最低最悪のプロポーズのやり直しを要求します




※キャプション必読



残念ながら私はまともな恋愛をしたことがない。

小さい頃から高校まで片想いしていた近所のお兄ちゃんには告白できずに終わったし、大学に入ってできた好きな人に勇気を振り絞って告白した結果、お付き合いはできたけどすぐに浮気されて別れることになった。そういうことが何回か続いたからそれなら次は私のことを好きになってくれる人と付き合おうと告白してくれた人と付き合ったのに、どうやらそれはうわべの好きだったみたいで私以外にも「好き」という女の人が三人いて、つまり私はセフレでしたというオチ。

世の中に普通のカップルは死ぬほどいるはずなのになんで私はその普通に辿り着けないんだろう。とにかく次こそはちゃんとした恋愛がしたい。

そう思ってるけどこんなところに勤めてる時点で普通の恋愛なんて難しいんだろうな。

「九井さん、終わりました…」
「ン…。じゃ、今日は帰れ」
「え、でも」
「いいから」

私が勤める会社はいわゆる反社というやつで、日本一の犯罪組織と言われている梵天の事務をやっている。私たち事務員を雇っているのは梵天幹部の九井さんで、梵天のお金管理から、風俗経営、武器の仕入れ、その他資金源になりそうな業界とのコネクト作りなどを一手に担っている。それぞれを担当する事務員が何人かいるけど私は武器担当で、ここ最近はいい値段で質の良い火薬を扱う裏業者との調整であちこち駆け回っていたので正直めっちゃくちゃ忙しかった。でも九井さんは私以上に忙しかったから、その九井さんを置いて帰るのはなんだかしのびない。

それでも九井さんから「キリついた日くらい楽しめ」と言われてようやく「ありがとうございます」と帰る気になった。

帰り支度を終えて廊下を歩いていると向こうから紫色の奇抜な髪型にライトグリーンの着る人を選びそうなスーツを着こなした人が歩いてきていることに気がついた。ポケットに手を入れて歩くその姿はモデルかな?と思うくらいに様になっていて、つい見つめていると向こうもこちらに気がついて薄い笑みを浮かべた。

「おつかれ」
「お疲れ様です」
「最近どう?」
「え、ぼちぼち、でしょうか」

私がそう言うと灰谷竜胆さんは「ンだそれ」と今度は口角をニッと上げて笑う。

灰谷さんは九井さんの同僚で、普段は事務所じゃなくて別のアジトにいることが多い。灰谷さんは顔がよくて、おしゃれで、地位もあって、そしてやっぱり顔がいいとうちの女性陣に人気なので、彼が九井さんに会いにうちに来るとなるとみんな信じられないくらい気合を入れたメイクをして彼が好きだと噂の香水をこれでもかと振りかける。だからその日は男性社員が何も言わずにそっと窓を開けるのが暗黙の了解らしい。

そんな文字通り高嶺の花と私がこうして話すようになったのは、九井さんにアジトに書類を持って行ってほしいと頼まれた帰りたまたま灰谷さんに会って、「オレ今からココんとこに用あんだよね。ついでに乗せてって」と声をかけられたのがきっかけだった。

その車中で「ココんとこの女ってみんな香水とか化粧とかの匂いヤバいけどオマエはそんなことないのな。オレあの匂い苦手だからよかったわ」と言われてグッと息を呑んだ。実は私も灰谷さんにこっそり憧れる女の一人で、灰谷さんが来ると言う日は化粧をばんばんにしてたからだ。その日はまさか事務所に来るだなんて思いもしなかったし、アジトも広いからまさか会うだなんて思ってなかったから油断してただけだった。

「いえ…あの…」
「ん?」
「私も、その、灰谷さんがいらっしゃる日はもっとちゃんと化粧してます…」

曖昧に笑って誤魔化せばいいものをそうできないのは、私もちゃんと化粧しますという女の謎のプライドだったりする。でも私の言葉を聞いて灰谷さんはニヤリと笑った。

「それ、遠回しに告白してね?」
「えっ!いえ、告白じゃないです…さすがに」
「ふーん。でもオレがいる時は気合入れんだ?」
「それは、そうですけど。灰谷さんはみんなの憧れですし。だからこんなすっぴんみたいな顔で会いたくなかったなって思ってます」
「ハハッならまた見せて」

緊張してたから他に何を話したかあんまり記憶にないけど、その後に「あの香水、灰谷さんが好きって噂になってるからみんな使ってるらしいですよ」と言うと「あー。なんか適当に言ったかもしんねぇけど覚えてないわ」と臆面もなく返してきたのでこっちが呆気に取られたことだけはよく覚えている。みんなが必死になってるのに当の本人には全く響いてないとか悲しすぎるな、と自分も一緒のはずなのになぜか他人ごとのように思ってしまった。

私たちがこうして話すのは会社に着くまでの一時のものでこれが終われば元の手の届かない憧れの幹部となんでもない平社員に戻る。そして私は灰谷さんが来ると聞いても化粧品が臭わない程度のナチュラルメイクにとどめるようになった。

で終わるはずだったのに、そうじゃなかったのは灰谷さんが思ったよりも気さくな性格だったからだ。

「灰谷さんは最近いかがですか?」
「んー、ぼちぼち?」

ンだそれ、と言っておきながら真似してくる灰谷さんにほんの少しだけムッとして「マネしないでください」と返すと「いいじゃん」と私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「わっ髪!崩れちゃったじゃないですか!」
「今の方が良いから大丈夫」
「それはそれで複雑です」
「ホントオマエの反応面白くて好きだわ」
「すっ」

