あの竜胆さんがコンビニでゴムを買ってたなんて思いもしなかったので
昔から漠然と思い描いていた結婚は、好きな人ができて、楽しくて苦い駆け引きの上付き合って、ほど良き頃にプロポーズされて薬指に指輪をはめられる、みたいな。そんなありきたりなものだったはずなのに、どうやらそのありきたりは私には当てはまらなかったらしい。
「君にお見合いをしてもらうことになった」
私が秘書を務める会社の社長に呼び出されて言われた言葉だ。「なった」だなんて事後承諾にも程がある。さすがに文句の一つでも言いたいけど、うちの会社はまっくろなやばーい会社である。しかもお相手も同じようなやばいところ。断った後を考えると怖くて何も言えないでいたらそれをOKと取られてしまった。
お相手は何度か会ったことがある出世株さんだけど、考え方が男尊女卑を地でいく人だったから正直憂鬱でしかない。立場上仕方なくハイハイいうことを聞いていたから私が男の人を立てる昔ながらの女だって勘違いしてるんじゃないかな。全く違うよ?それでもお見合い後即結婚くらいの勢いでGOされちゃってるんだよね。
私の人生、これでいいのかな。
よくない…はぁ…お酒飲も…
社会人になってから嫌なことがあるとすぐに酒に逃げる癖が身についてしまって、やめなくちゃやめなくちゃとは思ってるんだけどこんな会社で働いてると飲まずにはやってられないので結局やめられない。
仕事が終わらせると勢いよく会社を飛び出して家の近くのコンビニへと走った。
◇
行きつけのコンビニでカゴを手に取って、慣れたようにお酒コーナーに足を運んだ。こうなったら気になってたあれもこれもと大量のお酒をカゴにどんどん放り込んでいくと、
「今日宅飲みでもすんの?」
と薄紫の影が私を覆った。
「あ、竜胆さん、こんばんは。これから出勤ですか?」
「今から帰るとこ。オマエいんの見つけたから。一緒に帰んねぇ?」
彼の名は灰谷竜胆さん。私の住むマンションの隣人であり、よく一緒にゲームをするゲーム仲間であり、そして幾人もの女の人を恋という名の地獄に落とすだけ落としてポイするわるーいお兄さんでもある。
「そんなことしてると彼女に怒られますよ?」
「だからいねぇつってんだろ」
そう言って私の頬をつねった。
「いひゃいれす」
「なんかオマエの頬っぺたってつまみたくなるんだよな」
私を見るとこうやって頬をつまんでくる竜胆さんの正体は驚くほど謎である。夜にビシッとスーツを着込んで出て行ったかと思えば、明くる日はお昼にラフな格好で帰ってきたりする。こんなにも時間が不規則で薄紫のウルフカットという奇抜な髪型ができるお仕事なんてホストくらいしか思いつかないけど、それもなんか違う気がするし。聞いても「んー。ナイショ」って返ってくるし。本当にわからない。
未だ私のほっぺたをむぎゅーっとつまむ竜胆さんが、「わかった?」と聞いてくる。どうやら頷かない限り離してくれなさそうなので、「わひゃりました」と答えるとようやく手を離してくれた。
「で?誰か来んの?」
「…一人で飲む予定です」
「ひとりぃ?」
ンなわけねぇだろと言いたげな目で私のカゴに入る大量のお酒をジロジロと見られるとなんだか居た堪れない気持ちになってカゴをそっと後ろに隠した。
「男じゃねぇの?」
「じゃないです…今日は浴びるほど飲みたい気分なんです…」
「ならいいけど」
そう言うと竜胆さんは機嫌良さげにお酒コーナーの冷蔵庫の扉を開けて缶ビールを2本取り、あろうことか私のカゴの中に勝手に追加した。
ならいいけどって…何…?
聞きたい気持ちはものすごくあるけど、とりあえず…
「私プレモルは香るエールが好きなんですけど」
勝手にカゴに入れられたビールについて突っ込むと、
「どんだけだよ。これはオレの。つか普通のプレモルのがうまいだろ」
なんて言ってカゴを奪い取られてしまった。
「竜胆さん?」
「オレも飲みたい気分なの。付き合って。奢るし」
「やった!!」
「オマエ意外と現金だよな。あとテキトーにつまみもってきて」
「何がいいとかありますか?」
「イカ系以外」
「わかりました」
悩んだ末ナッツとかチーズとか何個か持って行くと竜胆さんはもうお会計を始めてて、私を手招きした。
「これでいいですか?」
「ん」
竜胆さんは私の手から商品を取って「これも」と店員さんに渡した。ここの女性店員さんはいつも感じが良いのに、今日はなぜかこちらをギロリと睨んできてコワイ。
その視線に気付くことなく竜胆さんは「明日休みだよな?」と財布から万札を出しながら聞いてきた。
「はい」
「オレも休みなんだけど」
「珍しいですね」
「ん。だから今日オマエんち泊っていい?」
「……はい?」
私たち、そんな間柄でしたっけ?と一瞬固まったけど、すぐにああ!と理解した。
