げて挨拶をして、そして彼は去っていく。本当に久しぶりだから「またね」くらいは言いたかったけど言えなかったのは、やっぱり一度もこちらを見てくれないキバナくんが少し怖かったから。

「…まさかこんなところで同期に会うなんてびっくりだね」
「ん」
「…………あの、もしかして、怒ってる?」

彼の姿が見えなくなってから恐る恐るそう尋ねればキバナくんは「そう見えんならそうなんじゃねえか」とツンと答えた。

「……ごめんね」
「何に謝ってんだ?」
「彼女なのに他の男の人と飲みに行ってたら外聞悪いから…。女避け失格だよね、本当にごめん」
「ちげぇよ」
「え?」
「あいつとまだ連絡とってんだな」
「え、あ、うん。仲良かったから…」

わたしの答えを聞くとキバナくんは大きくため息を一つついて、そして「ちょっとこっち来い」とわたしの手をぐいと引いて歩き始める。

「あ、でも、休憩時間終わらないかな…?」
「まだ試合は当分終わんねぇよ」
「う、うん」

いつもは合わせてくれるのに今日は無遠慮に歩く彼に小走りでついていってるのにそれでも遅いと引っ張られる手が痛い。でもそれよりも今は怒らせてしまった彼のことが気になって彼の顔色を窺いながら必死に彼について行った。


キバナくんが入ったのはロッカールームだった。見慣れたキバナくんの私物があるからここは彼の控え室なんだと認識する前に、キバナくんはわたしをそのロッカーに押し付けて、そして表情のない顔でわたしを見下ろした。

「あ、の、えっと…」
「オレが何に怒ってるか、本当にわかんねぇか」
「……」

わたしが同期の男の子と話しててキバナくんが怒る理由。もちろん思いつくことはあった。だけどまさかそんなわけない。

「あの、ごめん、なさい…」
「ふーん」

キバナくんの声は冷たい。でも別にすごく怖いとか、そう言うわけじゃなかった。ただわたしはいつも笑ってる優しいキバナくんのことしか知らないから、まだあの笑っていられる日々が続くってどこかで思ってたから、……まだ心のどこかでこの日々を無くしたくないって思ってたから、気がついたらわたしの視界は涙で霞んでいた。

「怖いか?」
「ちがっ…」

泣きたいんじゃなくて、ちゃんと謝って、それで「頑張ってね!」って送り出したいだけなのに。そう思うと何故かもっと泣けてきてついに涙が一筋溢れた。するとキバナくんはわたしに顔を寄せてきて、それで。

「ッ!」

最初何が起こってるのかわからなかった。でも目尻の生暖かい感触と共にキバナくんが「しょっぱ」と呟いて、ようやくわたしは目尻を舐められたんだってわかった。

「なっえ、」

舐められた跡が少しだけひんやりする。頭の処理が追いつかない出来事からとにかく逃げようと彼から顔を逸らしたらキバナくんは聞いたことのない低い声で呟いた。

「お前がそんなんだったらもう我慢すんのやめるわ」

するとそのままわたしの肩に顔を埋めて、そしてさっきわたしの眦を舐めた時よりももっと無遠慮に首筋を舐めた。

ぞわりとする感覚がわたしを襲う。

「ひっ、や、キバナくん、やめて」

声を荒げてもキバナくんはやめてくれなくて、今度は歯を立ててそこをガジガジと甘噛みをした。何が起こってるのかよくわからないまま、でも反射的に彼の体を押し返す。けど大きな体躯の彼はわたしの力じゃびくともしない。それどころかわたしの首から顔を上げたキバナくんは手を掴みなおしてもう一度壁に押し付けた。その時の彼はわたしの家でコーヒーを飲んで一線を超えかけたあの日と同じ欲情した男の顔をしていた。

でもテーブルがわたしたちを隔てていたあの日とは違って彼の浅い呼吸がわたしの顔にかかるくらいに距離が近い。だから彼はそのままわたしの唇を奪った。

「んっ」

最初は唇を喰んで、次は彼の熱い舌がわたしの歯列をなぞる。まるで食べられていると思うくらいの口付けに口の端からどちらのものかわからない唾液が垂れた。それが麻薬みたいにわたしの頭をぼうっとさせて、どんどん何も考えられなくなっていく。噛まれた首の跡のヒリヒリした痛みも今ではわたしの興奮を煽るスパイスになってた。

だから「口、開けろ」だなんてことを言われると、バカになったわたしは自分からゆっくりと口を開けて彼の舌を受け入れてしまうのだ。

しばらくそれが続くと頭の奥が痺れるくらいに気持ちよくなっていって、気がついたらわたしは自分の足で立っていられなくなっていた。だから最後、音を立てて彼の薄い唇が離れていくのと同時に手が離されると、わたしは支えを失って壁に背をつけてズルズルと音を立てて床に座り込んだ。



わたしたちしかいない控え室の中にわたしたちの息遣いだけが響いている。

どうしたらいいのかわからないわたしは呆然とそれに耳を傾けることしかできない。けどわたしよりも先に息が整ったキバナくんは濡れた己の唇をぐいっと拭って、そして。


「謝んねえから」


その一言だけ残して出て行ってしまった。


「………なに、それ」


腰が抜けたわたしは、休憩の終わりを告げる観客の声援が響くまでそこから動けなかった。










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