灰谷さんにとってはきっと挨拶程度の言葉だけど、こっちにしてみれば芸能人並みに憧れている人に言われたんだから嬉しくないわけがない。この一言で疲れが吹っ飛びそうだと髪型を貶されたことも忘れて「あ、ありがとうございます」と返した。



「そーいやこの後暇?」
「今から帰るとこなので特には何もないですけど…」
「うちの店こねぇ?視察がてら酒でも飲もうと思ってんだけど一人で飲んでもつまんねぇじゃん?」

どこかの会社まで送って、とかの頼み事かと思ったけどそれは予想に反したお誘いだった。

「お店ですか?」
「そ。クラブ」

そういえば灰谷さんが経営してるクラブは好調で結構な上納金をあげてると有名だった気がする。

クラブか…。久々に早く帰れたし家のことしたりネイルしたりしたいし…。でも憧れの灰谷さんとクラブ…。

「前に行ったことねぇって言ってたし、社会勉強させてやるよ」

社会勉強させてやるよ、なんてイケメンじゃなかったら、は?ってなるけど、灰谷さんはそうならない。なぜならイケメンで、言った瞬間顔を傾けた仕草がかっこよくてかわいくて、そして憧れの人だから。

天秤は当然クラブに行くに傾いて、「勉強させてください!」と答えた。

「あ、着替えてくるので少しだけ待っていただいてもいいですか?」

九井さんの付き人として他の企業に着いていくとき用のブランドのワンピースがロッカーに置いてあることを思いだしてそう言うと灰谷さんは
「なら前言ってた本気の化粧してきて」
とニヤリと笑った。

「え゛」
「クラブ行くんだし。な?」

化粧の匂いが好きじゃないと言われたのにガッツリ化粧しろってなかなか酷なお願いだと思う。それでも言われたからにはとケバくならない程度に、でも急いでメイクをして灰谷さんとの待ち合わせ場所に向かうと壁にもたれかかってタバコを吸っている灰谷さんを何人かの女性が取り囲んでいた。うちの中でも美人と言われている人たちばかりでそこに入っていくのは躊躇われる。

「竜胆さん、今日お時間ありませんか?すごく美味しいワインが飲めるお店があるんですけどよかったら」
「へー」

そう答えながらタバコの煙を吐く灰谷さんはいつもよりも大人びた表情で笑った後、いつ気がついたのか私の方を見て「声かけろって」と手招きをした。私がおずおずと近づいていくと灰谷さんは私の肩に手をポンと乗せた。

「今日はまだコイツと仕事あるから行けねぇわ。また今度な?」
「えー、残念です」
「次の仕事は私にご一緒させてくださいね?」
「考えとく」

灰谷さんはそう言って彼を取り囲む女性たちに軽く手をあげた後、私の背を軽く押して歩き始めた。

灰谷さんは仕事だけど私はただクラブに遊びに行くだけなので若干の気まずさを覚えていると「オマエも社会勉強なんだから仕事のうちな?」と私の考えを見透かしたように笑った。ちなみに私達を見送る女性陣の視線が痛すぎて死ぬかと思ったことを付け加えておく。





「え、ここですか!?」
「そ。知ってる?クラブじゃ割と有名だと思うけど」
「知ってるも何も…」

日本で一番稼いでるクラブって有名なところじゃん。まさかここが梵天の資金源の一つだったとは…。普段担当してるのが武器関連だとは言え知らなかったことが恥ずかしい。

ぽかんと口を開けてそのクラブを見続ける私の背中を灰谷さんは優しく押した。

「楽しんでって」

音楽がガンガンと鳴り響く中、VIPのみのエレベーターで2階に上がって、その一番奥に置かれた革張りのソファに誘導される。

はじめてのクラブでこんな席に座るとか逆に社会勉強になってない気がする。そわそわと周りを見渡していると灰谷さんが「慣れてねぇ感出し過ぎ」と鼻で笑った。

「だって。慣れてないんですもん」
「だよな」

竜胆さんはもちろん慣れた様子でぱぱっと飲み物を注文して、ソファにもたれかかった。

「うちの会社のやつとか結構ここ来てんだけどな。誘われねぇの?」
「残念ながら会社と家の往復しかしてなくて。灰谷さんに誘われなかったら一生来なかったと思います」
「ふーん。ココ、オマエのこと働かせすぎじゃね?つーかいつまで灰谷って呼んでんの?兄貴もいんだから名前で呼べって言ってんじゃん」
「そんな恐れ多い」
「オレがいいって言ってんだからさ」

それじゃあ…と私は頷いて竜胆さんの名を呼ぶと竜胆さんは「ン」と小さく頷いた。

すぐに運ばれてきたグラスで乾杯して、それからは竜胆さんは私になんで梵天に入ったのか聞いて、私はなんでクラブを経営することにしたのか聞いて、そんななんてことないやりとりをしていればあっという間に終電の時間。社会勉強になったかはよくわからないけど、明日の活力もらえたしそろそろ帰ろうとカバンに手を伸ばすと竜胆さんに「なぁ」と話しかけられた。

「なんですか?」
「オマエって男いんの?」
「えっ。きゅ、急にどうしました!?」
「なんとなく。可愛いのに男っけねぇなぁって思って」

か、かわいい!?