なんで今言うかな。空気読んで。
「いいですよ!無限周回付き合います!」
「ゲームはなしな」
「……え?」
「今日は寝かせねぇから」
そう言って意地悪そうに笑う竜胆さんの顔を見た後、目の前の店員さんが先程よりももっと恨めしそうに私を睨んでいるのに気がついてようやく、あ、私また使われたんだと理解した。
この店員さんはガチ恋製造機竜胆さんの被害者なんだろう。そして竜胆さんは私と付き合ってると思わせてこの人を遠回しにフッたのだ。
前にもこういうことがあったし、何より私に意地悪ばっかりしてくる竜胆さんが私のこと好きなはずないんだから勘違いするのも烏滸がましかった。本当にこのお隣のガチ恋製造機さんには振り回されっぱなしだ。
◇◇◇
二ヶ月前ー
住んでいるマンションのエントランスに入ったら紫色の髪が見えてつい身構えてしまった。
その男の人は最近隣に越してきたものすんごいイケメンで、いつもはあの人いないかなぁなんて探しちゃうし、エレベーターで一緒になったらスマホゲームをしてるフリをして鏡に映る彼の姿をこっそり見ちゃうくらいには気になっていた。でもその日私はノーメイクでコンビニに行った帰りだったからぜっっったい会いたくないと思っていた。だってイケメンだし。イケメンにズボラな女と思われたくないし。それなのに会ってしまった。最悪。
しかもお隣さんと一緒に綺麗な女の人がいてさらにげんなりした。やっぱりあんなイケメンには彼女の一人や二人いるよねとがっかりしていると
「どうして連絡してくれないの?」
「はぁ?別に付き合ってるとかじゃねぇし。勝手に勘違いしてここまでついてくんのやめろよ。これストーカーだから」
なんて聞こえきた。
しゅ、修羅場…
なんでこんなところで、と思いながらさっさと横を通り過ぎようとしたら何かに手を取られて前に進めなくなった。
「え?」
「何?怒ってる?この女はちげぇから。オレが好きなのはオマエだけだっていつも言ってンだろ」
う、え、え、何!?
私の手を取ったのはお隣さんで、彼はそのまま流れるように私の手を引いて腰に手を回してきた。理解を超えた展開に目を白黒させていたら私の顔を掴んで自分の方にグイッと向けて
「なー、機嫌なおして?」
と言いながら顔を近付けてきた。
もう一度言うけどこの人、とんでもないイケメンである。至近距離にその顔があるのが耐えられなくて顔を逸らそうとしたらまた強い力でぐいと顔をそちらに向かされて、およそ10cmの距離で菫色の瞳と視線がぱちりと合えば今度は視線が外せなくなる。
「かわい。部屋戻ろ?」
そう私の背中を押してエレベーターへと向かった。
「竜胆くん!」
「何。まだいたの?見てわかんだろ。オマエの入る余地ねぇの。さっさと帰れ」
まだ呼び止めようとする女性にお隣さんは先程私に向けた声音よりも一オクターブくらい低い声でそう言い捨てた。そのまま私の背を押してエレベーターに乗り込むとようやく私の背に回した手を離した。
「巻き込んで悪かったな」
「あ、と…」
「オレ変な女に好かれんだよな。こうやって家まで来ンのはなかったからさすがに焦ったわ。アンタが来てくれて助かった」
「そうなんですか…大変ですね…」
イケメンと話せておいしいと言う気持ちとせめて今日じゃなくて別の日ならという気持ちがない混ぜになりながらエレベーターのボタンを押そうとしたら、それよりも先に11階のボタンを押されてしまった。
「11階で合ってる?」
「あ、はい」
「つかお隣さんだよな。何回か会ったことあるし。いつもはもっとキレーなカッコしてメイクキメまくってっけど」
ぐっ。バレてる…。最悪…。
「コンビニ行くだけだからいいかと思っちゃって…ノーメイクで出かける喪女ですみません…」
「なんで?オレは今の方がいいと思うけど」
ちょっと意地悪そうに笑ったその顔がまた信じられないくらいかっこよくて、さっきまでの最低な場面を見てなかったらコロッと好きになってたと思う。なるほどこの人は女の人を誤解させるとんでもないガチ恋製造機だとすぐに理解した。
手前にある私の部屋の前で「それじゃあ」とドアに手をかけたら、彼は「なー」と言いながら開きかけた扉を押し戻した。
「は、はい?」
「名前聞いていい?オレは灰谷竜胆。竜胆って呼んで」
私が名前を答えると
「ン。また今度今日の礼させて」
とだけ言って自分の家へと入って行った。
『りんどう』なんて名前、聞いたことがない。それなのにそんな名前が許されるのはこういう人なんだと妙に納得した。
後日竜胆さんはお詫びと称して人気のケーキ屋さんでショートケーキを買ってきてくれて、「一緒に食おーぜ」とそのケーキを一緒に食べてからはよく話しかけてくれるようになった。竜胆さんは会えば私の服を「似合うな」と褒めてくれたし、少し帰りが遅いと「今日遅ぇじゃん、危ねぇから気をつけろよ」と心配してくれるいいお隣さんで、優しいお兄さんだった。
