甘い言葉の溢れるままに




 ようやく終わった。

 今日の分の仕事にようやく片がついて安堵のため息をついたけど、時計を見てみればもうすぐ終電の時間だった。

 明日休みだし会えたらいいななんて思っていたけど今日も会えなさそう、とここ二ヶ月まともに会えていない恋人の顔を思い出しながら急いで帰り支度をして終電に飛び乗った。疲れた体を休めたいけど終電には私みたいに仕事に追われて死んだような顔をしたサラリーマンや楽しく飲み会をしてきた若者で溢れていて席が空いていない。仕方がなく扉に体を預けてぼんやり外の景色を眺めた。流れるように過ぎていく見慣れた夜景に、あの橋を彼のバイクに乗せてもらって渡ったのはいつだったっけ、とまた気が滅入ってくる。

 会いたいなぁ。

 心の底から溢れてくるその思いを持て余していると、ポケットに入っていたケータイが震えるのを感じた。ケータイを開くと今まさに考えていた愛しい人からのメール。飛びつくように開くと
『仕事終わった?今日やることあって遅くなったから店泊まることにしたんだけど来ねぇ?』
というお誘い。早くお風呂に入ってベッドにダイブしたいって気持ちはどこかにふっとんで行ってしまって、
『行く!』
と二つ返事で返した。

 電車を足早に降りて改札をくぐって駅の外に出ると真一郎くんの姿が見えた。ツナギ姿なので、彼もつい先程まで仕事をしてたのだろう。タバコを咥えながら夜空を見上げる姿が様になりすぎて、通りかかった女の子たちがちらちらと真一郎くんを見ている。ほんの少しだけムッとしながら近付いていくと、彼は他の女の子の視線にはまるで気が付かず私だけにその黒曜石のような瞳を向けて、私の名を呼びながら手を上げる。それが嬉しくて思いっきり真一郎くんの胸にダイブすると
「うおっ!あぶね!」
と両手を上にあげた。タバコが私に当たらないようにしてくれたのはわかってるけど、なんだか降参しているようなポーズなのが可愛い。そんな真一郎くんをぎゅーっと抱きしめると、おつかれさんと言いながら私の頭を優しく撫でてくれた。

 ああ、癒される…。

 上司から言われた嫌味も先輩から言われたセクハラまがいなお誘いの不快感も全て消え去っていく。やっぱり世界で一番真一郎くんがすき。

「じゃあ行くか」
「うん!」

 どちらともなく手を繋いで歩き始める。
「今日は何してたの?」
「ん?久々にイザナが店来たから一緒に流してた」
「わー!いいね!」
「そしたら仕事終わんなくてこの時間になった」
「なら今日会えてるのはイザナくんのおかげなわけだね。今度会ったらお礼しなきゃ」

 もう彼も今年で高校を卒業するらしいし、そうしたらきっと真一郎くんのお店で一緒に働くのだろう。仲のいい兄弟に目を細めていると、そういえば私も心配性の家族に今日は帰らないことを伝えておかないとと急いでメールを送った。
 途中でコンビニに寄って必要なものとか軽く食べれるものを買って彼のお店までゆっくりと歩いた。

 本当はお店についてすぐシャワーを浴びたかったけど、二階に上がって靴を脱いだら二人同時にお腹がぐぅって鳴り出して顔を見合わせた。
「先食べるか」
「だね」

 笑いながらコンビニで買ったお弁当を取り出した。こんな時間だしと私が買ったのはうどんだったけど、真一郎くんはがっつりのお弁当。三つ年上のくせにまだまだ育ち盛りなのか学生のようにお弁当をかきこんでほっぺにご飯粒をつけている。その姿は先程タバコを吸って女の子の視線を独り占めしていた男と同一人物とは思えなかった。

 そのどちらの顔も知ってるのは私だけでいい。他の誰にも知られたくない。実際にはそんなこと無理なのはわかっているけど、私の中にはいつもそんな思いが渦巻いている。太陽のような彼にそんなどろどろした私の気持ちを知られたくなくて、その感情に蓋をしてにこりと笑いながら頬のご飯粒を取って口に運んだ。

「今日ご飯作ってあげれなくてごめんね。次は真一郎くんの好きなもの作るね」
「いいって。オマエも仕事で疲れてんだし。でも次楽しみにしてるわ」

 食後にお茶を煎れたけど、猫舌の私は冷めるまで飲めない。夜も遅いんだからペットボトルのお茶買ってこればよかった。そんなことを考えながらぼんやりカップから立ち上る湯気を見ていたら真一郎くんに名前を呼ばれた。