過去私にそんなこと言ってきた人は私のことをセフレ扱いしたアイツか片思いを拗らせた二つ上のお兄ちゃんくらいしかいない。

「そんなこと言って、どれだけファンを増やせば気が済むんですか!?」
「何キレてんの?」
「あ、すみません。実は私男運なくて。浮気されたり知らない間にセフレになってたりっていうのが多いのでちょっと勘違いに敏感になってました」
「へー。見る目ねぇな、そいつら」
「…」

だから!!そういうとこ!!

私がまた勝手に怒り始めたことに気がついた竜胆さんは笑って
「マジで可愛いと思ってんだけどな」
と私の頭を撫でた。その竜胆さんからはなんかとてつもなくいい香りがするし、見上げた竜胆さんの顔がいつもよりもさらにカッコよく見えて体がぞわっとした。

ここにいたらヤバい気がする。直感でそう思った瞬間私はバッと立ち上がって「私!帰ります!社会勉強ありがとうございました!」と叫んでいた。

「は?」
「明日も早いので!失礼します!」

どこの体育会系?っていうくらいの勢いでカバンを抱きしめて逃げた。後ろから「おい」っていう竜胆さんの声と「お客様!」と私を呼び止めるクラブのスタッフさんの声が聞こえてきたけどそれももちろん無視。多分私はあのクラブは出禁になったと思う。

でも今の私にはそんなの気にしてる余裕はなかった。

あっぶなかった。落ちるところだった…。

いや、竜胆さんみたいな人が私を相手にするわけないのは分かってるけど。でもこっちが勝手に勘違いすることはあるわけだし。

現に竜胆さんや他の幹部の人に片想いした結果、最終的にうちの会社を辞めていく人は何人も見た。その人たちがバッサリ振られたのかそれともワンナイトしたのか、はたまたセフレや恋人になってから別れたのかは知らないけど、本気にして実った話なんて聞いたこともない。だからあんなカッコいい反社の男なんて好きになっても絶対に泣くのは自分。ほんの少しだけ、もし竜胆さんが相手してくれるならワンナイトくらいアリだったんじゃないかな、と惜しくなるバカな自分がいるけど、これでよかったんだと自分に言い聞かせた。



◇◇◇



翌日会社に出勤すると私の席で優雅にコーヒーを飲む人がいた。まあ竜胆さんなんですけど。事務室の入り口あたりで固まる私に気がついた竜胆さんは顔だけこちらにぐるりとむけて「はよ」といつもと変わらない様子で挨拶をしてきた。

「…おはようございます」

それでも私の席から退く気配はなくてコーヒーを飲み終わった後、今度はタバコに手を伸ばす。

「あのー、そこ、私の席なんですが…」
「借りてる。ダメだった?」
「…いえ、どうぞ。それで、どうされました?」

私がそう言うとやっぱり昨日も泊まり込みだったのか朝イチから目の下のクマがくっきりとできている九井さんに「昨日聞いてねぇのかよ」と首を傾げられた。

「昨日?」
「話す前に帰ったからまだ言ってねぇわ」
「昨日何しに行ったんだよ。せっかく早く帰したのに」
「…ん?」

話についていけなくて今度は私が首を傾げると椅子に座った竜胆さんが私を見上げてきた。

「オマエ明日からオレと出張になったから」
「え?そうなんですか?」
「そー。例の火薬の件、直接出向いて交渉することになって、向こうからオレ指名されたからオマエにサポートについてきてもらおうと思って」

昨日その話しようと思ったのに先帰るとかさぁ?と私をなじるように見つめる竜胆さんに「うっ」と目を背けた。勝手に勘違いして逃げた自分が恥ずかしくて穴があったら入りたい。

っていうか九井さん、言っといて!?それ聞いてたら勘違いしなかったから!

なんて完全に人のせいにして九井さんの方をジトっと見れば、当たり前だけどこっちの事情なんて知らない九井さんに「何ガンつけてんだよ」と怒られた。

「すみません…誠心誠意サポートさせてください…」

誰もが羨むそのポジションにつくことになって昨日までの私だったら飛び上がって喜んでいただろうになんでかほんの少しだけ「やっぱり勘違いだったか」と悲しくなったのは気のせいだと思う。



[newpage]



翌日、竜胆さんはわざわざうちまで迎えにきてくれた。必要なものを車のトランクに詰め込んで出発したけど山奥も山奥で東京からなんと六時間もかかった。こんなとこに住んで火薬を取り扱うなんてどこのゴッドファーザーよとよく知りもしないで勝手にコワモテのおじいさんを想像していたけど、待っていたのはふくよかな初老の女性。という言い方は優しすぎる。

めちゃくちゃ怖い。っていうかあの人に似てる。

その人と取引の話をしている間、誰にも言えずに悶々としていたけどその人が席を外した瞬間に二人で顔を見合わせて
「なぁオマエってジブリ見る?」
「荒地の魔女ですよね!」
と言うくらいには某有名アニメ映画のキャラクターに似ていた。