その印象がガラリと変わったのは、竜胆さんがゲーマーだと知った時だ。
たくさんもらった枝豆をお裾分けしようと思って竜胆さんの部屋のチャイムを鳴らすと、ものすごく不機嫌な竜胆さんが勢いよく出てきた。その時の竜胆さんは高そうなスーツを格好良く着こなす竜胆さんでも、ブランド物をラフに着こなすお洒落な竜胆さんでもなくて、ジャージに野暮ったいメガネをかけて、さらに前髪を無造作にピンで留めている一言で言えばダサダサな竜胆さんで。
後ろから聞こえてくるサントラでゲームをやっていたと気がついて、それを邪魔してしまったのだと青ざめた。わかる。私もゲーム邪魔されたらキレるし。
だけどそれが私のやってるゲームだったからどうしても一緒にやってみたくて誘ったらものすごく不貞腐れながら「やる」と言ってくれた。そしてその「やる」と言った顔がものすごく可愛くて…。我ながら何故そこでときめくのか分からなかったけど。
結局一緒にやってみたらボッコボコにされて少しムッとしてしまったけど、私に勝ってドヤ顔で「オマエも結構強いな」とわざとらしく言ってくるところがまた子供っぽくてなぜか私のツボにハマってくる。
それ以降は会えばほっぺたをつねってくるし、自分だってそこまで背が高いわけでもないのに(本人に言ったら「ハァ?小さくねぇし」とほっぺがちぎれるかと思うくらい強く頬をつねられたので二度と言わないけど)、肘置きにちょうどいいわーなんてゲームをしながら私の頭に腕を置いてくるし、普通に「これ以上痩せると胸なくなるからダイエットとかやめれば?」なんて超絶失礼なことを言ってくる意地悪なお隣さんに変わった。
負けず嫌いだし、言いたいことをズケズケと言うタイプ。そういえばお兄さんいるって言ってたし弟なんだ。うん、わかるわかる。え、かわいい。
まあ、言いたいことは結局彼はガチ恋製造機で、私もその被害者の一人ということ。
◇◇◇
「なー」
「はい」
「今度あのゲームの新作出んじゃん」
「ですね」
「もう予約した?どこで予約するか迷ってんだけど」
「えーと…」
「帰ったら一緒に風呂入る?」
「そうですね…」
ん?
どこで予約したっけ…。そう考えていたら、意味のわからない発言が混ざっていて思わず咳き込んだ。
「何焦ってんの、かわい」
と私の指先をキュッと握った。
「そうやって意地悪するのやめてください。さっきのだって急に店員さんの前であんなこと…私じゃなかったら勘違いしてますよ!」
私は竜胆さんの手をぱっと離そうとしたけど、逆にギュッと握られてしまった。
「さっきも今も本気で口説いてんだけど?」
「…も!竜胆さんがガチ恋製造機すぎてやだ!」
「ンだそれ」
「その名の通りです!」
「つまりオレにガチ恋ってこと?かわいーこと言うじゃん」
「!!!」
完全に遊ばれてる…!
何度か離そうとしたけど握られた手は部屋の目の前まで離してもらえなかった。
「着替えてそっち行くわ」と竜胆さんが自分の部屋に入るのを見届けて家に入ったけど、なんだかソワソワしてしまって、気がつけば冷蔵庫を開けていた。
本気じゃないのはわかってる。もしかしてセフレにでもなろうとしてる…?でも胸ないばっかり言ってくるし私に色気を感じてるとも思えないし…。
ぼーっとしながらそのまま冷蔵庫を開けていたらピーッピーッと鳴り出したのでまあどうせならおつまみでも作るかと卵と明太子、それからきゅうりを取り出した。
手早くおつまみを作っていたらチャイムが鳴った。
「どうぞ!鍵開いてます!」
ガチャリと音を立てて入ってきたのはもちろん竜胆さんで、ジャージじゃないけどいつもよりもラフな格好。髪を軽く束ねていてオーバーサイズ気味のTシャツから鎖骨が覗いている。それが綺麗で思わず視線が釘付けになっていたから竜胆さんが不機嫌そうに眉根を寄せているのに気が付かなかった。
「鍵開けっぱにすんな。しかも相手確認せずに入れとかなんかあったらどうすんの?危機感死んでる?」
「ご、ごめんなさい…。すぐ竜胆さん来るしいいかと思っちゃって…」
「それが危機感死んでるって言ってんの。マジでストーカーとかいたらヤベェだろ」
「おっしゃるとおりです…」
怒られちゃったと私がシュンとしていると
「あー。ごめん。別にしょげさせるつもりはなかったんだけど。マジ気をつけろってことが言いたかっただけだから」
と竜胆さんは私の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「…心配してくださってありがとうございます」
「ン。マジでオマエになんかあったらオレがヤだし」
「…」
なんなの。今日の竜胆さんなんなの!?本当に私のことが好きみたいなんだけど…!?