「ん?」

 真一郎くんの方を見ると彼はベッドに座っていて、自分の足の間をぽんぽんと叩いてきた。どうやらそこに座れと言うことなんだろうけど、仕事終わりで今日も走り回っていたからどうもその体でくっつくのが躊躇われる。
「あとでね?」
 そう諭すように言ったけど、
「ナマエちゃん?久しぶりなのに寂しいんだけど」
なんて子供みたいな文句を言いながら拗ねたような顔をされてしまった。長男のくせに甘え上手ってどう言うこと?さては私がその顔に弱いことを知ってるな。

「汗臭かったらごめんね」
「ハハッオレの方がオイルとかで臭うわ」
 結局負けちゃって彼の足の間に座ると真一郎くんは私の肩口に顔を埋めながら強く抱きしめた。
「ダメだって」
「ん?オマエの匂い好き」
 私の抵抗も気にせずにぐりぐりと顔を擦り付けてくるのに我慢できなくて、
「もー!真一郎くんオヤジくさい!」
と反撃をすると真一郎くんの動きがピシッと止まった。何も言わずに固まっている彼に、さすがにオヤジは傷ついたかな?とちょっと反省して
「怒っちゃった?」
と向かい合わせになって彼の足の上に乗って顔を覗き込むと、ニィッと悪戯が成功した子供のように
「オレの作戦勝ちだな」
と笑って私の唇に軽くキスをした。
「!」

 まったくこの男は本当にズルい。

 その後も軽いキスを繰り返すと急に唇が離された。
「今日何の日かわかる?」

 今日…?今日って何日だっけ…。
 頭を悩ませて壁にかかっているカレンダーを見ると、今日が三月十四日だとようやく認識した。

「あ!記念日!」

 今日はホワイトデーであり、付き合った三年目の記念日でもあった。去年の記念日はまだ仕事もそんなに忙しくなくて、来年は一緒に温泉でも行きたいね、私計画するね!なんて言っていたのに仕事にかまけて忘れてた。最悪…。

「…ごめんね。私すっかり…」
 私が約束も記念日も忘れてしまっていたことに恐縮していると
「んなの気にしてねぇから」
と笑った。様子が少しだけ違く見えた真一郎くんにひょっとして怒ってたのかもなんて考えが浮かんだけど、杞憂だったようだ。ホッとしていると真一郎くんはポケットをゴソゴソして握った手のひらを私の前で開いた。

「でもこれはもらってほしいんだけど」

 それはシンプルなシルバーの指輪だった。
「指輪?」
「オマエはオレのって印。最近変なやつに誘われるって言ってたし男避けしとけ」

 私が少し前に電話でこぼした愚痴を覚えていてくれたらしい。それに会社ではシンプルなものしかつけないって言っていたことも覚えていてくれたみたいで、そういう真一郎くんの思いやりに嬉しくなる。

「ありがとう!覚えててくれたんだね…」
「直接オレの女に手出すなって言えたらいいんだけどな」
 それやったら怒られるから、なんて笑いながら私の右の薬指にその指輪をはめようとしたら指輪がスカッと私の指を通り抜ける。

「…あれ?」
「…ん?」

 その指輪はぶかぶかで何度通してもスルスルと抜けていってしまう。

「…痩せた?」
「いくら痩せても指のサイズはそこまで変わんないと思う…」

 あっれ、おかしいな、と頭をかく姿が相変わらずの最弱王で笑ってしまう。そこが可愛いんですけどね。

「サイズ変更してくれると思うし、一緒にお出かけがてら直しに行こ?」
「だな。それと」
そう言いながら真一郎くんは私の左手を取って薬指を撫でた。
「こっちは来年はめる予定だからちゃんと空けとけよ」
「それって…」
「続きは来年な。ちゃんと右にはめてから言うつもりだったのに、かっこつかねーな」

 本当にこの男はズルい。思いもかけないプロポーズもどきに私の弱った心はぐすぐすと涙を流し始める。

「泣くほど嫌だとかじゃないよな!?」
「そんなわけないでしょ、バカ!」

 焦った、と笑いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。今日は最低な一日だと思っていたのに、彼のおかげで人生で最高の日になった。記念日とホワイトデーのサプライズに何かお礼がしたいのに、残念ながら返せるものを何も持ち合わせていない。ただでさえバレンタインも何もできてなかったのに。私があげられるものといえば…

「真一郎さん、真一郎さん」
「ん?」
「私、明日は久しぶりのおやすみです」
「…!」

 私が笑うと真一郎くんは私に手を伸ばしてきた。でも私はその手をさっと避けて
「先にシャワー借りるね」
と立ち上がった。真一郎くんが私の手を掴んでまた彼の腕の中に戻されると、
「人を煽ってそれはないよな?」
と熱を孕んだ瞳で見つめられる。私の作戦勝ちだねって笑う予定だったのに、さっきまでの最弱王はどこへいってしまったのかわからないくらいの彼の色気に私はくらくらした。







Title by icca
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