そのあと接待飲みが夜通し開かれて、翌日も取引の話が終わった後の接待。ようやく取引が締結した私たちは疲労困憊で帰りの車に乗りこんだ。

「あー、マジしんどかった」
「しんどかったですね…」
「オレあんま仕事頑張るキャラじゃねぇんだけど?」
「まさか向こうの社長さんが竜胆さん目当てだったなんて思いもしなかったですね。どうりで竜胆さんを指名したはずです。荒地の魔女だからハウルに執着するんですよ。竜胆さんイケメンだしハウルピッタリ」
「オレ失恋で癇癪とかおこさねぇから」
「え、意外と詳しい」

私としてはジブリをしっかり見てる竜胆さんが意外すぎるんですが。でも女の子にモテてるところとか人をその気にさせる悪い男なところとか結構似てると思うけど。もちろん言わないけど。

「マジでオマエが飲み比べって言い出さなかったら相手させられてたかもと思うと吐きそう」
「事前情報でお酒好きって聞いてたので色々準備してきてましたけど、竜胆さんよりお酒を取ってくれて良かったですね。日に日に仕事の話しかしなくなるまじめな竜胆さんが見れて面白かったです。早く終わらせたい感がひしひしと伝わってきました」
「そりゃさすがに相手は選びたいわ。つーかオマエ酒強くね?」
「それだけが取り柄です!」

そんな会話を帰りの車の中ですれば竜胆さんは「ほんとおもしろ」と笑った。

私は私で向こうの男の人に飲み会中ベタベタされて本当に参った。竜胆さんがたまに話を振ってくれなかったら結構やばかったかもしれないから、竜胆さんが荒地の魔女とどこかに消えなくて本当によかった。

なんだかこの出張で竜胆さんとのいい関係が築けた気がするし、なにより上司として尊敬できたからこれからは九井さんのように仕事の面での憧れの上司になった気がする。ほんと、そういう面でも無事に終わってよかった。

私が安堵のため息を一つつくと、隣で竜胆さんは大きなあくびを一つした。

「流石に疲れたわ、ねむ」
「大丈夫ですか?運転かわりますか?」
「マニュアル運転できんの?」
「すみません…。どこかで休憩していきます?」
「んー。あー、じゃああそこにするか」

そう言う竜胆さんの視線を追えばそこには建物が一つ。こんな山奥に洋館なんて密室殺人が起きちゃうんじゃないの、なんて現実逃避をしたくなったけど、それはもちろんラブホ。

「は、はぁぁぁ!?」

え、さっきまで無事に終わってよかったとか言ってたのは誰ですか?

「や、ちょっとそれは…」
「もう眠くて目あかねぇから無理」
「え、ええ

何この展開。いやでももう竜胆さんは道を逸れてそちらに向かい始めたからどうしようもない。まあ、私たちになんかあるはずないし、そう思って近くなっていくホテルに先程とは違うため息をついた。


◇◇◇


竜胆さんは適当に部屋を選んで部屋に入るなり「まじねむ」とベッドに倒れ込んだ。ベッドは一つしかなくて椅子はそのベッドの脇に一つあるのみ。とりあえず竜胆さんが起きるまでその椅子に座って仕事でもするかとベッドに近づくと竜胆さんが私の手を掴んだ。

「一緒に寝ねぇの?」
「私は仕事するので気にせず寝てください」
「やだ」
「え?」

やだとか駄々っ子ですか?と言う前に手を強く引かれて竜胆さんの腕の中にダイブしてしまった。

「わっ」

竜胆さんは私をまるで抱き枕のように抱きしめて「あったけー」と呟いた。バタバタともがいても絶対に離してくれない竜胆さんに負けて体の力を抜くと竜胆さんが私の体を抱きしめ直す。

「ほんとあったかいわ」
「それって私が子供体温だって言ってます?」
「ちげぇよ」

じゃあなんで私を抱きしめるんですか。そんなこと聞いたらさすがにまずい気がする。信じられないほどドキドキする心臓に竜胆さんは私の耳にフッと息を吹きかけてきた。

「ひゃっ!?な、何ですか!?」

私の問いに答えずに今度は私の首筋に顔を埋めたかと思ったら、そこにちゅうと吸いついた。

「り、竜胆さん、ほんと、やめてください!」
「ん、子供相手にこんなことしねぇよってわからせてやろうと思ってさ」

そう言って今度は私をベッドの上に縫い付けた。その顔はいつもよりもさらに色気たっぷりの男の顔。気が付いたらもう唇は触れそうなくらい近い。

「え…あの、あの」
「あのさー、オレめちゃくちゃ我慢してんの」
「が、我慢…?」
「そりゃこんなふうにくっついてたらシたくなんに決まってんだろ」
「は!?え、ちょ、」
「襲っていい?」
「え、や、ダメ、です」
「なんで?」
「だって…そういうのは」

恋人がするもの、と反論する言葉を飲み込むように竜胆さんは私にキスをした。

気がついたら私の服はすべて脱がされていて竜胆さんにいいようになかされた。夢見心地のまま涙を流すと竜胆さんはまるで恋人にするみたいにその目尻にキスをして「あー、まじ最高」とこぼした。



◇◇◇



やってしまったと今更後悔しても遅いけど、じゃあ何が正解だったのかと言われるとわからない。私がマニュアル車運転できないからいけなかったの!?そう思って教習所を調べてみたけどそんな特殊な状況二度もあってたまるかとホームページを閉じた。