私の動揺を無視して竜胆さんは私の肩口の向こうのフライパンを覗いた。
「だし巻き?すげーいい匂い」
「明太子入りです」
「あ、それ好き」
ありがとなと言いながら今度は私の頭をポンっと優しく撫でる手が暖かくて怒られたのも忘れてまた心臓が跳ねるからよくない。もうお見合いすることは決まってるんだから、こんな風にドキドキしてる場合じゃないのに…。
お見合いのことを思い出すと急に現実に戻されたみたいにズンと私の気持ちが重くなっていく。頭にまだ乗せられた手にあいまいに笑って「すぐに持っていくので座っててください」と竜胆さんの背を押した。
おつまみを簡単に盛りつけたお皿をローテーブルに置いてお互いビールで乾杯した。例の新しく発売するゲームの話なんかで盛り上がって程よく酔っ払ってきた頃。急に竜胆さんは黙って私をじっと見てきた。
「竜胆さん?」
「で、何があったわけ?やっぱ今日変だよな」
「ちょっと仕事で嫌なことがあって…」
「ふーん。ちょっとって感じじゃねぇけど」
「わかりますか?」
「そりゃオマエのことだし?」
「えっと…ありがとう、ございます」
なんとなくお見合いのことを竜胆さんに言いたくなくて「まあ色々ありますよね」と流そうとしたら、竜胆さんは少しムスッとして頬杖をついた。
「何で言わねぇかな。オレってそんな頼りない?」
「え?」
「これでもオマエよりは長生きしてるし、少しは役に立つと思うけど?」
そう口を尖らせる姿があまりに可愛くて。本当に、顔のいい人は顔面だけで人に言うことを聞かせるから怖い。
「実はお見合いすることになっちゃって…」
「…見合い、ねぇ」
「相手あんまりにも合わなさそうな人なのでちょっと憂鬱で」
しかもヤバい感じのやつでお断りできなさそうなんですよねと苦笑いすると、竜胆さんは眉間に皺を寄せた。
「もっとヤバい彼氏いるから無理っつっとけ」
「私嘘つけない性格なので…」
「今から付き合えばいいだろ、オレと」
「…竜胆さんと?付き合う…?誰が?」
「オマエ。結構優良物件だと思うけど?」
竜胆さんと。私が。付き合う…?またそうやって意地悪ばっかり…
「えーと…それはちょっと…」
「は?断るとかねぇから」
「横暴ですか?いや、そもそも色々おかしいですけど、とりあえずヤバさが足りないというか…」
「逆にオレよりヤベェやつそういねぇけどな」
「逆にそんなこと言われたら怖くて付き合えないですけど…」
「あー。まあオマエを危ない目には合わせねぇからダイジョーブ」
「…」
確かにシャツから覗く刺青とか纏う雰囲気はヤバそうだけど、そうじゃなくて。
さっきからずっと私を勘違いさせようとする竜胆さんに流石にどうしたらいいのかわからなくて眉をハの字に下げてボソリと呟いた。
「……今日の竜胆さん、なんかいつもと違いすぎて困ります…」
「好きな女が困ってるからそこに付け込んであわよくばってヤツ」
…好き?
「……竜胆さんって私のこと本当に好きなんですか…?」
「じゃなかったら彼氏になるとか言わねぇだろ」
「え、どこが…?いつもちんちくりんとか貧乳とかしか言わないのに…」
「からかうとおもしれぇとことか、あとホントは貧乳じゃないとことか?」
「……。思ってたのと違う」
その答えにやっぱり遊ばれてるとがっかりしてそう呟いたら、
「だからそういうとこ」
と竜胆さんは可笑しそうに笑った。
「ま、あとは趣味合うしな」
私も竜胆さんも周りにはゲームオタクなことを隠していて、こうしてゲームについて話せる人はお互いだけだったから本当に貴重な相手なのは間違いない。それはね、そうなんだけど。
知らない間に距離を詰められていて気がついたら隣にいた竜胆さんから少し身を引くと、「何避けてんだよ」と怒られた。
「あの…セフレとかじゃないですか…?」
「あ?ンだよ。オレってそういうイメージ?」
「出会いがあんなんだったし…」
「あれはストーカーだっつってんだろ。ンな猿みたいに盛る時期はとっくの昔に終わってるっつーの。オレが好きなのはオマエだけだし、ヤりたいのもオマエだけ。つかさぁ、なんとも思ってない女だったらあんなダセェ格好見られたら二度と話しかけねぇんだけど。普通わかるだろバカ」
信じられない展開に絶句していると、竜胆さんはごちゃごちゃウルセェみたいな顔をした後、「まあでもオマエはオレにガチ恋だし?」と言いながら薄い笑みを浮かべたあと、
「それに小せぇ頃から欲しいもんは奪えって教わってンだよな」
と言って竜胆さんは私の手を掴んで引き寄せて、そしてポカンと開いた私の唇に文字通り噛みついた。
「ッ!」
鈍い痛みとともに口の中にほんの少し鉄の味が広がった。竜胆さんの鋭い犬歯が当たったのか私の唇が切れたらしい。竜胆さんは私の唇をペロリと舐めると
「わり。がっついた」
と笑った。でも目は笑ってなくて瞳孔が完全に開いている。
「今はなんも考えなくていいからオレに食べられといて」
あ、マズイ。
私の意思なんて関係なく進められそうなのに、竜胆さんの瞳に見つめられると拒否する言葉が浮かばない。唯一浮かんできたのが
「ご、ゴムないので」
という最低な言い訳で、それに対して竜胆さんはコンビニの袋から0.01と書かれた箱を取り出して
「オレは生でもいいけどな」
と笑った。それを見て思ったことは、どーりでお姉さんが睨んできたわけだとか、今日下着可愛いのつけてたっけとかじゃなくて、この人もコンビニでゴムなんて買うんだ、だった。
◇◇◇
偶然知ってしまったうちの会社の裏の顔。私が普通に商品の輸入だと思ってやっていた仕事が実は人を殺せる武器の密輸だと知った時は熱が三日三晩出た。仕事をやめる、告発する、色々考えたけど、どれもやばい人たちから報復されそうで実行できないまま働き続けている。今回もその関係でお見合いをすることになってしまった。断れば命はないんじゃないかと思ってビビり倒した結果、イエスもノーも言わないまま笑っていたら気がつけばお見合いを受けるハメになっていた。
隣で眠る竜胆さんの半身には蜘蛛のような刺青がデカデカと入っている。腕の刺青はチラチラと見えていたけど、まさかここまでとは。こんな刺青を入れていても大丈夫な職業ってなんなんだろう。まさか本当にヤバい人…?