まぁでもワンナイトなんてよく聞く話だし。竜胆さんめちゃくちゃお疲れだったから、ちょっと下品だけど疲れマラ的なやつ?だろうしこれはいい思い出として取っておこう。

そう思ったけど、それからしばらくして竜胆さんから「オマエんち行っていい?」という連絡が入った。さすがに二度目はよくないと断ろうとした瞬間、部屋のチャイムが鳴って「もう着いたわ」と笑う。

絶対に仕事の話をして終わる。そう思ってパソコンを叩きながら竜胆さんと仕事の話をしていたはずなのに気がついたらソファに押し倒されていた。竜胆さん、こわい。

一回目は色々久しぶりすぎてよくわからなかったけど、二回目になるとよくわかる。多分私たちはめちゃくちゃ体の相性がいい。多分それは竜胆さんも思っていて気がつけばその関係は三回目、四回目と続いて今ではメールひとつでヤれる立派なセフレになってもうすぐ一年。もう二度とセフレになんてならない、普通の恋をすると決めていたのに結局私に普通の恋愛なんて無理だったらしい。



◇◇◇



たとえセフレだとしても竜胆さんと関係を持ってるなんてうちの女性たちにバレたら殺される。仕事で一緒に事務所を出て行っただけで翌日呼び出しされたっていうのに。そう思って私は死ぬ気で竜胆さんとの関係を悟られないように気をつけた。それでもさすがにセフレがいるっていうことはめざとい上司には隠し通せなかった。


「服昨日と一緒」
「あ、はは、まあ。そういうこともありますよね?」
「首に跡ついてるぞ」
「っ!!」

竜胆さんは普段跡をつけたりしないからまったくチェックしてなかったと焦りながら首元を手で隠すと九井さんは大きくため息をついた。

「ウソだわ、バカ。最近彼氏欲しいって叫ばなくなったと思ったらこれだからカマかけただけ。何?セフレかなんか?」
「…まあ」
「別に部下の恋愛事情に口出しするつもりねぇけど。セフレなんて好きになっても先ねぇからな」

九井さんの的確な指摘が胸に刺さる。

そう言って九井さんは私の顔からパソコンに視線を戻しながら「オマエずっと自分のこと好きになってくれる人と幸せになるとか叫んでたんだから、ちゃんとしろよ」と呆れたようにため息をついた。

わかってるもん。竜胆さんはセフレで別に好きになったりなんてしないし。だから竜胆さんに好きな人がでにたらいつでも別れる予定だし。

そうは思っていても竜胆さんはモテるだけあって女の心を掴むのがうまいし、女がどうすれば喜ぶかよくわかってる。

その日は珍しく竜胆さんのマンションに呼ばれた。私がマンションのエントランスに着くとちょうど竜胆さんも帰ってきたのか後ろから私の名前を呼んだ。そのまま一緒に竜胆さんの部屋まで行って部屋の中に入ると「あー、疲れたわ」と竜胆さんはネクタイ緩めた。結構多い性癖だと思うけど、私は男の人(イケメンに限る)がネクタイを緩めてオンからオフに切り替わる瞬間が好きだ。だからついその竜胆さんの姿をぼーっと見つめていると、それに気がついた竜胆さんは意地悪そうにニヤリと笑った。

「何?」
「なんでもないです」

見つめていたのがばれたのが恥ずかしくて目を背けると竜胆さんが私の腰を引き寄せた。

「わっ」
「オマエってさぁネクタイ緩めるとこ見ンの好きだよなぁ。いっつも見てんじゃん」

バレてたのが恥ずかしくて「すみません…」と謝ると竜胆さんはハハッと笑った。

「なんで謝んの?かわいいって思ってたけど?」
「…やめてください」

私が恥ずかしがるところを見るのが好きなのか、それとも意地悪なのか、そこから竜胆さんは「かわいい」を連発して私を困らせる。最終的に「もう!いい加減にしてください!」と言えば竜胆さんの顔が私の顔に近づいてきてチュッと音を立ててくちびるにキスを落とす。

「なー、シよ?」

え、この流れで?竜胆さんのスイッチってよくわからない。

「だ、ダメです!」
「なんで?」
「まだご飯食べてないです」

急にハンバーグが食べたいと言い出した竜胆さんのためにわざわざ材料を買ってきたのに、「だーめ、オレが優先」と私の顔や耳、首筋に唇を落としてくる。恥ずかしさとくすぐったさで身を捩るけど竜胆さんはやめない。

「お、風呂、入ってないから」

私が最後の抵抗でそう言えば「オレも」と私を担ぎ上げた。

「一緒に入ればいいんじゃね?」
「だ、だめですってば!」

もちろんそんなの竜胆さんが聞いてくれるはずもなくて脱衣所に連行されてそこでとろけるようなキスをされると、そのうち私の思考回路はぐちゃぐちゃになってキスを受け入れ始める。すると竜胆さんはスッと離れて私の顔を見つめたあと「オマエももう我慢できないって顔してる」と笑うのだ。

いや、マジで。好きになったらどうしてくれる。九井さんに忠告されててよかった。



[newpage]



週一くらいで一緒にご飯食べてやることやって、泊まっていくか帰るかは気分次第。泊まるなら朝ごはんも一緒に食べるので、その日泊まっていった竜胆さんに和食を作ると、その竜胆さんが私の作った味噌汁を飲みながら「オマエの味噌汁一生飲みたいわ」なんてプロポーズっぽいことを言うのでつい吹き出してしまった。