まさか、ね。
でも今回の件は日本最大の犯罪組織の梵天に目をつけられてるとかいう噂がある。さすがにそんな危ない橋を竜胆さんに渡らせるわけにはいかない。だからやっぱりお見合いはやめられない。
「何一人で百面相してんの…?」
「あ。お、はよう、ございます」
「ン…まだねみぃから寝る」
竜胆さんは眠そうに私の腰に抱きついてまたスースーと寝息をたてて眠りはじめた。起きたのは昼過ぎ。これで終わりかぁと思ったけど、本当に本気だったのか帰らない竜胆さんはそのままグダグダとうちで過ごして一緒にゲームをしてそのまままた私の部屋に泊まっていった。
「もうオレと付き合ってんだから見合い断れよ」
「あ、はい…」
「ん。イイ子」
その日の夜にその言葉を合図に竜胆さんは私を組み敷いた。そして私が朝目覚めたらその影も形もなくなっていた。一言、
『しばらく忙しいから連絡できねぇ』
と書き置きを残して。
◇◇◇
お見合いに着物はつきものだとわかっていたけどマジで苦しい。あとお相手が生理的に無理すぎて辛すぎる。女は口を挟むな的な感じで社長とお相手だけで進んでいくお見合いにホントいろんな意味で閉口しちゃう。
とってつけた笑みを貼り付けて美味しそうなご飯を苦しいお腹に詰め込んでいくのと反対に、高笑いをする二人の親父はお酒だけ嗜んでおいしい料理には箸をつけていない。美味しそうに脂の乗っていたトロもプリップリのエビの刺身も可哀想なくらい萎びている。食べ物を無駄にする人は嫌い。
そういえばこの間の竜胆さんはだし巻き卵を「あったかいうちに食べねぇともったいないだろ」って言ってすぐに食べてくれたっけ。そういうところも好きだったんだよなぁ。
あーあ。
結局あれからお見合いまでの二週間、竜胆さんから連絡はなかったし、私も連絡をしなかった。もともとお見合いを止める気はなかったくせに、ほんの少しだけ竜胆さんが本気で私を好きだったら一緒に逃げてくれたりしたのかな、なんて思った私はバカすぎる。
それにしてもお相手が無理すぎて、一人でも裸足で逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
いっそのことここに梵天でも乗り込んできてお見合い潰れたりしないかなぁ。
…その時は私の命もないか。それはさすがに困る。
そう思いながらズズっとお茶を啜っていたら、お客様!という言葉とともにスパーンと個室の障子が開けられて、背筋が凍った。
◆◆◆
一ヶ月前ー
急にヘッドセットを取られてイラッとした。
「ちょ、今話してる最中なんだけど」
「兄ちゃんにおかえりは?」
こうなったらちゃんと言わないとぜってぇ返さないのがわかってるから大人しく
「おかえり」
と言うと、兄ちゃんはよしよしとでも言わんばかりにオレにヘッドセットを返した。用事できたからまた連絡すると切り上げてゲーム機の電源を落とした。邪魔であげてた前髪を止めるピンを外してたら、
「ホント好きだな」
と兄ちゃんに鼻で笑われた。
「いいじゃん」
「つか誰と話してたわけ?鶴蝶?」
「鶴蝶ゲームクソ弱いから絶対一緒にやんない」
「え、鶴蝶ゲームやんの?ウケる」
兄ちゃんにその話題をされるのが嫌でこっちの家では兄ちゃんのいる時はゲームしてなかったけど、つい夢中になって帰ってくるのに気がつかなかった。なんとか話題を逸らそうとどうでもいい話題を振ったけど、結局
「で?なんでそんな相手隠そうとすんの?逆に気になンだけど?」
なんて言われた。最悪。
「別に。オンラインで一緒にゲームやってるやつ」
「ふーん。女?」
「さー?別にどっちでもいいけど」
「あー、ネカマね」
「〇〇は女だから!」
「へぇー〇〇ちゃんね」
あ。
「竜胆チョロ」
ホントムカつく。
「つかマジネカマじゃねの?ンなのゴロゴロしてんだろ。騙されんなよー?」
「大丈夫」
「なんで?」
「声女だし」
「へー。女で竜胆とやりあえるくらい上手いとか絶対キモオタだな」
「違ぇ」
「だからなんでわかんの」
「……」
何も言わないオレにネクタイを緩める手を止めた。
「もしかしてその女に惚れてんの?」
「別に、好きじゃねぇし」
オレのその答えを聞いて兄ちゃんがマジぃ?って顔で驚いた。
「顔も知らねぇ女だろ?なんでンなことになってんの」
「カオは知ってる」
「なんで」
「あっちの家の隣人」
「それ任務用に借りたとこだろ」
「まぁ。今回の的」
「は…?マジ何やってんのオマエ」
オレにもわかんないんだから兄ちゃんにわかるわけない。つか別に好きじゃねぇし。
◇◇◇
ココに次はこれ、とポイと投げてよこされたのは次の任務の資料だった。