「ンだよ」
「い、いえ。なんでもないです」
「気になんだけど」
「えー、いや、なんか味噌汁一生飲みたいってプロポーズみたいですよね。よくマンガで見るセリフ」

私がそう笑うと竜胆さんは一瞬止まって「あー、たしかに」と言いながらまた味噌汁をずずっとすすって、お椀をテーブルに置いた。

「オマエって結婚願望とかってあんの?」
「え、結婚願望ですか?」

ないとは言わないし、いつかはしたいけど。でもこの年にもなって竜胆さんとセフレやってる時点でどうなの?って話。

「そ。あんの?」
「うーん。したいようなしたくないような」
「なんで?」
「え、それは」

年も年だから結婚したいって思ったらそろそろ竜胆さんとマジでお別れして次の人を見つけないといけない流れになるし…。

なんて返すのが正解なの…?わからなくて結局「結婚したいって思う人がいたら結婚したいです」という無難なセリフを返すと竜胆さんは面白くなさそうにムッとした顔をした。

「は?じゃあ今はいないワケ?」

なんで今日こんなにぐいぐい聞いてくるの?竜胆さんいっつもそんなことはさておきヤるかみたいな感じなのに…。そう思っていたら竜胆さんからとっておきの爆弾が落とされた。

「オレは結婚したいけど」
「え!?」
「そんな意外?」
「結構意外でした」
「オレだってしたいって思う奴がいたらしたいし」
「そうなんですか」

竜胆さんが結婚したい人ってどんな人なんだろう。そういえば三途さんのところの女の人が竜胆さんといい感じとかって自慢してた気がする。三途さんの事務員は顔採用って言われてるくらいみんな綺麗だから竜胆さんと並んでもおかしくないよね。

「竜胆さんと結婚できる人ってどんな人なんですか?」
「オレが好きなヤツだろ。顔よくて性格よくてちょっと抜けてる」
「そうなんですか」

好きにならないし、好きになってないって思ってたし、実際竜胆さんは私のセフレっていうのはわかってるけど。やっぱりそういう相手がいるってわかって寂しいって思うくらいには竜胆さんのことが好きらしい。

ちょっとだけショックだったらしくて私は竜胆さんから視線を逸らしながら「私は初恋のお兄ちゃんと結婚したいですかね」と負け惜しみになってない負け惜しみを返した。


◇◇◇



あの後すぐに竜胆さんは帰ったけど、休みの日だった私はそろそろマジで竜胆さんとの関係解消しなきゃなぁとベッドでゴロゴロしながら考えいた。そうしたら『オマエ今どこ?』という九井さんから電話がかかってかて、出るんじゃなかったと思った。

「家です…」
『今下にいるから出てこい』
「今日休み…」
『五分で出てこねぇと来月の給料カット』
「今!今すぐ行きます!」

私の休み、三ヶ月ぶりだったんですけど…?反社に休みはないってことか…。マジでブラック…。

そうは言っても給料カットは嫌すぎる。絶対無理だと思ったけど、人間死ぬ気でやれば五分で着替えと適当メイクはできるらしい。

「お待たせしました!」

車のなかで待っている九井さんにそう言えば「六分だけど多めに見てやるわ」と言われた。

「横暴…」
「いいからさっさと乗れ」

車に乗り込むと九井さんは焦ったように車を発進させた。

「あの、それで何かあったんですか?」
「お前のセフレって竜胆?」
「は!?」

急に来てそんなデリケートな内容に触れるとか九井さん一体なんなの!?しかもタイミング悪すぎる。

「いや、あの、な、なんでですか!?」
「あーその反応でわかったからいいわ。オレが昔言ったことは忘れろ」
「は?」
「だからセフレなんての好きになっても意味ねぇとかそういうやつ」
「は、はぁ。いきなりどうしたんですか?」
「可愛い部下が心配で色々言ったけど、過保護だったっつーか、まあセフレから恋人とか結婚とか?そういうのもあるんじゃね?ってなった」
「なんからしくなさすぎるセリフですね」

可愛い部下とか言うタイプじゃないじゃん?

「いや、よく見ればお前らってお似合いだし」
「ありえなさすぎてそうですかってならないんですが…え、本当にどうしました!?」
「前お前らに行ってもらった取引の社長がまた竜胆に会いたいっつってんだけど、竜胆の機嫌悪すぎて話もできねぇからお前が竜胆の機嫌取れ」
「え?なんで私が?」
「竜胆、お前のこと好きだろ」



は…?



意味がわからなさすぎて固まっていると九井さんはため息をついた。

「恋愛経験なさすぎて気付いてねぇかもしんねぇけど、竜胆お前のことどう見ても好きだからな?竜胆わざわざお前に会いに事務所来てるし」
「は?え、」
「オレに用ねぇのに来て誰もいねぇとこでお前と話してんじゃん。あれ、他の女からお前がなんか言われねぇように気つかってんだろ」

え。じゃあ私だけあんまり話しかけられないって思ってたのって竜胆さんの気遣いだったってこと…?

「お前が他の男と話してるとめちゃくちゃ機嫌悪くなるし」

え。え。じゃあまさかあの私の味噌汁一生飲みたいって本気だったりするの?

まだそうと決まったわけじゃないし違ったら穴に入って埋めて欲しいくらい恥ずかしいけど。もしそうだったら…あの私の返答、最低すぎない?