「取引してた武器商がうちを蹴って別んとこと手を組むとかナメた真似し出したから、その会社潰すことになった。潰す前に武器輸入のルート管理してた秘書の女から情報取んのが今回の仕事。生死は任せる」
めんどくさ。
相手が女ならとっととヤッて吐かせんのが一番楽。相手が良い女、特に胸のデカい女だったら別にヤんのは悪くねえし。でもシた後ベタベタしてくんのとか愛の言葉を求められんのとか吐き気がするくらいめんどい。こっちはどうでもいい女に無駄打ちして賢者タイムだっつーの。
写真の標的の顔を見ればとんだ真面目ちゃんで、本気になったらめんどくせぇなって感じで。ホントやる気出なくて、あ゛ーマジダリィなんて誰かの株を奪いそうになった。
資料を見る気もなく適当にパラパラとめくっていたら、今回の標的のページの「好きなもの」という項目の中にオレが最近ハマってるゲームの名とご丁寧にもユーザー名とIDも書かれていた。ンなこと調べる暇あったら自分でやれよとココに言ってやりたかったけど。
ふーん。軽く遊んでやろ。
腹いせだった。オマエのせいでオレがゲームする貴重な時間が潰れんだからボコボコにされてストレス発散させろって感じ。
で、家に帰ってゲーム機を立ち上げて検索かけたらちょうど向こうもゲーム中だったらしく、対戦を申し込んだ。どうせ女だしヘタの横好きだろうし瞬殺してやろ。
そう思っていたのに。
自分の目の前に飛び込んできたのは『You Lose』。
ボロ負けした。完膚なきまでに。
ハァ…?カッチーンきたわ。何コイツめっちゃムカつくんだけど。ぜってぇ泣かす。
それから死ぬほど特訓して。兄ちゃんにピコピコウルセェと言われても、あいつの隣人を追い出して隣に住み始めても、任務そっちのけで特訓しまくった。対戦して勝ってから始める。じゃねぇとやる気になんねぇ。
とはいえココから催促されるしとりあえず軽い関係だけ作っとくかと思ったけど、あの女はこんなイケメンが同じエレベーターに乗ってても、隣に住んでるってわかっても、一回も話しかけてこないどころかこっちを見もしねぇ。
仕方ねぇからこっちから話しかけてやるかと思ってもいつもイヤホンしてるし、エレベーターの中でもひたすらゲームをし続けていて全く隙がない。ちなみにそのゲームはオレもやってて、そのタイミングで出た新キャラはあんまりにも出なくてガチャのタップすんのがめんどくさくなったから宝具3で止めたのにそいつは宝具5になっててマジでキレそうになった。何300%まで貯めてんだよさっさと宝具使えマジムカつく。
って感じでこっちから話しかける気にもならなくてズルズルと何も進まない時期があった。ココからの再三の催促で仕方なくうちの構成員の女使ってそのまじムカつく女と接点を作って、話すくらいの関係にはなった。
それからしばらくして。その日は久々に完全オフで任務用のマンションの方でゲームの特訓をしてた。ちょうどいいとこでかかってきた兄ちゃんからの電話を放置していたら
「りんどー」
「今どこ」
「兄ちゃんりんどーの飯食いたいんだけど」
「この間任務代わってやったよな?」
「返事くるまで送り続けるから」
なんて鬼ラインが送られてきた。仕方なく「今ダメ、ちょっと待って」と手早く連絡した。
あと少し。あと少しで終わる。そのめちゃくちゃいいところでピンポーンとチャイムが鳴った。
に・い・ちゃ・ん…!!!
ホントムカつくと思いながらあえてドスドスと足音を立てて思いっきりドアを開けた。
「兄ちゃん今ダメだって言ったじゃん!!」
「…え?」
「え…?」
やっっっべ
そこにはきょとんとした顔をした任務対象の女が立っていた。まだ本格的にハニトラは始めてないけどさっさと終わらせたいからコイツの前ではいつも高いスーツとかブランド物を感じ良く着こなすようにしていた。女ってそういうの好きだし。なのに今は…
ゲーム用のくそダサいメガネに邪魔な前髪をテキトーにピンで留めてる。きわめつけは高校の時のジャージ。なんか知んねぇけどこのジャージの肌触りが好きでたまに部屋着に使ってる。ちなみにこの頃兄ちゃんが「りんどーめんどくさがりだから兄ちゃんが名前書いてやるわ」とか言って笑いながら平仮名で『はいたに』って書いたんだよな………。
最悪。
「あの…今、大丈夫でしたか…?」
「どう見てもダメだろ」
「すみません……」
終わったな。兄ちゃん、は顔似てるし三途か誰かに頼んで代わってもらうしかねぇわ…。
犯したことない失態にお門違いなのはわかってるけどこの女にイライラした。今まで自分から話しかけてきたことねぇくせになんでこんな時に限ってうち来んだよ意味わかんねぇ。