「で、どうせお前と喧嘩でもしたんだろ?何言ったんだよ」
「…………。初恋のお兄ちゃんと結婚したい」
「………は?」

私の言葉に今度は九井さんが固まった。

「初恋のお兄ちゃん?」
「はい…」
「それ、オレじゃん」
「はい…」
「あー、悪ィけどお前と結婚するか竜胆に殺されるかだったら一瞬でお前投げつけるからな?」
「知ってるよ!お兄ちゃんのことなんて今一ミリも好きじゃないから!今はただの鬼上司だから!!他にいい人見つからなかったから使わせてもらっただけ!!」

九井さんからのあまりに心ない一言にムカついてそう返せばそのこめかみがぴくっと動いた。

あ、やばい。怒らせた。

「へー?じゃあ鬼上司として命令してやるわ」
「あ、あの、ごめんなさ」
「竜胆さんのこと好きだから結婚してとかプロポーズでもして機嫌とってこい」
「ええ!?そ、そんなん無理…!!今までセフレだって思ってた人にプロポーズとかおかしいです!!」
「だから今回の取引お前にかかってんだよ!!なんとかしろ!あと竜胆が行かなきゃオマエ一人で送り出す」
「え?ちょ、そんな竜胆さんなしにあそこに放り込まれたら私死にますけど!?」
「だろ?ならオレから言うことはもうねぇわ。さっさと今から竜胆にプロポーズしてこい」

そう言うやいなや九井さんは車を止めた。気がつけばもう竜胆さんのいつもいるアジトに着いていて私の手を引っ張ってとある部屋の中にポイッと投げ入れられた。

そこにはソファにだるそうに座ってタバコをふかす竜胆さんがいた。

え、私本当に竜胆さんにプロポーズするの?セフレなのに?まだ本当に竜胆さんが私のこと好きかどうかもわかんないのに?は?死にたい。

私がゆっくりと近づいて「り、竜胆さん、お疲れ様です…」と声をかけると竜胆さんは機嫌悪そうに「オマエに言われてもあんなとこもう行かねぇから」とと返事をする。

「あ、あの」
「ンだよ」
「り、竜胆さん…」

やばい。死ぬほど緊張する。緊張しすぎて息ができない。

「だから何?」

やっぱり怒ってそうな竜胆さんにどうしたらいいのかわからなくて私は
「あ、あの!私の味噌汁一生飲んでくれませんか!?」
と叫んだ。

「は!?」
「あ、いえ、その…」

竜胆さんはしばらく考え込んだ後、タバコを灰皿に押しつ私をブスっとした顔で私を見てきた。

「ココになんか言われた?」

あ、やばい。バレてる。これ私竜胆さんと九井さんと両方から殺されるやつでは…?

「そんなことは…」と取り繕うとすれば竜胆さんは大きくため息をついた。

「オマエがオレと結婚してぇって思ってないことはもうわかってんの」
「あ、あのそういうわけでは」
「じゃあさっきの反応はなんだったわけ?」
「えー、あー、その…」
「なに」
「竜胆さん、好きな人と結婚するんだと思ってて」
「はぁ…?」
「ごめんなさい!」
「じゃあオマエはなんなの?」
「え…セフレ?」
「オマエ二度とセフレ作んねぇとかいってたじゃん」
「私はそうですけど…でも竜胆さんは違うのかと思ってて…」
「ンでそうなんだよ」
「だって…」
「だって?」
「好きとか、付き合おうとか、そういうの全くなかったし、家以外では前と違って全然話しかけられなくなったし。か、体の相性いいからうちに来てるんだろうなって思ってました」

わたしが顔を背けながらそう答えると竜胆さんは大きくため息をついた。

「ま、体の相性いいのは認めるけど。それだけで通うほど暇じゃねぇし、ただのセフレに家教えねぇわ。あとここで話しかけなかったのはオマエが他の女に色々言われんのがイヤみたいだったから気ィ使ってただけなんだけど?」
「う」
「つーかさぁ、味噌汁一生飲んでとかさっきオレが言ったプロポーズまがいのセリフまねしてっけどオマエはオレのこと好きなの?」
「あ、あの、えっと」

それ以降黙る私に竜胆さんはなんでもないように
「オレはオマエのこと愛してんだわ」
と言う。彼のあの顔から放たれる破壊力抜群の言葉に心臓がぎゅうっとなった。

「そんな、だって…竜胆さんが私のこと好きとか信じられなくて」
「オレはオマエと一生一緒にいてぇって思うくらい好きだし、仕事で女と会ってんのしられたくねぇくらい好きだし、その初恋の兄ちゃんとかいうのも消してやりたくなるくらい好き」

私が顔を上げられずにいると、竜胆さんは向かいの席からその長い腕を伸ばして私の顎を持ち上げる。

「でもオマエがいやがるからやんない。それくらい好きなの、わかる?」
「あ」
「なのにオマエは俺のこと好きかわかんねぇとかいう顔して冷てぇことばっか言うし、やってらんねーわ。今朝のオレの味噌汁のは別にプロポーズしようとして言ったんじゃねぇけど、こっちはマジでいつ結婚してもいいって思ってんのに」

竜胆さんの言葉を聞いてると私はなんて酷いことをしてきたんだろうと言う気になる。

「でもあの始まり方は竜胆さんだってセフレだって思ってましたよね…?」

私がボソリと呟くと「ヤッてる最中死ぬほど好きって言ってんだけど?」と睨まれた。

「ま、オマエの味噌汁は一生飲むけど、こんな気持ちの差があるまま結婚すんのは不平等だよな」
「え?」
「オマエがオレのこと死ぬほど愛して結婚してくださいって頼んでくるぐらいまで惚れさせてから結婚すっから、さっきのはやり直しな」
「はい?」

もしかして、私プロポーズのやり直しを求められてる?
たしかに九井さんに言わされた自分でもひどいプロポーズだと思うけど。

私のぽかんとしていたら、顎に添えられていたその少しかさついた親指の腹が私の唇をなぞった。竜胆さんはかあっと熱が集まる私の真っ赤な顔を見てクシャリと顔を歪ませて笑ったあと、頬杖をつきながらこう言った。

「とりあえず今から本気で落とすから覚悟しといて」
「ひぇ」

今まで好きになっちゃいけないって思ってたんだから仕方なくない…?

そう思わなくもないけど、挑発的に見上げてくる竜胆さんがあまりにかっこよくて私は何も言えなかった。


◇◇◇


そのあと竜胆さんと一緒にうちに戻って夜ご飯を食べた。あんなことがあった後のご飯は喉を通らなかったけど、勿体無い主義なのでなんとか飲み込んで皿洗いを始めた。

一体なんだったのと事態が飲み込めないまま泡いっぱいのスポンジでお皿を洗っていると背中に温かいものが触れたと同時にたくましい腕が私の首に回された。

「なぁ」
「え?」

竜胆さんにハグされていると気付いた瞬間に体が硬くなる。

「ど、どうしました!?」
「なーに緊張してんの?」

今更じゃんと笑いながらもっと強く抱きしめてくる竜胆さんの柔らかい髪が私の耳に触れる。それがくすぐったくて身を捩るのと同時に竜胆さんが私を覗き込んできて、彼の形のいい唇がチュッと音を立てて私の唇に触れた。

「んっ」
「なぁ、洗い物あとにしよ?」

熱をはらんだ瞳と声にまた体がビクッと震えた。今までだってこうして家事の最中に求められたことはあったけど、今は相手が自分に好意を抱いていると知っている。それだけでその行為はまるで違う意味を持つ。

「り、竜胆さん…終わってからじゃダメですか…?」
「だめ。今がいい。後でオレも手伝うから」

そう言ってわたしからスポンジを取り上げて手についた泡を水で流されて、くるりと竜胆さんの方を向かされる。私の濡れた手に指を絡ませた後、おでこ、頬、首筋、耳と順番に唇を落とす。

「り、竜胆さん」

あまりに恥ずかしくて抵抗しようとするけど、両手は竜胆さんの手と繋がれている。唯一できる抵抗として顔を竜胆さんから背けると竜胆さんは
「こっち向いて」
と言ってくる。

「ナマエの顔見てぇんだけど」

仕方なくそろりと竜胆さんの方を向くと今度は私の唇にキスをした。恥ずかしくて顔を伏せると竜胆さんは「かわいい」
と笑う。

「やめてください」
「オレさぁ、初めてオマエ見た時からカワイーって思ってたわ」
「う、嘘だ」
「ホント。で、その女が好みの性格してて、オレのダメなとこ見ても引かねぇとかンなの惚れねぇわけねぇだろ」
「ダメなとこなんて見ましたっけ…?」
「そういうとこが好きなんだわ」

急な好きの安売りに心臓をギュッと握りつぶされたみたいに喉がぐっと鳴る。

「で、でもバカだって言うじゃないですか」
「女はちょっとバカな方が可愛くねぇ?」
「ひ、ひどいです」

私が眉を寄せるとその中心にキスをされる。

「も、ちょ、ほんとやめてください」
「なんで?」
「心臓、もたないから」

私がそう言うと顔をくしゃっとして笑った。

「ほんとかわいい」



[chapter: 最低最悪のプロポーズをしたら、竜胆さんにやり直しを要求された私の話]



「あ、竜胆さん、おはようございます!朝からこちらにいらっしゃるなんて珍しいですね!」

私が九井さんに出したお茶の湯呑みを回収して給湯室に向かおうとした時、先ほどまで一緒にいた竜胆さんが事務所に来た。事務所の女の子たちが竜胆さんを囲んで頬を桃色に染めている。

「んー、まあ」

そう言うと真っ直ぐに私のほうに向かってきて、私の腰に腕を回してきた。

は!?

今まで竜胆さんは人前でそんなことしたことなかった。私は訳がわからずに固まっていると事務所内の女性陣が私と同じように固まった。

「一緒に行こうっつったのにンで先行ってんだよ」

そう言いながらムッとした表情で私を覗き込んできた。今までなかった竜胆さんの行動に私のフリーズは終わらなくてそれを竜胆さんは「だから手加減しねーって言ったじゃん?」と私の耳元で笑う。

「朝っぱらからイチャつくのやめろよ。つーか何しにきたわけ?」

げっそりした九井さんの言葉に竜胆さんは「好きな女に会いにきただけ」と胸のやけそうなことを言うと、ついに女性陣が悲鳴を上げた。

「…私、もうここで生きていけないかもしれません」

そのセリフにニヤリと笑ったあと、私が昔語った「初恋のお兄ちゃんに誘われて今の事務にいます」という言葉を覚えていたらしい竜胆さんが
「で?“初恋のお兄ちゃん”ってどいつ?」
と言った。

その瞬間、九井さんの動きが止まったのが目に入った。







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