開け放っている扉から聞こえてくるゲームのサントラがまた滑稽で、とりあえずもうコイツに媚び売る必要もねぇし、「さっさと帰ってくんねぇ?」と冷たく言い放とうとしたら
「竜胆さんもこのゲームやるんですね。私も好きです」
と話しかけられた。
「…まぁな」
「よかったら今度勝負しませんか?結構自信あるんですよ。これ一人より何人かでやったほうが楽しいですし」
確かにせっかく特訓したし、最後にコイツとやってボコボコにしてから終わらすか。
「あー、やる」
「約束ですよ!あ、そういえば枝豆お好きですか?たくさんもらって茹でたのでもしよかったらもらってください」
「いらねぇけど、もらっとく」
「え、どっちですか?」
仕方ねぇから手を出すとコイツはオレに皿を渡してそれじゃあ、と帰ろうとする。オレはなぜかその手を掴んで、
「兄貴が来るって連絡してきたから間違えて…ホント…見なかったことにして…」
と弁解をしていて、それに対してコイツは「これでおあいこですね」とけらけら笑い出した。
「は?」
「初めて話した時私もすっぴんで竜胆さんに会っちゃって死にたかったですもん」
そうだったか?こいつがすっぴんだったとか死ぬほどどうでもよくて覚えてねぇわ。
「オマエのすっぴんと一緒にすんな」
「なんでですか?女のすっぴんなんてもはや裸みたいなもんですからね?」
「言い過ぎだろ」
「本当です。むしろ竜胆さんのそのはいたにジャージと一緒にされるのは心外です」
「さりげなくディスるな」
「ディスってないですけど。なんかそのひらがななところに竜胆さんは先生の言うこと聞かない不良だったんだろうなって感じました」
「まぁせーかい」
そう言うと女は笑って帰って行った。
変な女。生きてる世界が世界だからかもしんねぇけど、今までの女はオレの顔か『灰谷』の名に媚び売ってくるか、ブランド物以外を着る男は論外みたいな奴ばっかだった。
でもコイツはノーメイクで出歩くし(覚えてねぇけど)、ゲームが好きだし、巨乳だし、それに顔も……。
今になってコイツが意外とオレのツボを押さえてることに気がついたけど、いや、やっぱオレよりゲーム強い女とか絶対ェねぇわと考えるのを止めた。
◇◇◇
後日最終調整をして女と予定を合わせて対戦したら難なくオレが勝った。
「わー、竜胆さん強い!完敗です!」
そう言いながらも悔しそうにする女にここ最近になく気分がよくなって「まーな」と返した。
「オマエも結構強いな」
「やりこんでるので。負けて悔しいです。またやりましょうね!次は勝ちますから」
「ンなの返り討ち」
「いや、特訓してきます!待っててください!」
ほんの少し前の自分を見てるみたいで笑えた。とりあえずコイツの印象は悪くなさそうだしいけそうだからそろそろ仕事すっかと頭を切り替えた。
「…つかさ」
「はい?」
「ひいたよな。あんなカッコしてゲームとかしてさぁ」
「え?別に。私もゲーム趣味ですし。むしろ竜胆さんよりオタクだと思いますけど」
「まあ〇〇宝具5にしてるくらいだしな」
「な、なんで知ってるんですか」
「エレベーターで見た」
「プライバシーって知ってます?」
「オマエが勝手にやってたのが見えただけだし。見た目の割に中身喪女だなって」
「前は喪女じゃないって言ってたのに。…竜胆さん、本当は意地悪ですね?猫被りにも程があります」
「それを直接言うオマエの方が失礼だろ」
「すみません。つい本音が…」
「おい。まぁオマエもどうせスーツとかブランドもの着てる男の方が好きだろうしな」
そう言って鼻で笑うと、
「それはどっちでもいいですけど。私は私の趣味に理解のある人が好きです」
と本当にどうでも良さそうに答えた。
「あー、それはわかる」
「ですよね。ゲームの邪魔されたら私はキレます」
「それじゃ絶対彼氏できねぇだろ」
「いやいや、いますよ、どこかに私のことわかってくれる人が!」
「少女マンガの読みすぎ」
「いるんです!それに竜胆さんにだっていますよ。どこかにきっとはいたにジャージを着てる竜胆さんがいいって言う運命の相手が」
そう笑った顔はまるで自分はその相手ではないとでも言いたげの顔で。なんかムカつく。
「オマエはイヤなのかよ」
「え、私は別にいいですけど…」
「ならオマエがいいんだけど」
任務のためにそう言ってやれば、コイツは顔を真っ赤にして
「そういう冗談慣れてないんでやめてください…」
と急いで部屋に入っていく姿を見送ったら、知らないうちに自分の口から「ンだあれ、かわい」と漏れていた。
…は?かわいい?
ンなわけねぇだろ。
だけど、話したり一緒にゲームするたびにこいつの隣居心地悪くねぇなってなってきて、だんだん任務を忘れてアイツを揶揄うのが楽しくなっている自分に気がついた。
情報なんてとっくに取った。なのにまだその情報をココに渡さずにアイツの隣に住み続ける時点でおかしい。それでアイツが見合いして情報が他に漏れる可能性があるから早く情報取れと最終通告を受けて焦ってコンビニでゴム買ってんだからもう笑える。一回ヤれば気が済むだろ。そう思ったのに隣で可愛い顔して寝てる姿を見てたらその場から動けなくなって結局朝を迎えた。そしたら離れがたくて次の日も泊まって。
あー、もう無理だなってなった。
クソ。まじだっさ。
アイツが見合いを止める気がないこともオレのことを本気にしてないこともわかってた。自分で言ってたけどマジで嘘つくのド下手だわ。
だからって、オレとの約束破って見合いに行くのはねぇよな?だからまァ、自分が誰の女がわからせてやるしかねぇわけで。
こうなったらダサついでにもっとクソダセェことするかと、そのための下準備のために離れがたい気持ちをグッと堪えてすやすやと眠るコイツの頭に軽くキスをして部屋を後にした。
情報じゃなくて情報源連れてきたって言ったらココどんな顔すっかな。どうせなら派手にやるかと決めたら、こめかみに青筋のたった超キレたココの顔がポンと脳内に浮かんできて笑えた。
◇◇◇
お客様困ります!という言葉とともにスパーンと個室の障子が開けられた。私たちの固まった空気を読まずに
「どーもー」
と能天気に現れたのはグリーンがかったストライプのスーツを完璧に着こなす隙のない麗人。障子に手をかけて不敵に笑うのは見知った竜胆さんで…。
「何だ君は。無礼な」
と眉を顰めるお相手に可哀想なくらい震えて青ざめる社長。
「も、もしかして貴方は…!?」
「うっせ。お前らには用ねぇの。ゴカンダンでもしてれば?」
どうせ後少しの命だしな、なんて二人に嘲笑を浴びせかけた後、竜胆さんは見たことない無表情で私をその紫の瞳に映した。
「なー」
「え…」
「なんでこんなとこいんの?行かねぇって約束したよな?」
なんでこんなところに、は私の台詞だし、何が起こっているのかまるでわからない。
「竜胆さんこそ、どうして…」
「オマエ嘘つくの下手すぎて笑えたんだけど」
そう言いながらこちらに向かってゆっくり歩いてくる。畳の上なのに傷ひとつない革靴を履いているそのアンバランスさが今の状況のおかしさを物語っていた。
竜胆さんは私の前でピタリと止まって、そして私の前でしゃがんで「オレのこと好きなくせに。ホントバカだろ」と私の顔を覗き込んだ。
「でもさぁオレもバカだから、頭も顔も悪くねぇし胸もデカイし相性めっちゃいいし、オマエのこと惜しくなったんだわ。だから返事ははいかイエスしか聞かねぇ」
「え…?」
「オレと地獄に落ちる覚悟ある?」
そこでようやく気がついたのは竜胆さんの首の刺青。普段タトゥーを隠す用のシールで覆われていた首元が今日は覆われていない。そしてそこには花札の『芒に月』のような刺青。それはどこかで見たことのある梵天の印。
まさか、まさか、本当に…?
ヒュッと息を呑んだ。ここで断ればどうなるんだろう。殺されるのかな。でも竜胆さんは笑っている。それはいつもの意地悪な竜胆さんじゃなくて、もっと…
「まあ、返事とか聞いてねぇけどな」
「え?」
「だから、欲しいモンは奪う主義っつったろ?」
そう言うと竜胆さんは俵みたいに私のことを抱きかかえた。
「わっ」
「オマエ着物似合わねーな。巨乳だから?帰ったら脱がせていい?あれやってみたいんだけど。あーれーとかってくるくる帯取るやつ」
「は、はい?こんな時に何言ってるんですかぁ…!?」
◇
「なー、ゲームしよ?」
甘えた声を出してくるけどここは心を鬼にしないと。後で九井さんに怒られるのは私なんだし。
あんなに超絶失礼なことばっかり言ってきた人が、付き合ってみたらこんなに甘えたになるなんて誰が思うだろう。やっぱり弟属性は怖い。
「竜胆さん、仕事まだ終わってないですけど」
「もーいいじゃん。何が悲しくて恋人と一緒にいんのにこんな色気のねぇことしないといけねぇの?」
「それは竜胆さんが全然仕事しなくて家でもやれって九井さんに言われたからですよね…というかゲームは色気あります?」
「あるだろ。ありまくり。つかオマエが可愛いのがいけないんだけど?隣にいたら仕事する気起きねぇわ」
自分で引き込んでおいてまったく…。
あの後竜胆さんはうちの社長になって、うちの会社は梵天の傘下となった。そして取引先のあの会社は梵天に潰された。私は今竜胆さん付きの秘書をやっている。ちなみに聞きたくないし聞かないけど、あれ以降前の社長の姿もお相手さんの姿も見ていない。
「ほんっと仕方のない人ですね」
「ふーん。ンなこと言っていいの?せっかく可愛い彼女にプレゼントあんのになァ」
…ダメダメ。心を鬼にしないと。
「いらねぇなら他の女にやるかなー」
他の女なんていないっていつも言ってるのは自分なのに…。…いや、だめだって。
「せっかくの記念日にプレゼント用意する優秀な彼氏なのに彼女に無視されるなんて可哀想すぎねぇ?」
………あー、もう!!
「あとで九井さんに怒られても知らないですよ!!」
「よしきた。いつものやつな」
「今日は絶対竜胆さん負かします」
「言ってろ」
3
「そういえばプレゼントって何ですか?」
2
「結婚指輪。始まんぞ」
1
「…ちょ、え!?」
GO
私がボコボコに負かされたのは言うまでもない。
「ず、ズルい…」
「バーカ。ズルしなくてもオレが勝つに決まってんだろ」
そう言って私の手を取って左の薬指にキラキラと輝く指輪をはめた。
「籍入れらんねぇけど。これから灰谷名乗ってくれる?」
「………うー」
「ンだよ。ヤなのかよ」
「嬉し泣きに決まってるじゃないですか」
「は?ムカつくんだけど」
「え、なんで?」
「可愛すぎ」
竜胆さんは反社だったし、気がついたら梵天の悪事の片棒かつがされてるのに。
なぜか私が思い描いていたありきたりな結婚みたいになっていて思わず笑ったら竜胆さんに「笑ってんな」ってデコピンされた。